「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」

なごりyuki

「困ってるお姉さんを助けると思ってさ。……ね?」

第1話 悪夢の木霊


「やはり、お前は出来損ないのようだ」


 象牙色のローブを目深く被った男が、酷薄さを滲ませた低い声で言う。


「治癒魔法の他には碌な魔術も編めないとは。失望させてくれる」


 男の纏うローブには、深い紫色で禍々しい文様が描かれ、魔法金属による装飾も施されている。儀礼用の装束のような、物々しい代物だ。そのローブの奥で薄く息をついて、男は言葉を続ける。


「しかし……、まだお前には改良の余地がある」


 男の低い声が殷々と響く其処は、窓の無い石室だった。ランプなどの照明器具もなく、出入口として使われる、魔法合金で作られた重厚な扉しかない。


 石室の壁や床、天井には、魔法円と魔法陣が無数に描かれており、それぞれが青や赤、紫色の微光を漏らしている。


 無数に描かれたそれらは、対象者の肉体と精神を無理矢理に強化、あるいは改造するための邪悪なもので、禁忌魔法と呼ばれる類のものだった。


 冷たい空気とある種の厳粛さ、そして清冽な狂気に満たされた薄暗い石室の中央。


 無数の禁忌魔法にさらされているのは、灰色の髪の幼い少年だった。


 ローブの男の前に蹲る少年は、激しい苦痛を堪えるように荒い呼吸を繰り返し、呻きながら、何度か血の塊を吐き出している。


 少年の上半身は裸で、その胸や腕、背中には、禍々しい紋様がびっしりと彫り込まれていた。石室に描かれた禁忌魔法の光を受け取るそれらの紋様は、少年の肌の上で呼吸をするように明滅している。


 まるで、少年の肉体を魔力で焼いて、その内面に向けて刻みつけるかのように。


「……いいか、よく聞け」


 少年を見下ろすローブの男の声は、どこまでも冷酷だった。優しさや思い遣りなどとは無縁で、徹底的に無慈悲だった。


「お前は、魔王の魂を取り込むための“器”だ」


 少年は血を吐き出しながら首を曲げ、青みがかった灰色の瞳で男を見上げた。


「お前は人形に過ぎない」


 男の声は周囲の闇を纏いながら重みを増し、少年を圧し潰すかのようだった。足元に蹲る少年を見下ろしながら、男は淡々と言葉を付け足していく。



 お前は人形だ。

 造り出された道具だ。

 魔王復活の儀式のための、肉の触媒だ。

 

 お前の強靭な肉体と戦闘能力も。

 頑強な精神も、厖大な魔力も。

 それらを更に高めるための、これらの処置も。

 全ては、我々の目的のためだ。


 だが、お前は失敗作だ。

 どうしようもないガラクタだ。

 不全な塵だ。


 このままでは使いものにならない。

 何故か分かるか?

 理解できるか?


 男の声に応えるように、石室に描かれている魔法円と魔法陣が、乱脈な明滅を強めた。少年の身体に刻まれた紋様もまた、少年に苦痛を刻み込むように光を奔らせ始める。


 男の足元に蹲っている少年は獣のように呻き、血の塊を吐き出し、石床に額を落とすような姿勢になる。その少年を上から踏み潰すようにして、ローブの男は言葉を降らせ続けていく。


 そうだ。

 お前の内側に、お前の感情が芽生えつつあるからだ。

 そんなモノが発生しえぬよう調整してきたというのに。

 そんなものなどお前に、全く必要無いというのに。

 これは完全に誤算だ。


 お前は気付いていないだろう。


 お前の内に芽生えた感情は、お前の機能を阻害しているのだ。

 お前の内に育ちつつある自我は、お前の機能を侵害しているのだ。

 

 お前は、お前自身であるべきではない。

 お前自身など、在ってはならない。

 

「……いいか、よく聞け」


 ローブの男は再び繰り返した。自らが語る言葉を、少年の内部、その奥深くへと刺し込み、抉り込ませるかのように。


 お前の身体も心も、断じてお前のものではない。

 お前の苦痛も苦悩も、お前自身のものではない。

 お前の所有物など、この世に何一つ存在しない。

 

 お前の全ては、魔王への供物だ。

 お前の自我は“器”としての機能の一部に過ぎない。


 その自我に付随するお前の感情などは、圧倒的な不純物なのだ。


 まぁ……、我らの同胞の中には、様々な者が居る。

 感情こそが重要だと説く者も居るが……。

 だが、我々の団は違う。


 お前の感情など邪魔なだけだ。

 完璧な“器”に、感情など一切不要だ。

 お前の存在意義は、完全な魔王の“器”であることだ。

 

“器”であるお前の内部は、空僻でなければならぬ。

 完全な虚無と、空虚で満たされていなければならぬ。

 お前の自我と思考は、この空白を保持する殻なのだ。

 

 その殻の内部は、魔王の為の場所だ。

 断じてお前のものではない。

 感情などという余計なものを内包することは許さぬ。


 分かるか?

 私の言いたいことが分かるか?

 この話は何度した?

 1000度目か?

 お前も覚えていないだろうが、別にいい。

 何度でも言ってやろう。


 お前は、我々が降臨させる魔王の、その“器”となるための存在だ。

 お前という個の意識も感情も、そして魂にも価値はない。

 お前自身は無価値だ。無意味だ。

 お前に、生きる意味などない。

 お前の人生など、何処にも存在しない。

 お前は、必ず救われない。

 

 お前にとっての善は、我々に従順であることだ。

 我々の計画に隷属し、盲従することだ。

 お前が何かを判断することなど決して赦さん。

 ただ黙って、粛々と、我々の施しを受け容れよ。

 お前は人形であり、道具でしかないのだ。

 それを、決して忘れるな。





 そこまで男が語ったところで、アッシュは目を覚ました。


 一瞬、ここは何処だろうと思ったが、すぐに貸し宿のベッドの上だと思い出す。

 いつもの夢を見ていたのだと理解して、溜息が漏れた。


「痛……」


 ベッドから上身体を起こすと頭痛を感じた。自分の過去を夢に見た日は、決まって頭の奥が痛んだ。右手で額をおさえながら、窓を横目で見る。


 カーテンから滲んでくる陽の光は弱々しく、貸し宿の狭い部屋も薄暗い。枕元に置いてあった懐中時計を掴んで時刻を確認する。早朝だった。もう一度眠ろうにも、頭痛のせいで眠気は飛んでしまっている。


 アッシュはもう一つ溜息を吐いてから、ベッドから起き出して着替えることにした。まだ朝が早いため冒険者ギルドは開いてないが、各地のダンジョンに潜ることならできる。


 冒険用に買ったボディスーツに着替えながら、アッシュは自分の身体に視線を落とした。自分の胸や腕に黒々と刻まれた紋様は、先程の夢が現在に地続きであることを雄弁に物語っている。


 アッシュは薄く息をつく。鈍い頭痛がした。自身の装備を整えながら、机の隅に置いてあった仕事依頼の紙を手に取る。


 ギルドの掲示板に貼りだされていたが誰も手に取ろうとせず、最後まで残っていたものだ。記載されている依頼の内容は、ある魔物の討伐である。その討伐対象である魔物が出没するダンジョンに、今日は向かうつもりだった。


 アッシュは灰色のローブを着込みながら、ふと思う。


 もしも他の誰かとパーティを組んでいたのなら、どのダンジョンに潜るのかも、アッシュの独断で決めることは出来ない。少なくとも、メンバー達と話し合うことになっただろう。


 治癒術士としてギルドに登録されているアッシュは、今まで誰ともパーティを組んだことがない。いつも単独で行動し、遭遇した魔物を狩ったり、薬草や鉱石などを採取して稼ぎを得ている。


 アッシュのような単独の冒険者――ソロでの活動は危険も多いが、とにかく自由だ。


 何をするにも、アッシュが自分自身で決めてきた。だから、パーティやクランの仲間同士での話し合いといったものには、アッシュは無縁だった。


 誰かとパーティを組むのが面倒であるとか、他人が怖いという訳ではない。他者を信頼し、互いに協力しあう関係というものは素晴らしいものだと思うし、冒険者たちの結束を否定するつもりも全くない。


 しかしアッシュは、自分が誰かとパーティを組んでいる姿を上手く想像できなかった。


 果たして自分には、誰かから信頼して貰うような資格があるのだろうか。そんな風に、アッシュが自分自身に懐疑的な考えを持っているからかもしれない。


 こういった自問の類は結局、“自分は何者なのか?”という陳腐な設問へと着地する。そして最後には、“お前は人形だ”という酷薄な男の声だけが、いつも頭の中で鈍く響いて残るだけだった。


 「……いってきます」


 治癒術士としての杖を手にしたアッシュは、誰も居ない部屋へと言葉を放りこんでから貸し宿から外に出る。早朝の空は晴れていて、薄い雲が疎らに浮かんでいた。




“冒険者の楽園”、アードベル。


 アッシュが暮らしているこの都市は、堅牢で物々しい防壁によって囲まれており、まさに要塞と言った風情の超大型都市である。

 

 冒険者の楽園などと呼ばれるだけあって、このアードベルの周辺には彼らの仕事場となるダンジョンが多い。野生の魔物が跋扈する森海や廃鉱山、遺跡、それに加えて、魔王達の墳墓も幾つか確認されている。


 冒険者達はこうした活躍の場を求めて、大陸各地からアードベルにやってくるのだ。


 そして冒険者が集まるということは、彼らの活躍を支える鍛冶師やアイテム職人、魔法薬を扱う錬金術士などの仕事の需要も高まる。また、冒険者がダンジョンから持ち帰ってくる品々を目当てにした商人も、大陸各地からひっきりなしに訪れるようにもなった。


 こうして人が人を呼び、仕事が仕事を呼び続けた。

 数多の商品が各種業者を求め、市場と流通を求めた。

 他の都市へと繋がる街道も舗装され、交易も盛んになった。


 そうした循環が今も続いているアードベルは、大陸の中でも類を見ないほど非常に金回りのいい都市でもある。

 

 服飾関係のブランドショップが立ち並ぶ地区や、有名料理人たちが店を連ねる飲食街地区、あらゆる欲望に応えてくれると噂の淫楽街なども、大陸中の流行や話題を常に生み出し続けている。

 

 こういった商業区域は“号区”として仕切られており、それぞれが普通の地方都市ほどの広さがある。もしも上空からアードベルを眺めたならば、複雑に寄り添い合った都市の群れ、といった印象を受けるだろう。


 そんな広大で複雑なアードベルの中でも、特に猥雑で入り組んでいる冒険者居住区をアッシュは歩いていく。


 普段は騒がしくも物騒な活気に溢れた貸し宿の周辺だが、今は早朝と呼ぶよりも早い時間であるため、人通りは殆ど無かった。朝の賑わいが満ち始めるのも、もう少ししてからだろう。


 今の街道は、まだ微睡みの中に沈んでいるような冷たい静けさの中にある。その儚い静寂を壊してしまわないよう、街道を独りで歩くアッシュが、そっと息を吐き出したときだった。

 

「あっ! 雑魚アッシュじゃん!」


 街道の少し離れたところから、全く遠慮のない声が飛んできた。


「弱っちそうな後姿だから、すぐに分かったよ」


 彼女の溌剌とした声は、澄んだ早朝の空気によく通った。






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