第47話 お飾りの婚約者

 

 目覚めたクロードは、いつもと変わらなかった。


 誰かの名前を忘れているとか、体調不良を訴えるとかもなく普通に過ごしている。



 ケインがありとあらゆる国中の解毒剤を集め、飲ませたおかげかもしれない。





 ただ、エルシアへの接し方だけが変わった。



ーーなんだか、殿下に避けられている気がする




(でも、前みたいに視線を合わさないとか、そういうのじゃない)




 普通に会話するし、目も合う。


 時には談笑したりもする。


 けれど、そう。


 それは、上司と部下のような距離感で。


 恋人同士とは言い難いのだ。





 そして、その代わりのようにーー


 ゾフィアの側にいることが多くなった。



 その変化が如実に現れたのは、ささやかながらに開かれたゾフィアを持てなすパーティでのこと。


 


 

「随分と萎れた壁の花じゃの」




 本来エスコートしてくれる筈のクロードが、現れなかった時から覚悟はしていた。



 けれど一番、見たくなかった光景が目の前に広がっていて、どうしても裏切られたという思いが湧き上がってくる。




 無機質な目をしたクロードが、ゾフィアの手をとってエルシアの前に現れたのだ。




(殿下のせいじゃないわ。変な薬を飲まされたせいよ)




 頭では分かっているのに。



 ああ、でもお医者様も体に異常は見られないと仰っていたわ。



 やっぱりこれは殿下の意思なのかしら。





「ゾフィア王女は、クロード殿下にご執心でしたものね」



「やり方は気に入らんが、サンマリア国が後ろ盾になるなら小麦の問題は解決したも同然ですな」



 貴族達が、ヒソヒソ声で話すざわめきが追い打ちをかけてくる。



 気を良くしたゾフィアは、辺りにいた貴族達に語りかけた。




「無期限の国賓という立ち場は、この国の慣習に慣れるまでじゃ。それからはクロード様の婚約者は#妾__わらわ__#になるゆえ」





ーーわたくしは、それまでのお飾りの婚約者だと言いたいのね



  皆がエルシアの顔色を伺っているのが分かる。



 諦めの悪い、厄介者。


 さっさと出て行け。



 王女の機嫌を取るためなのか。


 中には、あからさまに侮蔑の言葉を投げつけてくる者もいた。




ーー泣きたくない、ここで泣いたら負けよ





(……顔を上げて。決して悲しそうな顔をしてはダメ)




 彼女は、サリー夫人が授けてくれた王太子妃教育に最大限に感謝する。



 顔を上げたエルシアは、本当に嬉しそうに、ニッコリと笑って見せた。




「ゾフィア王女が婚約者になる日が楽しみですわね、殿下」



「っ……!」



 会場に入ってから初めて、クロードの顔に表情が戻った気がする。


 それに一縷の望みを託すが、ゾフィアが耳元でボソボソ呟くと、クロードの目からは再び表情が消えていく。



 


ーー国難を乗り越えるため、ですものね





 ゾフィアはすぐに身を引かなかったエルシアをネチネチと苛めるために、国賓の立場に留まっているのだろう。



 彼女が満足すれば、罪の一つや二つでっち上げられてお役御免になるのだろうか。




(……殿下、目を覚ましてください)




 けれど、何を語りかけても人形のような目をしたクロードの側にいるのは辛い。





 今はまだ正式な婚約者であるエルシアは、王太子妃教育という名目で城にいる。



 だから、国王は離宮に逃げろと言ったのだ。


 



ーーわたくしの居場所が、ない。



 誰からも必要とされず、仕事や王太子妃教育も不要だと取り上げられ。



 貴族のみならず、最近では侍女からも目障りだと態度で示される。




「ねぇ、ケインさん。わたくしって殿下にとって必要なのかしら」



 弱りきったエルシアは、呟いた。


 誰かに認めて欲しかったのだ。



 此処にいる意味があるんだと。



「……今の殿下には、エルシア嬢は見えていないかもしれません」



(ああ、貴方までわたくしは不要だと仰るのね)



 悪気のないその言葉は、最後に残っていたエルシアの気力を打ち砕く。

 



「エルシア嬢、殿下とゾフィア王女の事は必ず見張って起きます。だから少し休んで下さい」



 今のエルシアを労るのは、ケインだけだ。


 もう、逃げてもいいのかもしれない。




「……少し、少しだけ。ごめんなさい」




 追い詰められたエルシアは、彼の言葉に押され一人離宮へと馬を走らせたのだった。




 ★



 目覚めてからの殿下は明らかに、おかしい。


 けれど、皆が皆、その違和感に蓋をしてゾフィアを持ち上げている。



 ケインは、書類に目を通す振りをしながら目頭を抑えた。



(解毒剤は飲ませた。黒死麦から救ってくれたネバネバ草も)


 医師にも、縋る思いで怪しげな占い師にも見せた。



 それでも、クロードの態度は変わらない。



(あの殿下が、エルシア嬢を無下に扱うなんて信じられないが)



 いや、よく見ていると時々、目に光が戻る瞬間はあるのだ。


 


 けれど、すぐにゾフィアの囁やきでその光は消えるーー。


 そして、毎食後に出されるゾフィアの作った飲み物。



 ケインは文献を漁りに漁った。



ーー催眠術のたぐい、が一番近い気がする。



 専門家でもなければ素養もないケインが辿り着いた答は、そんなあやふやな物だ。



 けれど、エルシアが離れる発言をするたびに顔に表情が戻るクロードを見ていれば、この可能性にかけるべきだと思えてくる。



(それに、エルシア嬢も。もう限界だ)



「……今の殿下には、エルシア嬢は見えていないかもしれません」



 罪悪感とともに彼女が望んでいるのとは、全く正反対の言葉を口にする。


 気力を失ったエルシアは、荷物をまとめて離宮で静養すると言い出した。



 だが、それではクロードに揺さぶりをかけるには弱い気がする。



(催眠術にかかっているとするならば、それは殿下に迷いがあるからだ)



 王族としての立場とエルシアへの恋心。


 逆に言えば、彼女が手を伸ばせば届く所にいるから、迷う。



ーー離宮では、甘い。



「……殿下、エルシア嬢は尼になると言って修道院へ向かったそうです」



 ケインは淡々とした口調で、嘘言を口にしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る