第30話 夏の夜空の下で

 疲れてベッドで眠る子が出始めたころ、私は美鈴に砂浜に呼び出された。一緒に星が見たいとのことだ。なんともロマンチックで素敵な提案であり、受けないという選択肢は無かった。


 サンダルを履いて外に出ると、冷たい夜風が気持ち良い。空を見上げるのはお楽しみにとっておいて、すぐに美鈴の待つ場所に向かった。


 砂を踏み締めて美鈴を探すと、波打ち際に探し人は立っていた。ざーざーと寄せては返すさざなみを見つめていた美鈴は、私に気がつくと顔を上げて微笑んだ。


 夜の砂浜で月明かりに照らされて笑う美鈴は、まるでドラマのヒロインのような雰囲気を漂わせていた。今から告白シーンでも始まるのではないかという空気に、少し緊張しながら彼女に近づく。


「お待たせ」

「うん。こっちも急に呼び出してごめんね」


 波の音以外が消えた夜の砂浜では、相手の一挙手一投足が手に取るようにわかってしまう。この場所では一切の誤魔化しが効かない。


 誰もが憧れるロマンチックな雰囲気の場所に好きな人と二人きり。うっかり口を滑らしてしまわないか少し心配だ。


「それじゃ、さっそく星を見よっか」


 そう言うと美鈴は体を砂浜に投げ出した。思い切りが良すぎる行動に面食らって、砂浜に寝転がる美鈴を見下ろしたまま立ち尽くした。


「ちょっ、汚れるぞ?」

「いいじゃん。こっちの方が雰囲気味わえるでしょ」

「まぁ、そんなもんか」


 というわけで私も美鈴に倣って砂浜に寝転がった。沖縄の砂浜というだけあって、ざらざらというよりはサラサラとした砂は思ったより寝心地がよかった。


「おぉ」


 そして夜空を見上げると、満天の星空が広がっていた。私たちの住む場所では見られない無数の星々に目を奪われて、無意識に感嘆の声が漏れていた。


「綺麗だね」

「だな。こんな星空初めてだ。でも私、星座とかわかんねぇから綺麗だなーって感想しかでないわ」

「そっか、なら私が星座の見方教えてあげるね」


 美鈴は夜空を指さしながら星の見方を教えてくれた。そしてどの星を繋げば星座になるとか、この季節にはどんな星座が見えるかとかも教えてくれた。


 美鈴に星の見方を教わると、無数の星としか見えなかった星々の中から個性を見つける事ができて、夜空の見え方が一変した。


 美鈴はいろんな事を知っている。そして、その言葉で世界の見え方を変えてくれる。


 夜空の見え方が一変したのと同じように、あの日の応援でテニスの世界の中で見えるものが一変した。


 おかげで本気で強くなろうと思えるようになったし、プロになるという夢も現実味を帯びてきた。学校ではあまり目立たない美鈴は、私にとって何よりも大切でかけがえのない存在なのだ。


「ねぇ知ってる? あそこに見えるはくちょう座の一等星デネブって、太陽の二百倍大きいんだよ。あそこのさそり座のアンタレスなんか七百倍もあるんだって」


 初めて知った星の豆知識。一等星は周りの星よりは輝いてるけど、まさか太陽の何百倍も大きいだなんて。


「なんだか、美鈴みたいだな」


 そして、ふと思ったことが口をついてでた。


「えっ? どういうこと?」


 美鈴が私の発言に困惑の色を見せる。そりゃそうか、いきなり一等星みたいだって言われても分かりにくい。


 でも、理由を話せば美鈴も納得してくれるだろう。それくらい、私の中で美鈴と一等星がぴたりと重なったのだ。


「美鈴はさ、学校であんまり目立つ方じゃないだろ?」

「うん。まぁ、実際私って地味だし」

「周りの奴らはそう思ってるかもな。でも私にとって美鈴は、一等星みたいに他の奴らの中で一際輝いて見える存在なんだ」


 試合で私を応援してくれる人はたくさんいる。教室の中ではたくさんのクラスメイトがいる。だけど、私はその中から美鈴をすぐに見つけられる。


 他の誰と比べたって、私の視界の中で一番美鈴はキラキラと輝いてるから。


「それに、美鈴の応援は私に信じられないくらいすごい力をくれる。そうやって、みんなが知ってるわけじゃないけど本当はすげぇ力を持ってるってとこも似てる」


 美鈴の応援はチアリーダーみたいに派手なわけじゃない。でも、そんな太陽みたいな派手な応援よりも、美鈴の応援の方が何百倍も力になる。


「だから、美鈴は私の一等星なんだ」


 私の人生という星座を描こうとするなら、きっと中心には美鈴という一等星がいる。


 改めて振り返ると、いつの間にか美鈴は私にとってなくてはならない存在になっていたんだな。海香と委員長の恋を応援してた時の私に言っても信じないくらいに。


 美鈴がどれだけ大切な存在か確認できてなんだか満足した私は、さっきから黙り込んでしまっている美鈴の方を向いた。


 そこには、涙を砂浜に落としている愛しい人がいた。


「えっ、ちょ、大丈夫か!? もしかしてさっきの嫌だった?」

「ううん、ちがう、ちがうの……」


 あまりの衝撃に私が起き上がると、美鈴も起き上がって首を横に振って私の言葉を否定した。


「彼方が私の事を想ってくれてるって知れて、嬉しくて……」


 美鈴は涙を拭いながらそう言った。私は今までもずっと美鈴を大切に想っていたから、なんで今更そんな事をなんて思ってしまった。


 しかし、よくよく思い返してみれば私は美鈴の優しさを受け取るばかりで、私から大切だとか一番だとか言った事がないと気付いた。


 どれだけ想っていても、言葉にしなきゃ伝わらない。美鈴は何度も言葉にしてくれたのに、私はまだ一回だけだ。これじゃダメだ。


「そっか……ごめんな美鈴。今まで美鈴に甘えすぎてた。でも、これだけは知っててくれ。私はずっと美鈴の事を一番に想ってる」


 涙を流す美鈴を抱きしめて、いつしか美鈴がくれた言葉のお返しを、そして私がずっと思っていたことを伝える。


 すると美鈴は抱きしめ返して、私の言葉が伝わったと言うように何度も頷いた。


 そしてしばらくして美鈴の涙が止まった時、抱きしめていた手を離した。砂の上に座ったまま目を合わせ、美鈴は話し始めた。


「ありがとう。彼方の言葉が聞けて良かった。うん、おかげで改めて決心できたよ」


 決心。その言葉を聞いてもしやと思い身構える。そして、美鈴は微笑んでこう言い放った。


「栄養士になって、大人になっても彼方を支え続けるよ」


 予想外の方向からの衝撃に脳がぐらりと揺れる。将来なにをするかという高校生にとって重すぎる決断を、まさか私のためという理由でしてしまうとは。


「えっと、美鈴は本当にそれでいいのか?」


 まだ冷静になりきらない頭で美鈴に詳細を聞く。


「うん。鳳さん達から話を聞いて、私も彼方とずっと一緒にいられたらって思ったの。それにね、もともと人を支える仕事がしたいって思ってて。だから、そのどっちもできる栄養士が私の天職だって思ったの」

「そっか……」


 あまりにも強すぎる私への想いを何でもない事のように微笑みながら語るものだから、私は圧倒されてしまった。


「こりゃ、意地でもプロになんねぇとな」


 プロが現実味を帯びてきたとか呑気な事を言っている場合ではなかった。美鈴が栄養士になると決意したように、私も本気でプロになると心に刻まなければ。


「それじゃあ約束だね。彼方はプロに、私は栄養士になって大人になってもずっと一緒」

「あぁ、約束だ」


 捉えようによっては愛の告白とか、なんならプロポーズに聞こえるような約束。


 でも、いまそんな事を言ってしまったら顔がリンゴみたいに真っ赤になって会話が成り立たなくなってしまうだろう。


 だから、今はただ、目の前の愛しい人とかけがえのない約束を結ぶのに集中しよう。


 天に輝く一等星の下で、私達はかけがえのない約束をする。空気を読んだのか、この瞬間の夜の砂浜はさざなみすら黙り込んでいた。

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