47話 溢れる愛情
今日は12月25日。イブは家族と一緒に過ごして、今日は彼方とのデート。集合場所は駅前で、私たちと同じような予定のカップルや子供へのプレゼントを抱えたサラリーマンが闊歩している。恋人になって二ヶ月、とうとうこの日がやってきたかと感慨深くなる。
今日は恋人達にとって特別な日。こういった空気に当てられて、関係を一歩前に進ませるなんてこともあると思う。そう、例えば、私たちなら、そう、その……キス、とか。
キス、したいな。
私は彼方が好きだ。だから、大好きな恋人の口づけを望むのは当たり前。何度かデートをして、してもいいんじゃないかって雰囲気になったのは何度かあった。
でも、なんとなく彼方がまだそれを望んでいないって気がした。
別に彼方が私を好きじゃないと疑ってるわけじゃない。むしろ彼方は好きだってちゃんと伝えてくれてる。私が手を差し出せば優しく握ってくれるし、ふと声が聞きたくなって電話した時も楽しそうに話してくれる。
彼方は私を大切にしてくれてるって分かってる。でも、少し過保護に感じてしまう。蝶よ花よと慎重に丁寧に私に触れる。それが彼方なりの愛の表現だって分かってる。
でも、もっと私に触れて欲しい。もっと近くで、もっと深く彼方を感じたい。少しわがまま過ぎるかな。でも、だって、私は彼方の恋人なんだもん。身勝手なくらい貴方を求めてしまうのも許してくれたっていいじゃん。
なんて、誰に聞かせるでもない自己弁護をしていたら愛しい人の声が聞こえた。
「ありゃ、約束の時間の五分前のはずなんだけどな」
彼方は腕時計で時間を確認して首を傾げた。言えない、楽しみすぎて約束の時間の一時間前に来てソワソワしてたなんて。
彼方はいつも五分前か十分前に来てくれるけど、それ以上に私が早く来てしまう。理由は彼方と恋人になれて浮かれてるせい。夕方の冷たい風は少しキツかったけど、彼方とのデートの待ち合わせだと思えば苦じゃなかった。
「待たせちまったか」
「あ、ううん。私も今来たところだよ」
こんな寒い中で待たせていたと知ったら気を遣わせてしまうから嘘をついた。すると彼方は少しムッとした顔をして私に詰め寄った。
「嘘つくな。鼻、真っ赤だぞ」
どうやら冬の寒さは私の嘘を許してくれないみたいだ。彼方は手袋を外して、霜焼けで真っ赤になった私の顔に優しく触れた。
「まったく、今日は何分前に来てたんだ」
「い、一時間前……」
「一時間!? いくらなんでも早すぎるって。私が来るのは早くても十分前って知ってるだろ?」
彼方が私の無茶な行動に呆れながら、ポケットに入れていたカイロを私の顔に当てて温めてくれた。いつもはマネージャーとして私がお世話をするのだけど、デートの時はつい甘えてしまう。
「だって、彼方と早く会いたくて、居ても立っても居られなかったから」
「気持ちは嬉しいけどさ、まんまり無茶はしないで欲しいな。風邪引いたら心配だしさ」
彼方は私の頭を撫でながら、わがままを言う子供をあやすように柔らかい声で私に語りかけた。それが私の体を労る彼方の優しさだって分かってる。でも、クリスマスの魔力は私を凶暴にしてしまうみたいだ。
「彼方のためなら私はどんな無茶でもするよ。それくらい彼方が好きだから」
今日という日に一歩関係を進めたい。そんな願望を持った私は、彼方の過保護な態度を壊そうとした。少しくらい無茶したっていいんだよって、私は先に進むことを望んでるって、少し遠回しに伝えた。
「……ほんと心臓に悪い」
彼方はそう呟いて私を抱きしめた。
「可愛すぎてどうにかなっちまうよ」
「彼方……」
いつもならすぐに解いてくれる抱擁は、かなり強く、そして長く続いた。彼方の大きくて温かい体に包まれて、私の体も火照ってしまって、さっきまで抱いていた不満はどこかに消えていった。
「私も好きだよ。美鈴」
熱のこもった彼方の低い声に脳が溶かされて、バクバクと心臓を高鳴らせるだけで何も言えなくなってしまった。
「それじゃあ行くか。今日は私がエスコートするから楽しみにしててな」
「うん……」
彼方の抱擁から解放され、にこりといつも通りの眩しい笑顔を向けてくれた彼方に言われるがままで頷く。彼方のたった一言で脳が溶かされた私は、ぽわぽわとした頭で彼方に熱い視線を向けていた。今までにない彼方の湿り気のある熱い声に、今日の彼方は一味違うと確信した。
漫画だったら目の中にハートがあるであろう私の足取りは不安定で、心配した彼方は私の手を取った。
「今日の美鈴は手がかかるな」
「ん、ちょっと待って」
彼方が私の左手に触れた瞬間、私はそれを一旦離して手袋を取ってから手を繋ぎなおした。
「寒くないか?」
「彼方の手、おっきくて好き」
「んー、返答になってないぞー」
手を繋ぐなら直接触れていたい。手の甲に触れる外気は冷たいけれど、彼方と触れる手のひらの温かさと好きな人と手を繋いでいるという幸福で寒さなんて気にならなかった。
「彼方」
「ん? どうした」
「すき」
彼方の声で脳が溶けてしまった私はもうブレーキが効かない。彼方への愛で満たされた心から好きという気持ちがどんどん漏れて、脈絡なく言葉として外に出ていく。
そして手を繋ぐだけでなく、肩も引っ付けて体を彼方に預ける。それを彼方も受け入れてくれて、鍛えられた体で私を支えてくれた。
「今日は甘えたさんな気分か?」
「好き」
返事の代わりに彼方の顔を見上げて愛を伝える。すると彼方は一瞬固まって、頬が赤くなった。これは絶対にしもやけなんかじゃない。彼方の恋人になれた私はそんなことも自信を待って言えるようになっていた。
○○○
無事美鈴と合流した私は、一緒に電車に乗って目的地に向かっていた。無事に席を確保して隣り合って座ることができた。そして美鈴はずっと私の腕をつかんで離そうとしない。
いや可愛すぎないか???
電車に乗るまでは手を繋いで肩を引っ付けるくらいだったのに、席に座ったらいつの間にか手袋を外した右手を使って私の腕をがっちりホールド。そして離す気配は一切ない。
私の恋人が私のこと好きすぎるんだが???
隣で満足そうな顔をして私に肩に頭を乗せているのを見たら分かる。私のことめちゃくちゃ好きじゃん。普段は賢いのに、私に早く会いたいからって私が絶対に来ないってわかってる一時間前に集合場所に来てたし。語彙は豊富なはずなのに、途中から脈絡なく好きってばっかり言ってたし。
頼れるマネージャーとしての美鈴と、甘えん坊でIQが下がった私が大好きな恋人としての美鈴の姿とのギャップがたまらない。あの美鈴をこんなにメロメロにしてしまうなんて罪な女だな私は!
なんて自分を怒鳴ってみる。正直こんなテンションじゃないとやってけない。こんな可愛い美鈴の姿を見たら暴走してしまいそうになる。
両腕で私の腕をがっちりホールドしているということは、当然だが美鈴の控えめだが確かにある柔らかなバストがタッチしているのだ。ただでさえプッツンしそうな理性がマジでデンジャー。これで指摘してわざと当ててるって返されたら間違いなく私の理性が消し飛ぶ。よって指摘はあえてせず、目的の駅に到着するまで耐える選択をした。
それにしても今日の美鈴は火力が高い。特に駅に向かう前の満面の笑みでの好きがやばかった。ずっと顔に出さないように我慢していたが、あの時だけは照れて真っ赤になってしまった。きっと美鈴のことだから見逃してはくれないだろう。
私が最初に調子に乗って全力のイケボで愛を伝えたのがまずかったのかもしれない。それのせいで美鈴のリミッターが外れてしまったのだろう。
私の自爆じゃん。バカか?
まぁうじうじ言ってても仕方ない。とにかく今日の目標はクリスマスを楽しんで、最後にはキスをして関係を一歩前に進ませること。
現状では少し達成できるか不安ではある。でも何とか冷静さを取り戻して完璧にエスコートし、計画通りのロマンチックな状況でファーストキスを成し遂げなけれと心の中で改めて決意を固めた。
「次は星野駅ー、星野駅ー。お出口は左です」
ちょうどその時、私の決戦の地の名前が聞こえてきた。
車窓を覗けば暗闇を打ち消す聖夜の光が見える。きらきらと輝く光が私たちの未来の象徴であるよう願う。
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