第4話 お姉さんからの同行依頼
「僕が、ローザさんに同行……、ですか?」
「うん。私が仲間と合流して、ダンジョンから帰還するまでの助っ人としてね」
ローザからの突然の申し出に、アッシュは少し戸惑ってしまう。だが、冒険者が他の冒険者に同行を依頼すること自体は、特に珍しいことではない。
低等級の冒険達で構成されたパーティが、実戦経験を積むために難関ダンジョンへ挑む際などは、上級冒険者に同行を依頼することも多い。
他にも、ギルドで受けた依頼を重荷に感じたパーティが、同程度の実力を持つ他の冒険者パーティに同行を依頼することもある。この場合は、パーティ同士が緊密に協力しあうクラン結成とは違い、片方のパーティが依頼料を払うことになる。
ただ、こうした同行依頼というものは、ソロ冒険者に話が回ってくることは非常に少ない。ソロの冒険者というのは傍目から見て、どこまで信頼できるのか判断が難しいからだ。
過酷な冒険者業界において、パーティやクランに属さずソロで活動しているという時点で、人格や素行に何らかの難があると判断されやすい。或いは、実力が極端に低いか。
特に低級冒険者であるアッシュの場合は、“どのパーティにも参加させて貰えなかった軟弱者”、“役立たずの足手纏い”、という目で見られることがしばしばあった。
「でも、僕が助っ人だなんて……。誰かと協力して冒険者活動をした経験もありませんし……」
どう応じるべきか、アッシュは迷う。
だが、力のある眼差しでアッシュに向き直っているローザが、アッシュのことを弱小冒険者と見做していないのは明らかだった。
「でも、アッシュ君が腕の立つ治癒術士だってことは、もう疑う余地は無いよ」
軽い口調ながらも確信を持った言い方するローザは、先ほどアッシュが治癒した左腕を一瞥し、それから、肩に担いだ魔導ショットガンを軽く揺らしてみせる。
「この魔導銃って強力だけど、弱点も多くてね。弾薬も無限じゃないし、その弾薬費用だってバカみたいに嵩むし……。何より、撃つ時に魔力も大量に消費するからさ。考えなしに撃ちまくると、魔力も体力も吸い取られて、あっという間に干からびちゃうんだ」
落ち着いた口調のローザは、自分で自分の状況を確認するようでもある。
「だから魔導銃を扱う際には、治癒術士か神官に同行して貰えるかどうかは、すごく重要なんだよ。体力と魔力を回復させる魔法薬も持ってきてるけど、それにも限りがあるし」
軽い声音で言いながらも、油断なく周囲に視線を巡らせる今の彼女からは、経験豊富な上級冒険者としての貫禄が漂い始めている。かと思えば、すすすっと猫みたいにアッシュの隣まで近づいてきた。
「それにほら。今の私って、パーティから逸れて孤立状態だし? キミみたいな優秀な治癒術士が同行してくれるんなら、心強いんだけどな~?」などと、やっぱり猫みたいな口をつくって冗談めかしてみせる。
「困ってるお姉さんを助けると思ってさ。私の同行依頼、受けてくれない?」
ローザは左手に持ったショットガンを肩に立てかけるように担いだまま、アッシュの顔を覗き込んでくる。そして、右手で拝むようなポーズを作った。気安くも嫌味のない、お姉さん風味の仕種だ。
「依頼料だって、この場で前払いしちゃう。いきなりの依頼だし、こっちの都合を優先してもらうことも考えて……、100万でどう?」
軽快な口振りのローザは、アイテムボックスから1枚の硬貨を取り出してみせた。分厚くて大判な白金硬貨で、薄く緑がかった光沢を纏っている。
100万ジェム合金硬貨だ。
主に大富豪や貴族などが扱う特別な硬貨で、普通の買い物などでは滅多に使われることのない代物である。実物はアッシュも初めて見たが、そんなものをダンジョンに持ち込んでいること自体が、目の前のローザに冒険者としての凄みを与えていた。
「まぁ、お守りみたいなものだよ」
驚いているアッシュを見て、ローザが片目を瞑ってみせる。
「纏ったお金を持ち歩いておくと、いざという時でも、他の冒険者に協力をお願いできるでしょ? まさに、今みたいにね」
「そ、そんなには頂けませんよ」
提示された金額に改めて気圧されながら、アッシュは慌てて首を振った。そもそも、同行依頼料の相場はそんなに高額ではなかった筈だ。
同行依頼を受けた冒険者は、同行した冒険での依頼報酬は勿論のこと、採取した魔法薬用素材、それに魔導鉱石などからの収益についても、同行したパーティ同様に取得する権利をギルドからも認められている。
そういったことも踏まえて、同行依頼料は高くても50万ジェムほど。100万ジェムもあれば、1等級の冒険者にだって同行を依頼できる額ではないだろうか。
「まぁ、それぐらいは支払うつもりがあると思ってくれて構わないよ。私は真剣に、アッシュ君に同行して欲しいと思ってるから」
静かに言い切るローザの瞳の奥には強い光が蹲っていて、声にも芯が通っていた。この依頼が本気のものだと分かる。アッシュの等級には関係なく、治癒術士としてのアッシュを彼女は必要としているのだ。
そんなローザの言葉を受け止めて、アッシュの心の奥がザワついた。
周囲のダンジョン通路の暗がりが、さっきよりも増したような気さえした。
――“お前は無価値だ”
――“お前は無意味だ”
あのローブの男の声が、頭の隅で甦ってくる。
生々しい輪郭を備えた、あの悪夢からの声だ。
そして同時に、自分自身の過去からの声でもある。
「……分かりました」
無意識のうちに、頭の中で木霊する男の声に抗おうとしたのかもしれない。アッシュは自分でも気づかないうちに拳を握り締め、ゆっくりと頷いてしまっていた。
普段のアッシュなら断っていただろう。だが、目の前のローザが真剣にアッシュを求めてくれる言葉と態度に、本来なら動くはずのない心の何処かが揺り動かされた。
「その……、僕で良ければ」
「ほんと!? やたっ!」
「でも、そんなに高額なお金は、やっぱり受け取れません。ローザさんの期待に応えられない場合も十分にあります。ですから依頼料については、また後で相談させて下さい」
「……そっか。うん。分かった。アッシュ君がそう言うなら、また後でね。さっきの治癒魔法のお礼も含めて、ちゃんと話をさせてよ」
アッシュを真っすぐに見つめるローザの目は、どこまでも真摯だった。きっと彼女は、約束や恩、義理を大事にするひとなのだろう。
「でも、ありがと。依頼を受けて貰えて、ホッとしちゃった」
同行を了承するアッシュの返事を喜んでくれたローザは、合金硬貨をアイテムボックスに仕舞ってから、右手に嵌めたゴツイ手袋を脱いだ。そして右の掌をゴシゴシとコートで拭って、アッシュの右手を握ってくる。
「よろしくね! アッシュ君」
彼女の手は白く、しなやかでありながらも、冒険者らしい硬さと筋肉が詰まっている。過酷な職業を生き抜いてきた者の手だった。
しっかりと力が籠められた握手も、アッシュのことを対等だと認めているだけでなく、アッシュからも信頼して貰おうとするローザの意思が滲んでいるように思える。
「此方こそ、ょ、よろしくお願いします」
彼女の堂々とした礼儀正しさに応えるべく、アッシュも握り返す力を籠めてから気付く。
ローザの右手、その5本の指すべてに、幾つも指輪が嵌っている。そのうちの幾つかはアイテムボックスとしての機能を備えた指輪なのだろうが、それ以外の指輪も、非常に高価で便利な魔導アイテムであろうこともすぐに分かった。
『おい、ローザ。何かごちゃごちゃ話してる声が聞こえてくるけどよ。お前の傍に誰か居んのか?』
ローザの右手の、その人差し指に嵌っている指輪から、威圧感のある女性の声が聞こえてきたからだ。低くて、凄みのある声音だった。
先ほどローザが言っていた通信用の魔導アイテムとは、この声が聞こえてくる指輪のことで間違いないだろう。
『まさか、トロール共に囲まれてるんじゃねぇだろうな?」
「違うって、カルビ」ローザは軽く答えた。「運よく治癒術士の男の子と会えたからさ、怪我を治して貰ってたの」
『へぇ。アタシ達の他にも、別のパーティかクランが降りてきやがったか』
「まぁパーティと言うか、その子はソロなんだけどね」
『……あぁ、なンだと?』
指輪からは怪訝そうな声が返ってきたが、「取り敢えず、こっちは問題ないよ」と、ローザは特に応じず話を進めていく。
ローザが仲間と会話をしている間、アッシュは黙っておくことを選んだ。今のタイミングで話に割って入れば、彼女達の話を余計な方向へ脱線させるような気がしたからだ。
「そっちは今どんな感じ?」
『さっきも言ったが、アタシ達の方は特に問題はねぇ。だが、気分は最悪だ』
指輪の向こうで、低い声の女性が舌打ちをした。
『ここまで落っこちた時に、緊急防御用の結界指輪まで使っちまったからな。マジで大赤字だ』
「その御蔭で2人が無事なんだから、安いもんだよ」
『命あっての物種って言うつもりなら、今回の探索は切り上げた方がよさそうだ。どう考えても、さっきのシャーマンは普通じゃなかったからな。……なんか嫌な予感がするぜ』
『私も、いつもとダンジョン内の雰囲気が違うように感じるわ』
そこでまた、違う女性の声が此方に届いてきた。少し冷たい感じのする、透き通って落ち着いた声音だった。
『すぐに私達も9階層に戻るから、ローザも無理はしないで』
「了解。さっきも言ったとおり、私も“大階段”の前に向かうから」
『えぇ。すれ違う心配が無くて良いわ』
『“大階段”か……。9階層と10階層を繋いでるトコだよな』
「うん。そっちにはネージュも居るから大丈夫だと思うけど、迷わないでよ? さっきも言ったけど、私達の合流ポイントなんだから」
『迷うかよ。20階層までの地図は頭に入ってるっつーの。言っとくがな、方向音痴なのはアタシじゃなくてネージュの方だぜ。コイツ、澄ましたツラしているけどポンコツだからな』
『……誰がポンコツですって? 前に来たとき、ここの通路を崩落させかけた大馬鹿は誰よ?』
『うるせぇよ。アレは通路自体が老朽化してたんだろ。アタシの所為じゃねぇ。魔法攻撃だって、普段から慎重に加減してンだよ。実際に通路をぶっ壊して崩落させたのだって、アタシじゃなくて、あのシャーマンだろうが』
ローザの嵌めた指輪の向こうでは、2人の女性が言い合いを始めそうな気配である。このトロールダンプの探索にも慣れている様子であるし、やはり腕の立つ女性冒険者なのだろう。
今の遣り取りの中にも、“カルビ”、“ネージュ”という名前が出てきていた。恐らくだが、ダンジョンの崩落によって下層に落ちてしまったという2人の名前に違いない。
やはり有名な上級冒険者なのだろうか。ギルドの掲示板前、あるいは窓口前の混雑の中で、他の冒険者達がその名前を口にしていたような気がする。
ただ、気がするというだけで、確かなことはまるで知らない。上級冒険者であるローザのことをもっとよく知っていれば、彼女の仲間についても思い当たるものがあったのだろうが、今のアッシュに分かるのは彼女達の名前だけだ。
「まぁまぁ、2人とも。そのへんにしといてよ」
軽い溜息交じりにローザが宥めると、指輪の向こうが静かになって、舌打ちと鼻を鳴らす音が返ってきた。
『そう言えば、さっきトロール共が壁に穴を掘ってやがったぜ。新しい通路を作るつもりなんだろうが、ああいう堀りかけの穴は暗がりだと分かりにくい。ローザも用心しろよ。あぁ、それと……』
カルビと呼ばれていた女性の声が、心配そうに一瞬だけ沈み、それを誤魔化すように舌打ちをした
『エミリアとの通信が繋がらなくなった』
名前からして、エミリアというのは女性であり、ローザ達の仲間であることはアッシュにも分かった。
『まぁ、通信指輪が壊れただけかもしれねぇが』
『えぇ。さっきからエミリアの通信音質だけ、やたらガビガビだったものね』
「私も多分、指輪の不具合だと思う。……まぁ、トロールにやられてるってことは無いだろうからさ」
即答するローザの口調には、楽観も悲観もなかった。
エミリアという女性の身を案じながらも、無事であると前提とすることで、余計な感情を動かさないようにしているのかもしれない。
「さっきも通信が繋がってたときには、うるさいぐらいに元気だったし」
ローザの口調は希望的観測を語るものではなく、自分と、仲間に言い聞かせるようでもある。
『……まぁ、確かに。アイツは殺しても死にそうにねぇな。仮に死んでも、“オーッホッホッホ!”って笑いながら復活してきそうだ』
『言えてるわね。……そういえば、エミリアって方向音痴だったかしら?』
『いや、アイツは方向音痴っつーか、勘だけで自信満々に動き回るからな。じっとしてることが苦手で、連絡がつかねぇと合流できないタイプだ』
『我がパーティメンバーながら、なかなかの厄介者ね……。とにかく五月蠅いから、トロール達を合流地点に引き連れて来そうだし』
『言えてるぜ。十分あり得るな』
カルビ、ネージュと呼ばれていた2人の女性の声に、苦笑と溜息を堪えるような気配が混じる。
彼女達の口調からも、エミリアという女性冒険者を悪く思っているワケではないようだ。寧ろ、こういった遠慮のない軽口の類は、彼女達が互いを信頼している証なのだろう。
「合流地点が“大階段”のフロアだってことは、エミリアにも伝えてあるから大丈夫だって。まぁ、トロール達を引き連れてきたら、その時はその時ってことで。っていうか、流石に誰もエミリアのことを心配しないのは、ちょっと可哀そうだよ」
ローザは少しだけ笑ってから、この通信での遣り取りに区切りをつけるように、少しだけ声を引き締めた。
「取り敢えず、私は今から“大階段”フロアに向かうよ。エミリアも私と同じフロアにいる筈だから、案外すぐに落ち合えるかもしれないし。とにかく、2人も階層を上ってくる時には気を付けて」
大事なことを確認するようにローザが言うと、指輪からも『おう』、『えぇ、また後で』という返事と共に、彼女達が頷くような気配も返って来る。
特に命令するでもなく、仲間達に行動と注意を促すローザの姿を見ていたアッシュは、どうやら彼女がパーティのリーダー役なのかもしれないと思った。
「さて、それじゃあ私達も行こっか」
仲間との話を終えたローザは、右手に手袋をはめ直した。それから身体の感覚を確かめ直すように首や肩を回して、腰のホルダーに差してある大型の魔導拳銃に触れた。
「こっちも準備OK、っと……」
小さく呟き、それからジャケットについてあるポケットを順に確かめたローザは、アッシュにウィンクをしてみせた。
「今のところは弾数にも余裕があるし、私が前衛、アッシュ君が後衛ってことで」
続けて、「お姉さんが護ってあげる」なんて言いながら、ローザは自分の胸を張るようなポーズを取った。
アッシュは今まであまり意識していなかったが、改めて思った。彼女は本当にスタイルが良い。
お尻と乳房は豊かなのに、腰はきゅっと締まっていて、しなやかそうな太腿にもボリュームがあるのだ。豊満だが引き締まった彼女の肢体は、力強い躍動感に満ちていながらも、健やかな色っぽさを纏っている。
「ぃ、いえ、前衛は僕が出ますよ。少しくらいなら、僕も近接戦闘が出来ますから」
アッシュは何となく気まずさを感じて、大きな乳房をぐぐぐいっと強調するポーズのローザから視線を逸らす。
「その気持ちはありがたいんだけどね~。アッシュ君の後ろからだと、気兼ねなく撃てないしさ」
魔導ショットガンを構えてニヤリと笑ったローザに、アッシュは「わ、分かりました」と頷くしかなかった。魔導銃の威力はアッシュも正確には知らないが、その射線上に入るのが不味いことぐらいは分かる。
斥候としてアッシュが通路を先行することも可能だが、その間はローザを1人にしてしまう。何かあったときにローザを守ることができなければ、同行の依頼を受けた意味が無い。
ローザが無事に仲間と合流し、ダンジョンから帰還することが最優先である。ならば、アッシュは彼女をカバーするための後衛に就くべきなのだろう。
「この階層の地図は覚えてるから、私が前にでるよ。合流ポイントまで着いてきて」
軽快な口振りのローザはショットガンを手に、迷いなく通路を歩き始める。ダンジョンの薄暗がりを突き進むようでありながらも、彼女は決して無警戒で軽率に進んでいるワケではなかった。
周囲への注意を決して怠らず、通路の分かれ道に差し掛かれば、常にアッシュを庇うような位置取りになってくれる。
勿論、アッシュもただローザの後ろに隠れているわけでない。何かあればすぐに飛び出せる位置について、ローザのあとに続く。周囲に、特に後方への警戒に気を張る。
何度か杖を握り直しながらアッシュは、誰かと共にダンジョン通路を歩いていることを意識し、緊張もしていた。
ソロではない冒険者活動は、これが初めてのことだった。
自分以外の誰かが傍に居る。その状況はアッシュにとって、心強さよりも不安と自責を覚えさせた。
自分は、役に立てるのか?
与えられている役割を、十分に果たせるのか?
ローザの信頼に応えられるのか?
“役割”――。
養護院で言われた言葉を思い出す。
どんな人間にも、相応しい“役割”があるのだと。
使命や運命と言い換えてもいい。
それは他者を支え、助けるためのものだと。
アッシュの意識の隅を、そういった記憶が過ったときだった。
「あぁ。そうだ。一応、訊いておきたいんだけどさ。アッシュ君は治癒魔法の他に、攻撃魔法とか補助魔法も使える?」
ダンジョンの通路を進みながら、ローザが振り返らずに訊いてくる。
「いえ、僕はその、治癒以外の魔法を殆ど扱えなくて……。すみません……」
アッシュは謝りながら、全く同じようなことをレオンにも尋ねられたことを思い出した。
あの時のレオンと同じように、アッシュに対してローザも失望するだろうという予感もあった。
だが、肩越しにアッシュを振り返ったローザは「一応、訊いてみただけだから。謝ってもらうことなんてないよ」と、ヒラヒラと手を振っただけだった。
「治癒魔法ってさ、治す方も治される方も、魔力とか精神力とか、それに生命力もめちゃくちゃ使うんでしょ? 体の損傷を治癒、再生させるか代わりにさ」
「えぇ。……傷を塞いだりするならともかく、肉体の欠損を再生したりした場合は、その治癒術士と怪我人、その両方の寿命を10年単位で損耗させるというのは、僕も養護院で教わりました」
「やっぱり治癒魔法って、基本的には諸刃の剣だよね~。頼りになるけど、頼り過ぎると身を滅ぼすって感じで」
ダンジョン通路の前方に向き直ったローザは、治癒魔法の便利さと危険さを、改めて納得するように溢した。
「えぇ。医療に関わる現場などでは、治癒魔法の使用は必要最低限であることが遵守されていると、僕も聞いたことあります」
通路の背後を警戒しつつ、アッシュも頷いた。
ローザの言う通り、治癒魔法は冒険者の傷や怪我を治す強力な魔法だが、決して万能ではない。肉体の傷を塞いで癒す際に、術者と被術者の双方を消耗させるという欠点があるのだ。
治癒魔法の根本的な原理は、生命力の循環と消費だ。
治癒術士は、自らの生命力を被術者に付与する。被術者側は、この付与された生命力によって、肉体の治癒能力を活性化させる。
治癒魔法による一連の生命力の消費とは、そのまま命の残量を目減りさせることでもある。そして被術者側の肉体の活性もまた、寿命の前借に近い。
翻って、この互いの生命の減縮をどれだけ抑えられるかが、治癒術士の腕に掛かってくる部分だった。
先程のローザの腕の損傷を治癒した時も、アッシュは出来る限り、ローザと自身の体力、寿命を削らぬように細心の注意を払っていた。
もしもアッシュが下手をしていれば、ローザの寿命と体力を大幅に奪うだけでなく、アッシュ自身も魔力と体力を消耗してしまい、互いに暫くは身動きが取れない状態になっていた可能性もあった。
治癒術士は基本的に、負傷者の傷の癒すのに必要な分だけ、慎重に治癒魔法を扱うことが求められる。治癒術士としてギルドに登録されるにも、治癒術の精度、精密さが一定のレベルを超えていなければならない。
「それに治癒魔法ってさ、とにかく扱いが難しいんでしょ? 神殿からギルドに派遣されてくるベテラン神官職の人とかでも、大半が治癒魔法に特化してるもん」
「そう……、ですね。治癒魔法だけではなく、攻撃や補助魔法も扱える方は、神官の方々の中でも少ないと思います」
アッシュは頷きながらローザに答えて、オリビアのことを思い出していた。
彼女は確か、治癒魔法の他にも補助魔法を操り、神聖魔法や結界魔法までも駆使する神官だったはずだ。
リーナ達のパーティにおいて、オリビアの役割とは後衛であり回復役、そして戦闘補助である筈だった。幅広い魔法を扱うオリビアが非常に優秀な後衛であるということも、前にリーナから教えて貰ったことがある。
着実な経験を積んできているオリビアは、パーティ戦がどれだけ過酷なものになっても、その役割を十分以上にこなしてみせるのだろう。
「治癒も魔法攻撃も出来るとなれば、その神官さんは超凄腕だね。魔術士でも、たまに似たような冒険者がいるけどさ」
「強力な魔法も使えて、回復まで自分で行えるなら、その魔術士の人もソロだったのでしょうか?」
今まで他の冒険者に殆ど関心を持ったことは無かったが、何となく、アッシュは訊いてみた。通路前方に広がる薄暗がりを見据えていたローザは、そこでちょっとしみじみとした声を出した。
「いや、いくら凄腕とはいっても、魔術士ソロでの活動は難しいでしょ? この業界で1人っていうのは、やっぱりキツイよ。色々とね……」
何となく実感の籠った口調でもあったので、今は上級冒険者である彼女にもソロ冒険者だった頃があるのかもしれない。
「まぁ、それを言ったら治癒術士のソロっていうのも、かなり珍しいと思うけどさ。アッシュ君って、いつも今日みたいに難関ダンジョンに潜ってるの?」
「いえ、難関ダンジョンを選んでいるということはないですよ。ギルドの掲示板を見て、不人気で残っている依頼を受けたりすることが殆どです。その時々でダンジョンに潜ったり、森海に入ったり……、といった感じでしょうか」
「ふぅん。なるほどね~。じゃ、やっぱり今日は何か狙ってるものがあって、此処まで潜ってきたってワケだ」
「えぇ。一応、上位トロールを探しに来たんです」
「……ぇ、マジで言ってる?」
顔を若干強張らせたローザが、歩く速度を緩めて振り返ってきた。
「上位トロールなんて、30階層から下にしかいないでしょ? そこまで潜る気だったの?」
「え、えぇ。必要があれば、潜るつもりでした」
「いやいや……」
呆れながら絶句している様子のローザは、アッシュの装備を確かめるような目つきになった。そしてアッシュが、野宿用の魔導具を収納しきれないような、低性能のアイテムボックスの類を2つしか身に着けていないのを認めたのだろう。
「潜って帰ってくるだけで、多分、5日ぐらいかかるよ。私達も20階層までしか潜ったことないけど、15階層より下って、フロア自体もめちゃくちゃ広いんだから」
悪いことは言わないといった様子のローザの口振りは、明らかにアッシュを引き止めようとするものだった。
「そもそも30階層より下なんて、3つか4つぐらいのパーティがクランを組んで挑むような遠征階層だよ? トロールの数も多いんだしさ。それをソロでなんて……」
真剣な様子でローザが話している途中だった。通路の背後からだ。
「迷子のローーーザさぁぁぁぁん!! 迷子の迷子のロォォォォォザすわぁぁぁあん!!聞えていますかぁぁぁぁ!?」
このダンジョン内の不穏な暗がりを、力任せに押し流してしまうような、とんでもない大音声が響いてきた。
いきなりのことにビクッと肩を跳ねさせてしまったアッシュは、一体何事かと思った。ただ、ローザの名前を呼んでいることからも、これがトロールの咆哮などでないことは分かる。
「もうちょっと声の大きさを考えて欲しいよね~……」
小声で呟いたローザは、安堵と苦笑を堪え損ねたような顔になって、アッシュの背後を振り返っていた。その視線の先を、アッシュも追う。
「こぉぉぉのブリリアァァァンスゥパァーエレガァァァンスな
それは凛然として自信に満ち溢れ、高飛車で、傲慢さと愛嬌が同居した、女性の声だった。声の主は、ダンジョン通路の暗がりを脱ぎ捨てるようにして、アッシュ達の方に歩いてくる。
やはり、女性冒険者だ。
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