「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな？」

第6話 初めての共闘

　巨大な獣と爬虫類を足して割ったような外見のトロールは、とにかく優れた戦闘種族だ。

　幅も厚みもある彼らの身体は筋骨隆々で、腕と脚が長く、身体能力も知能も高い。その身長も平均約２メートル半ほどもあって、かなり大柄な魔物だ。

　ただ、種族としての骨格のせいか、背骨が曲がって頭を前に下げるような立ち姿であるため、彼らの大半はかなりの猫背の姿勢である。その分を割り引いて、地面から頭までの高さは、実際は２メートルほどだろうか。

　ただ、それでもトロール達の筋肉量で言えば十分に巨体であるし、強力な魔物であることは間違いない。

　また、他種族に対して非常に好戦的な彼らは、独自の鍛冶技術で武器や防具まで製作する。ローザ達の前に現れたトロール達も、それぞれに胸当てや兜、篭手などの防具を身に着けていた。

　彼らが手にしている武器も、大剣や槍、棍棒、手斧など、バリエーション豊富だ。暗がり現れた彼らの印象は、強靭なトロール種で編成された、戦士主体のパーティのようでもある。

　そんなトロール達が通路を塞ぐように陣形を取っていると、ダンジョンの閉塞感と合わさって、物凄い威圧感だ。

　ただ、トロール達は群れを成したゴブリンのように、すぐに此方に襲い掛かってくることはない。彼らは仲間と連携、協力して、効率よく戦うということを知っている。

「ちょっと数が多いなぁ……。前は５体だけど、後ろはどう？ エミリア」

「後ろは……６体ですわね。まぁ私（わたくし）にかかれば、どちらも物の数ではありませんけれど」

　右手を腰に当てる格好になったエミリアは、引き摺るように持っていた巨大過ぎる盾を左腕だけで持ち上げ、ダンジョンの床に突き立てた。ズズゥゥン……ッ！と石畳の床が陥没し、細かい亀裂が走る。

　あの漆黒の盾の重さも相当なものなのだろうが、それを片腕で扱っているエミリアの腕力も凄まじい。自己強化の魔法で筋力を増幅しているのだろうか。それに、戦闘にもかなり慣れている様子だ。

　この時アッシュは、エミリアが首から下げている認識プレートが『４等級・金』であることに気付いた。中級冒険者になりたて、といった等級である。

　だが、トロール達を前にしたエミリアの、あまりにも堂々とした今の態度からは、やはり中級冒険者という感じはしなかった。

　もしかしたら何らかの理由で等級を下げられたか、或いは、等級を敢えて低く抑えているのか。アッシュは少し気にはなったが、すぐに気持ちを切り替えた。

　まずは、トロール達に挟まれているこの状況を、どうするかだ。

「無茶は禁物だよ、エミリア。こっちは３人だけなんだから」

　すぐに駆け出せるように姿勢を少し落としたローザは、ざっと通路の前後を見た。確かに、回復役のアッシュが居たところで、取り囲まれていれば治癒魔法を使う暇は無い。

「取りあえず、前のトロール達を倒しちゃおう。前後を挟まれてる状況から抜けないと」

「では、私（わたくし）が前衛となりましょう！」エミリアが胸を張るように喉を反らせた。

「まずは私（わたくし）が、前方のトロール達を華麗に粉砕してみせますわ！ ローザさんとアッシュさんの御二人は、私の後ろに続いて下さいまし！」

「うん。エミリアが前衛に立ってくれるなら、それが一番堅実かな……。じゃあ私が殿（しんがり）につくから、アッシュ君は真ん中で」

　エミリアとローザは一瞬だけ目線を交わらせただけで、アッシュを中心に置いた陣形を素早くとった。つまりは、アッシュを守ってくれる陣形を取ってくれたのだ。

　「ぃ、いえ、ここは僕が殿につきますよ。ローザさんは、エミリアさんの援護を」

　アッシュは咄嗟に申し出た。ただ守られているだけでは、やはり自分は役立たずではないかと思ったからだ。だが、ローザは首を縦には振らなかった。

「いいからいいから。お姉さんに任せてよ。アッシュ君は大事な回復役なんだから」

　軽い声音のローザはウィンクして見せたものの、その目は酷く落ち着いていた。魔物とのパーティ戦を、既に頭の中で組み立てている者の目だった。

　そこでアッシュは、自分が回復役として同行を依頼されたことを思い出す。

　アッシュは背後のトロール達をもう一度ざっと見て、「……分かりました」と頷いた。

　これは集団戦――パーティ戦だ。

　全員に持ち場があり、それは全て、全員が生き残るためのものだ。この場で唯一の治癒術士として、アッシュに求められる今の“役割”こそは、戦闘ではなく後方支援である。

　ソロであるならば、誰かを気に懸けることも必要なかった。

　必要な戦闘以外を避け、逃げて、自分だけが生き延びればいい。

　だが今のアッシュは、それではいけない。

　他者のための戦いをせねばならない。

　積極的に戦闘に参加することと、パーティを支えるということは同義に近い。だが、傷の治癒や解毒を専門とする治癒術士においては、この意味は必ずしも一致しない。

　回復役が後方で無傷であることは、パーティ全員に心の余裕と冷静さを与える。自身が負傷しても、それを癒してくれる者がいるというのはそれだけで心強い。

　だからこそ回復役は、どんな時でも絶対にパーティを見捨ててはならない。最後の最後まで、仲間を癒すために命を尽くす。自分のことを犠牲にしてでも。

　それこそが、この場のアッシュの価値と意味だった。

「では状況によって、僕も、御二人を守るために前に出ます」

　ただアッシュは、最後にそれだけ付け足した。

　最低等級である５等級の、しかも治癒術士であるアッシュが、大型の魔物であるトロールとの戦闘に積極的に参加する意思を見せることは、今の状況ではローザもほとんど想定していなかったのかもしれない。

「えっ」と驚いた顔になったローザだったが、すぐに小さく、だが力強く頷いてくれた。「……うん。ありがと」

「なんて心強い御言葉……！」目を輝かせるエミリアは、感激したように声を震わせた。「気高くも優しいアッシュさんを御守りするためにも、必ずや、この状況を打破してみせますわ！」

「頼りにしてるよ、エミリア。……それじゃ、私達が先手を取ろう」

「えぇ！ では、走りますわよ……！」

　息の合ったエミリアとローザの遣り取りを聞きながら、アッシュも杖を握り直して姿勢を落とした。すぐに駆け出す体勢をとる。前と後ろを見れば、トロール達の群れが、完全にアッシュ達を包囲していた。

「うん。タイミングを合わせよう。カウントダウンしようか。……３。……２」

　揺れの無いローザの声は、エミリアとアッシュにだけ聞こえるだけの大きさだった。それでもやけに大きく聞こえたのは、ダンジョンの通路内が奇妙なほどに静けさを保っているからだろう。

　トロール達は、アッシュ達を挟み撃ちにできる圧倒的に有利な状況にありながらも、数を恃みに襲い掛かってこようとはしていない。ゆっくり、だが、確実に近づいてくる。

　彼らは顔を突き合わせて低く唸り合い、じりじりと此方との間合いを詰めようとしている。暗がりの通路を踏みしめるようにして、アッシュ達との距離を慎重に縮め、その出方を警戒しているのだ。

　通路内は、戦闘の予兆が齎す緊迫感に包まれている。

　だが、硬直状態は続かない。

「……１……！」

「行きますわよォォォォッホッホッホッホァァ！！」

　高笑い共にエミリアが駆け出し、それにアッシュが続き、ローザがその後ろに追従する。

「GURUAA……！！」

「GARURURU……！！」

　前方にいるトロール達は、アッシュ達の突貫に一瞬の動揺を見せたが、すぐに武器を一斉に構えて横隊になった。筋肉がぎっしりと詰まった彼らの巨体が、通路に壁をつくるようにして並んだのだ。アッシュ達を迎え撃つ姿勢である。

「GAA……！！」

「GURRRR……！！」

　後方にいたトロール達も吼えて、駆け出し、アッシュ達を猛追してくる。前方のトロール達と挟み込み、アッシュ達を圧し潰すつもりなのだ。トロール達は身体が大きいから、一歩の幅も広い。グングンと距離が詰まってくる。

「GOOOOooooaaaaaaAAAAAAAHHHHHHH……！！」

　前後から聞こえるトロール達の咆哮は、アッシュ達の身体の芯を震わせるような凄まじい迫力だった。多分、並みの冒険者達であれば震えあがり、動揺して、尻餅でもついていただろう。

「トロールがどれだけ束になったところで、私（わたくし）の敵ではありませんことよォォォ！！」

　だが、エミリアは全く怯まない。あの巨大な漆黒の盾を引き摺るように持ち、勇気凛々にトロール達に突っ込んで行く。

「今の私（わたくし）は、清楚の高みを目指す“淑女”であり、素敵なアッシュさんを守護する“乙女”なのですからッッ！ 負ける要素も道理もォォ、微塵もありませんわァァァ！！」

　漆黒の重装鎧を着込んでいながらも軽やかに、しかし、激しく地面を蹴り砕きながら、駆け速度を上げてみせる。

「そんな私（わたくし）にトロール風情が戦いを挑むなどォォォォ、約５兆年は早いですのよォォォ！！」

「や、それは流石に……？」

　アッシュのすぐ後ろに追従しているローザが、冷静にツッコみをいれた。このときにはもう、前方のトロール５体とアッシュ達が、あと３秒ほどで激突するぐらいに距離が詰まっていた。

　ここで先頭を駆けていたエミリアが、一気に前に出た。後続しているアッシュとローザを引き離すようにして、彼女はトロール達の目の前に飛び込んだのだ。

「さぁァァアア、死ィィに腐り遊ばせェェッ！！」

　トロール達に先制攻撃を仕掛けようとしているエミリアは、だが、ただ無闇に突撃したわけではない。自分の攻撃にアッシュ達を巻き込まないよう、大きく先行したのだとすぐに分かった。

　駆けながら、アッシュは見た。

　エミリアが引き摺っていた、巨大な漆黒の盾だ。大盾からは、魔力で編まれた薔薇の花弁が盛大に散った。深紅の花弁が吹雪のように舞い、逆巻いた。

　それだけではなかった。あの盾にグルグルと巻かれているゴツい鎖が、ギュララララッ！！ と火花を散らしながら解け、しなり、エミリアの手の中に握られた。

　あの荘厳ささえ湛えた巨大な盾が、瞬く間に、鎖付きの巨大鈍器と化したのだ。

「これぞ“淑女道奥義”！！　エクセレェェンスゥーパァーギガハード・フォルテッシモウルトラゴージャス・ヴァーミリオンビューティフルエナジーーワンダフォーーーーーーォォオォッホッホッホッホォォォンンンヌゥゥ！！」

　そしてエミリアは、やたらと長ったらしい技名を言い終わるよりも先に、身体を横に一回転させ、その巨大鈍器と化した盾を振り抜いた。超豪快に、思いっきり、何の躊躇もなく、グォォォォォォォォォン！！ といった。

　それは圧倒的な質量による殴打であり、破壊だった。

　あまりにも単純な攻撃だったが、威力はとんでもなかった。

　ダンジョン内の空気というか、空間を叩き壊すかのような、圧力を伴った風が吹くのをアッシュは感じた。その風は勿論、エミリアが巻き起こしたものだ。

　巨体を誇るトロール達の縄張りであるトロールダンプは、他のダンジョンと比べても、全体的に通路自体がかなり広い。

　その通路の幅ギリギリどころか、通路の壁面をズギャギャギャギャゴゴッ……！！ と削り取る勢いの大振りでブン回された巨大な盾は、居並んだトロール達５体を、横合いから猛襲した。

「GUEEEAAHHHHH！？」

「BUUUuuGGEEEeeeEEE！！？」

「GIHIIIAAAAAッ！？」

　５体のトロール達のうち、まず前列の３体が、トゲ付きの巨大盾にぶん殴られて吹っ飛んだ。物凄い勢いだった。３体のトロール達の着込んだ防具と肉と骨が盛大に粉砕、破砕される音も凄まじかった。

　深紅の花弁を拭き散らしながら振り抜かれた巨大な盾は、エミリアの腕力と勢いをそのまま残して通路の壁に激突し、砕き、えぐって、食い込むようにしてめり込んで、なんとか何とか止まった。そんな感じだった。

　一方で、エミリアの盾の一撃を受けたトロール達は、まるで風に飛ばされる紙屑のように、ダンジョン通路の壁面に激突したり、床に激しく叩きつけられてバウンドしながら、通路の先の暗がりへと豪速で消えていった。

　無事だった残りのトロール２体は、余りにも簡単に吹き飛ばされてしまった仲間達を見て、微かに怯んでいた。だが、トロール達が逃げる暇など、エミリアは与えなかった。

「ヌゥウウオオオオオッホッホッホッホッォォォァァアア！！！」

　高笑いをしながら、更にエミリアは前に出る。

　漆黒の盾に繋いである鎖をギュォォォン！！と引きながら、壁面にめりこんでいる盾を手元に引き寄せつつ、同時に、さっきとは逆方向に身体を回転させていた。巨大盾を再びブン回したのだ。

「GＵuGEeeeee……ッ！！？」

「Ｏgooooaaaahhhッ！！？」

　２体のトロールは、手にした剣や盾を体の前に構え、防御姿勢を取っていた。だが、無駄な抵抗だった。

　さっきとは逆方向に振り抜かれたエミリアの大盾は、トロール達の防御ごと殴り飛ばした。トロール達は大盾を受け止めきれなかった。悲鳴だけを残して、やはり彼らは石の壁や床に激突しながら、通路のずっと向こうまで転がっていく。

「モォォッホホホォン！！ ま・さ・に、完全勝利ですわ！！」

　巨大盾に繋がったゴツい鎖を、ギュラララッ……！と左腕だけで引いたエミリアは、空いている右手を顎の下に添えて、また『御嬢様の高笑いポーズ』と取ろうとして、できなかった。

「エミリア、後ろから投擲攻撃が来るよッ！」

ローザが鋭い声を飛ばすのと同時か、少し遅いタイミングで、後方のトロール達が大きく吼えるのが聞こえた。アッシュは肩越しに振り返る。

　見れば、アッシュ達の背後から迫って来ていたトロール達は身体を反らせ、手にした大ぶりな武器をこちら目掛けて投げつけようとしているところだった。

　身体能力、筋力に優れたトロール達は、両手剣や斧など、並の人間では両手で扱うような武器を投擲してくる。それらが致命傷を与えてくる威力を誇っているのも明白だ。

　アッシュと出会ったときも、ローザは棍棒を投げつけられて腕を負傷していた。

　それを思い返したアッシュは、咄嗟にローザを庇うべく動こうとした。

「僕が壁になります……！」

　手にしていた杖を構え直し、立ち止まり、投擲されてくる多数の武器から彼女を守るため、盾になろうとした。

　「大丈夫だよ！ 想定内だって！」

　ニッと唇の端を持ち上げたローザが、足を止めて振り返ろうとしていたアッシュを追い抜こうとしたときだった。ローザはショットガンを持っていない方の腕で、アッシュの体をひょいっと抱え上げたのだ。

「えっ！？」

　小柄なアッシュは何の抵抗もなくローザに抱えられてしまう。その体勢的に仕方がないのかもしれないが、アッシュの横顔に押し付けられるようにして、ローザの大きな乳房がむぎゅぎゅっと密着してくる。

　アッシュの横顔に乳房が乗ってくるような勢いだった。

　ローザが身に着けているものが装甲服や鎧の類ではなく、ボディスーツとジャケットであるので、アッシュの頬に押された彼女の乳房が豊かにも大胆に揺れながら、たぷたぷむにむにと形を変えているのがわかった。

「ぅわわ！？」

　焦ったアッシュが変な声を漏らしている間に、ローザはエミリアの傍へと走り込む。

「どうぞこちらへ！」

　エミリアは既に大盾を構える防御姿勢を取っていて、アッシュを抱えたローザを守るような位置へと出て来てくれる。彼女達の連携は完璧だった。

　ただ、アッシュを抱えているローザを見たエミリアが、一瞬だけ、何となく羨ましがるような表情になっていたのが気になった。

　だが、現状で気にすべきことはそんなことではない。トロール達が投げ放った無数の武器が、殺人的な速度と回転を維持したまま、アッシュ達めがけて飛来してくる。

「 小癪で野蛮で下品な攻撃ですこと！ もう少しスマートでエレガンスな戦い方を覚えてきやがれですわ！」

　勇ましい言い方をするエミリアは大盾を片手で持ちかえ、中断していた『御嬢様の高笑い』ポーズを再開させた。

「こぉぉの私の盾は、ドラゴンが踏んでも砕けることはありません！！ そぉぉんな貧弱な威力ではァ、こぉの私（わたくし）のワンダフルセクシーなバッチリボディに、傷一つ負わせること能いませんことよォォォォオオッホッホッホッホッホ！！」

　ローザとアッシュを巨大な盾でガッチリと守るために前に出ながら、重厚な鎧ドレスを盛大に翻し、エミリアが自信に満ちた笑い声を立てる。

「ズォオオーーッホッホッホ！！ ポォーーッホッホッホゲハッ！？ フゲヘッ、ゲッホゲホ！？」

　そして、咳き込んだ。

　次の瞬間だった。

　トロール達が投擲してきた槍やら剣やら斧やらが、アッシュ達のところまで来た。重くて硬いものが豪速で飛んでくる、物凄い風切り音が周囲に響いた。

　同時に、ガッツンガッツンドスドスバツバツバキバキィ……ッッ！！ と、アッシュの体の芯まで届くような凶悪な鈍い音を響かせ、その悉くが、エミリアの大盾に弾かれて地面に落ちた。

　アッシュを抱えたままのローザが「ひゅう♪」と口笛を吹いてみせる。

　トロール達の投擲攻撃は、エミリアの盾を貫くことはおろか、砕くことも、盾の一部を削ることさえもできなかった。

「ゲッヘゲホホ！！ ゴホッ！ ゥエ゛ッ！！？」

　そんな盾を構えたまま未だにえづいているエミリアに、アッシュは思わず「だ、大丈夫ですか……？」と、何だが場違いな声を掛けてしまう。

「ありがとう、アッシュ君。でも大丈夫だよ。ホントにいつものことだから」

　エミリアが応じるよりも先に、トロール達の投擲攻撃が止んだ。それを見て取ったローザは、抱えていたアッシュを放して、大盾から身体を出した。

「……あのトロール達も、こっちに向かってくるね。ここで退く気は無いみたい」

　投擲攻撃を全て防がれてしまったトロール達６体は、倒された仲間の敵討ちをするつもりなのか。

　突撃のための隊列らしいものを組んだトロール達が、『GUUUuuuaaaAAAAA――！！！』と一斉に声を揃えて吼え、猛り、アッシュ達の方に向かって猛然と突進してくる。

　アッシュもローザのあとに続こうとしたが、その必要も無かった。

「あの６体は、私が引き受けるよ」

　ローザは音も無く魔導ショットガンを構えつつ、集中力を高めるように、ふっと小さく息を吐いた。そして、発砲した。発砲の瞬間、銃身と銃口の前方に複雑な魔法円が浮かび上がったのがアッシュにも見えた。

　銃声などは特に無かった。だが、アッシュの身体を打ってくるような、短くも激しい空気の振動があった。

　放たれた光の散弾はトロール達に届く途中で、幾つもの細かい魔法円となって空中に展開される。

　薄暗いダンジョンの通路に、蒼い魔光が奔った。宙にズラッと並んだ魔法円は、周囲の物理法則を捻じ曲げて、魔術という奇跡の現象を現世に招き入れる。

　隊列を組んだトロール達に襲い掛かったのは、強力な凍結系の魔法だった。ダンジョンの壁面や地面ごと、トロール達の屈強な身体が、ザァァァ……っと白い霜に覆われ始める。

「GARU……！？」

「UGOAAAA……！？」

　ガチガチと身体をぎこちなく揺らし、その異変に気付いたトロール達が呻き声をあげるが、その苦しげな声まで凍結されて地面に落ちるかのようだ。あっという間に、６体のトロールが霜に覆われて、分厚い冷気を纏った氷像のように静止した。

　トロール達を凍りつかせた魔法の余韻として、猛吹雪のような風が吹き付けてくる。

　アッシュの息が白く煙り、頬や耳がヒリついた。寒い。冷えた空気の分厚い流れが、再びダンジョンの通路内を荒々しくうねっていく。壁の魔法灯も小刻みに揺れて、埃っぽい空気が掻き混ぜられていた。

　ローザが撃ち出した魔法弾が、どれほど強力だったのかが分かる。

「ふぃ～。何とかなったね」

　トロール達の様子を眺めたローザは、ショットガンを肩に担ぐようにして持ち、片手でピースサインを作ってアッシュに笑顔を向けてきた。

　「えぇ。……でも、御二人とも凄いですね」

　アッシュはそう応じながらも、ローザが笑顔のままで微かに息を切らし、その白い頬に汗が伝っているのを見逃さなかった。

「まぁ私はともかく、エミリアは凄いよね」

　さっきまでゲホゲホやっていたエミリアは、「ンン゛ッ！ ン゛ッ！！」と喉の調子を整えてから、「でしょう？」と満足げに胸を張り直した。

「うん。頼りにしてるよ」

　ローザは苦笑でエミリアに付き合ってから、ジャケットのポケット内を確認して、弾薬の残数を把握しようとしている。

　高価かつ弾数制限のある魔法弾もそうだが、魔力消耗が著しいという点から見ても、魔導銃は強力だが、やはり短期決戦向けの武器なのだろう。あのローザの様子からしても、継続して戦闘を続けるのは難しそうだ。

　仲間と分断されて孤立したローザが、トロール達に囲まれるのを防ぐために逃走したという話や、アッシュに同行を依頼するのにも、改めて納得できた。どれだけ強力な武器を扱えたとしても、それが継戦能力に乏しいのであれば心許ない筈だ。

　とにかく、これでトロール達は全滅した。

　戦闘は終了だ。

　ローザが弾薬の残数を確認しているのも、そう確信したからだろう。

　だが、違った。

　2等級冒険者としての実力と経験、それに加えて、トロールダンプの9階層の地形が頭に入っているからこその油断だった。いや、油断と言うよりも、意識の死角といった方が正しいかもしれない。

　魔導ショットガンによって発生した冷気の余波で、通路の魔法灯は今もなお揺れている。そのため、広い通路がより薄暗くなっていたことも要因の一つかもしれない。

　そういった要素が幾つか噛み合った結果、ローザとエミリアは気付き損ねた。

　アッシュも、今になって気づいた。

　ローザの斜め後ろだ。岩肌の壁面に大穴が開いている。

　その大穴の内側には、比較的新しそうな空洞が伸びていた。印象としては、岩盤を堀りかけた坑道か、洞窟通路だ。その暗がりの奥から、１体のトロールが忍び寄るように迫ってきていた。ローザのすぐ後ろに。

　つい今しがたまで通路を広げる穴掘りでもしていたのだろう。そのトロールは手に巨大なツルハシを握り込んでいた。そしてそれを、ローザの背後から振り下ろそうとしている。

　「失礼します……っ！」

　だがトロールよりも、アッシュが身体を前に倒し、踏み込む方が疾かった。

　「きゃっ！？」

　一瞬でローザとの距離を詰めたアッシュは、杖を持っていない方の腕をローザの腰に回して抱き寄せながら、そのまま大きく跳び下がる。

「ぅゆっ！？」

　動揺した声を洩らしたエミリアも、アッシュの行動に反応しきれていない様子だった。

　間一髪だった。

　０．５秒前までローザの立っていた場所へと、「GURUAAAA！！」と吼えたトロールが、思いっきり大ツルハシを振り下ろしていた。ドゴン……ッ！！ という、身体の内側まで届いてくるような鈍い音が、ダンジョン通路の暗がりに響いた。

　だが、トロールの大ツルハシが粉砕したのは地面だけだ。

　空振りするとは思っていなかったに違いない。呆気に取られたような様子のトロールは、自分がぶっ叩いて砕いた地面と、アッシュに抱えられたローザを交互に見比べていた。

　いきなりのことに、魔導ショットガンを片手で持ったままのローザも、アッシュに抱き着くような姿勢になっている。

「えっ、えっ」などと言いながらローザは、自分を抱き上げているアッシュの顔を見て、次に大ツルハシを振り下ろしたトロールを確認してから、ようやく状況を理解したのか。

　アッシュの腕の中で、蒼褪めたローザが唾を飲み込む気配があった。だが、ゆっくりと安堵を味わうのは、まだ早い。

　大ツルハシを手にしたトロールがすぐに体勢を立て直し、「GUUUUU！」と吼えながらアッシュに猛然と迫って来たからだ。アッシュは咄嗟にローザをお姫様だっこして、更に下がる。

　「GRUAッ！！ RUAッ！！ GRUAAA……ッ！！」

　トロールは手にした大ツルハシを、やたらめったらに振り回しながら、ローザを抱えたアッシュに躍りかかってくる。

　トロールの巨体が稼ぐ一歩の距離は、並みの人間の比ではない。それに速いし、脚も腕も長いから、攻撃のリーチも長いのだ。

　だが、アッシュはこれを全て避ける。

　跳ぶように下がり、滑るように下がり、また大きく跳んで下がって、トロールが振り回すツルハシの間合いから外れる。

「ひゃぁ！？ にょっ！？ うひっ！？」

　アッシュが鋭いバックステップを踏むたびに、腕の中のローザが変な声を出した。トロールの攻撃を全て振り切ったところで、アッシュとトロールとの距離は４メートルほど広がる。

　大ツルハシを手にしたトロールも、自分よりも素早いアッシュを追うのを諦めかけたのかもしれない。トロールの動きが、アッシュを睨んだままで迷うようにして鈍った。

　このチャンスをエミリアは見逃さなかった。

「フヌゥゥゥぅぅんッ！！」

　エミリアは地面を踏み砕きながらトロールの横から一気に詰め寄り、あの大盾を振り抜いてぶん殴った。完全に鈍器の扱いだった。

「BUGAAAAAAAAAAAA――ッ！？」

　鉄塊ともいえる大盾での殴打を受けたトロールは、身体を折れ曲がらせて吹っ飛んでいく。

　そのまま暗いダンジョンの通路を跳ねながら転がって行って、既に凍り付いている他のトロール達と激突して止まったようだ。重く低い激突音のあとで、フロアには静けさが戻ってくる。

　アッシュは素早く周囲に視線を巡らせ、もうトロールが居ないことを確認した。

「……これで大丈夫そうですね」

　軽く息をついたアッシュの腕の中では、「ほぁ～……」と深呼吸をしたローザが脱力していた。ピンチを切り抜けた安堵を、ようやく味わっているのかもしれない。

　かと思えば、ローザはすぐにアッシュの腕から飛び降りて振り返るなり、ガバーっと遠慮なく抱き着いてきた。それはもう体当たりに近かった。

「ありがとー！！」

「わぷっ」

　ローザの豊かで柔らかい乳房の感触が、再びアッシュの横顔にドドーンと勢いよく激突してくる。

　感激した声をあげるローザは、本気でアッシュに感謝してくれているようだ。ただ小柄なアッシュでは、背も高くスタイル抜群のローザの乳房に埋もれてしまう状態だった。

「っていうかアッシュ君、やっぱり結構強いんじゃん！ 同行の依頼をして良かったよ～！」

「あっ、あの、ちょっと！？」

　アッシュは水泳の息継ぎをするような感覚で、何とかローザの体温から顔を逃す。

　彼女の無防備さは、アッシュを信頼してくれているからか、それとも彼女が本来持っている人懐っこい性格によるものなのかは分からないが、気まずくて仕方ない。

「ちょっとローザさん！ さっきから羨ま……、いえっ、ズルい……、もとい、はしたないですわよ！ そうやってアッシュさんに抱き着いたりしてッ！！」

　謎の抗議をするエミリアも、「ンフゥゥゥウン！」と鼻息を荒くしたままで頬を上気させている。

「さァ、次は私（わたくし）の番ですわッ！」

　まるで当然の権利のような言い方をするエミリアは、形のよい唇の端を赤い舌先ぺろっと舐めてから、両腕を広げてアッシュにゆっくりと近づいてこようとしていた。

　だが、その時だった。

「……微かにですが、金属同士がぶつかるような音が聞こえますね。それに、トロールの雄叫びも」

　ローザに密着されたままで、アッシュは通路の暗がりが伸びる先へと意識を向ける。

　少し遠くから聞こえてくるそれは、明らかに戦闘の音だった。通路の床や壁を伝って、微かな振動も感じる。誰かが、複数のトロール達と戦っているのだ。

「これ、私の仲間かも……」

　ようやくアッシュへの抱擁を解いたローザも表情を引き締め、通路の奥に目を凝らす。

「ここから少し行ったら、もう“大階段”なんだよ」

　手にしたショットガンを担ぐように持ったローザは、暗がりに耳を澄ませるように何度かゆっくりと瞬きをした。

「えぇ。確かに、戦いの気配がバチバチビンビンと伝わってきますわ」

　アッシュに抱き着く姿勢を残念そうに解いたエミリアが、大盾を左手で持ち上げ、身体を通路の先へと向けた。

　それとほぼ同じタイミングだったろうか。『おいローザ、聞こえるか』という不機嫌そうな女性の声が、ショットガンを持つローザの右手の手袋の中から響いてきた。

『トロール共が待ち伏せしてやがった。だが、さっきのシャーマンの姿が見えねぇ。マジで気を付けろ。お前の近くに居るかもしれねぇぞ』

　ローザの手袋の中から聞こえてくる女性の声は、機嫌悪そうに歪んでいながらも落ち着いていた。彼女の声の背後には、激しい戦闘の気配が濃厚に漂っているのにも関わらずだ。

　やはりこの声の主である女性も、戦闘を得意とする上級冒険者なのだろう。

「了解ですわ。カルビさん。ネージュさんと、もうしばし耐えていて下さい。このパワフルでシャイニングな私（わたくし）が、すぐに助けに向かいますわ！」

　エミリアが真面目な顔で応答すると、指輪の向こうで安堵の気配があった。

『んだよエミリアか。お前、やっぱり無事だったんだな。心配して損したぜ。……オラァ！』

　カルビと呼ばれた女性は、間違いなくトロールと戦っている最中である筈のだが、エミリアに向けられた声音にだけは微かな笑みを含んでいて、幾分か柔らかかった。

『……まぁ、そんな言うほどは心配してないけれど』

　ネージュと呼ばれていた女性の声も、今までのような冷然とした響きが消えて、気安い雰囲気でそれに続いた。

「ひ、酷いですわッ！？ こ、これが噂に聞くパーティ追放ですの！？」

「まぁまぁ。私達も“大階段”の近くに居るから、まずは合流するよ。すぐに行くから」

　最後にローザが纏めたあと、何か言いたげな顔になっていたエミリアだったが結局は何も言わずに、アッシュ達の先頭に立ってくれた。アッシュもローザに頷いて駆け出し、エミリアの後に続く。殿にローザがついてくれるのはさっきと同じだ。

“大階段”のフロアは、すぐそこだった。