第25話 愚かなマリー


「出して出して! だしてよぉーー!!」


 

 マリーが自室のドアを力一杯、拳で叩く。



「ダメだ! お前を出したら、身の破滅だ!!」



 男爵はマリーがドアを開けられないよう、二重に施錠すると、見張りの兵を置いて去って行く。


 その背中は初老の疲れが、垣間見えた。

 


「お父さまのバカッ」



 マリーは淑女にあるまじき角度で、手当たり次第蹴り上げるが何の効果もない。


 途端に馬鹿らしくなって、その場に座り込む。



(全部全部、あの女のせいっ)


 マリーは思う。



ーーそもそも、エルシアはデビュタントの時から気に入らなかった



 年頃の令嬢達が赤やピンクで着飾る中、エルシアは一人、紺色のドレスで現れたのだ。



 そんな変わった女なのに、それまでマリーのことを『可愛いね』と言っていた男達がエルシアに見惚れ始めたのだ。



(……マリーのが、美人よ)

 

 もっともっと、新しいドレスや宝石で着飾れば、皆マリーの価値が分かるはず。


 子息達と関係を持って、プレゼントされるのは快感だった。



(うふ。エルシアは、こんなの持ってないよね)



 それなのにその次は、カザルス公爵子息との婚約だ。


 貧乏伯爵家なんて、男爵家と内情はそう変わらないはずなのに。



ーー公爵夫人になんてさせないんだからっ




 マリーの父、男爵は元町医者だ。


 功績が認められ叙爵されてから産まれたマリーは、遅くに出来た末娘。


 マリーに弱い男爵は、言われるがまま公爵家へ行儀見習いに出した。


 その後は、簡単過ぎて笑ってしまう。



『愛人でいい』


『結婚しても、カザルス様がだぁいすき♡』




 マリーが言えば、大体の男が落ちる台詞でカザルスもあっけなく陥落した。


 そして、実家の薬剤をくすねて水差しとワインに混ぜ、ドアを少しだけ開けたままにすれば出来上がり。



「婚約破棄だ!」


ーーこれで、公爵夫人になれるっ



 そう思っていたのに、カザルスは勘当されると言うし、そんな男マリーもいらない。



(それに、殿下の方が断然いい男じゃない!)



 マリーもあっちがいい!!



 ガシガシ


 マリーは親指の爪を噛む。


 とりあえず、外に出なければ!


 エルシアばっかり、ズルいズルいズルい。



「ねぇ、兵士さん。マリーお散歩がしたいのぉ。屋敷の中でいいの!」


「ダメです」


 にべもない返答に、マリーは甘ったるく付け足す。



ーーその代わり、マリーのことちょっとだけ好きにしてもいいんだよ?



 ……ガチャン


 少し迷った後で。


 扉の開く音がした。




 ★



「久しぶりの外の空気!」


 屋敷の庭の片隅で思いっきり両手を広げる。



(今度こそ殿下を落としてみせるんだからっ)


 決意新たに、塀を登りかけたマリー。




 そこに見たことのない衣装を着た男が現れた。



「誰? あんた、どうやって家に入ってたの?!」



 ふふふ。


 気味悪く笑う男は抵抗するマリーの口をハンカチで覆った。



ーー甘ったるい、匂い


 これはどこかで嗅いだことがあるような。



(これ、カザルスのワインに入れたやつ……)



「ああ、そうですね。効き目は桁違いですが」



 マリーの焦点が定まらない。


 理性が吹き飛ぶ。


 湧き上がる気持ちは、エルシアが憎い、それだけだ。



「悔しいですよね。エルシアを殺したいほど」



 男の言葉に頷くマリー。


 そうだ、エルシアがいるから殿下はマリーのことを見ないのだ。



「では、コレをお持ちなさい。貧しい人々に配るのです。貴女がエルシアだと言って」



 男は、真っ黒な麦をマリーの手に持たせる。


ーーこれは黒死麦、食べれば半分の確率で死ぬ。



 この色を気味悪がって、暮らしに困った者くらしか食べないだろう。


 だが、それでいい。


 そんな物を次期王太子妃が持ち込んだとしたら?



「エルシアの評判は地に落ちる」

 

 ゾクゾクゾク



 男の言葉に飛び上がるほどの歓喜をマリーは覚える。


 あんな女、殿下からも婚約破棄されて泣き叫べばいい。


 ざまぁみろ。


 マリーの耳には、その企みで誰かが死ぬリスクなど風のようにすり抜けていく。



「さぁ、黒のローブで顔を隠して。高貴な方が乗るような馬車も差し上げましょう」



 マリーが馬車に乗り込むと、男はニヤリと笑いながら彼女を見送った。




「馬鹿な女だ。大人しく部屋にいればいいものを」



ーーだが、おかげで我らが王女に吉報を持ち帰ることが出来る。



 そう言って去って行く男の衣装は、サンマリア国の伝統的な民族衣装によく似ていたのだった。

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