第2話 途方
滝本家を追い出された鈴には、行く宛てはなかった。
親戚がいるという情報は聞いたことがなかったし、家の中で稽古の毎日だった鈴は外の世界を知らなかった。知らない道、知らない場所に一気に心細さが襲ってくる。これから一体、どうしたらいいのか。考えていても答えが出るはずもなく、鈴の足はただひたすらに滝本の家から遠ざかろうと前へ伸びてゆく。
草履で歩き続けているため、白かった足袋がどんどん汚れてゆく。こんなに長く歩いたことはない。方角的には、咲都の方へ向かっていると思われる。このまま歩きすすめても、鈴のこれからの居場所が見つかるかどうかは定かではなく、心の不安と戦いながら、ただひたすらに狭い歩幅で距離を伸ばしていった。
途中、何人かの人々とすれ違ったりもした。どこの誰かも分からない人々。それぞれの生活を送り、全くの他人である鈴が道を歩いていたところで、何処に行くのかと声を掛けてくれる人はいない。まさか鈴が家を追い出されて途方に迷っていることを知ってくれる人など、鈴が話さない限りは誰も気がついてもくれないのだ。
言ってしまったとして、それでも相手にされないのではないかと気になってしまった鈴はどうしても誰かに声をかけるということが出来なかった。幼い頃から引っ込み思案の鈴は、優しくしてくれる両親や使用人の人達にずっと守られて暮らしていた。見ず知らずの人に声を掛けたことなど一切無く、勉学もずっと家の中。どこかの学院に通うこともなかったので、友達を作るということもしたことがない。
ここに来て、過保護なことがこんなにも鈴を苦しめることになるのか。恵まれていた環境が急に無くなってしまった時の失望感は計り知れなかった。
誰とも会話ができないまま、歩き続けている鈴の足も限界が来ていた。休まずに進んでいたため、空腹の腹が唸り声をあげる。水を飲んで紛らわそうと、途中で道を外れて近くの小川に近づく。前日に雨が降っていたようで、小川の周りに生い茂る草が濡れていた。そんなこともお構いなしに、水を求めて足を濡らしながらしゃがみ込む。鈴の表情は疲れ果て、これからどうしようかと考えながら手のひらに零れ残る少量の水を口に運んだ。
「はぁ・・・・・・」
水を飲み込んだ息づかいと、ため息が混じり深く息を吐いた。透き通る水面が、鈴の曇った表情を映し出す。なんて酷い表情をしているのか。これでは桜姫に相応しくないと言われても仕方が無い。鈴の中でどんどん自己肯定感が弱くなる。
思えば稽古に失敗ばかりで何もうまくいくことが無かった自分には、初めからこうなる運命にあったのかも知れない。
自分ばかりが愛でられ、遠くで唇を噛みしめていた麗華を鈴は知っていた。そんな麗華がずっと気になっていた。麗華は鈴と仲良くはしなかった。話しかけるのはいつも鈴からで、その返事は素っ気ない物だった。
それでも、鈴はたった一人の妹と仲良くしたいとずっと思っていた。こんなにも自分ばかりを優先される事に疑問を抱いていたし、髪の色が違うだけでどうしてこれほどの差が生まれるのか全く理解が出来なかった。
それほどまでに両親を夢中にさせる、桜姫というのは一体何なのだろう。
未だに分からない未知の世界。桜姫と、首桜様との関係――。
「危ない!」
唐突に危険を知らせる声が聞こえて、水面の中の自分を見つめて考え事をしていた鈴はふっと顔を上げた。いつの間にか鈴に近づき、迫り来る狼の鋭い牙が、彼女の喉元を狙っていた。それに気づくのが遅くなった鈴は、容赦なく飛びかかる狼に為す術がなかった。
「きゃあああ」
思わず悲鳴をあげ両手で自身を庇おうとするが、そんなものは何の意味も無く噛みつかれるのはもう時間の問題だ。恐れで鈴は両目をぎゅっと瞑った。
その瞬間、グサッと鈍い音がして狼の怯む声がした。もう襲われていても良い距離感だったのに、一向にその気配はない。
鈴は恐る恐る、瞑った両目をゆっくりと開いた。
目を開けると、そこには見知らぬ青年の後ろ姿が立っていた。肩まで伸びた茶髪を、赤い紐で一つに纏めている。麻の着物に編み上げのブーツを履いていた。
狼は彼の前で倒れていた。彼が放ったと思われる槍の穂先が、狼の腹を深く突き刺しとどめをさしていた。その光景に驚いた鈴は、狼から逃れられた安堵と謎の青年の登場に混乱した。
「大丈夫か?」
振り返った青年は、座り込んでいた鈴にそっと手を差し伸べた。鈴は恐がりながらも、その手を素直に握り返した。立ち上がり、ようやく青年と同じ目線になる。
「あの・・・・・・ありがとう、ございます」
「危ないところだったな。この場所は野生の狼が多い、あまりぼーっとするのはおすすめしないな」
言いながら倒れている狼に目配せする。この男性が通りかからなければ、完全に鈴は噛み殺されていた。この状況がどれほど恵まれたものなのか、改めて理解する。
「すみません」
「俺に謝っても仕方ないだろ? そんなに足も濡らして。家は何処だ? 送ってやるよ」
「・・・・・・」
唐突に家の場所を聞かれ、鈴には返す返事が見つからなかった。そのまま俯き、黙り込んでしまう。
「どうした? 家はこの辺じゃないのか?」
鈴の様子を疑問に思い、男性は問いかける。俯き考え込む鈴。ここは、ようやく自分の素性を知ってくれる相手ができるチャンスかも知れない。その後はどうなっても良い。どうせこの青年が助けてくれなければ、このまま狼に噛み殺されていたのだから。
鈴は意を決し、男性に素性を告げることにした。
「家は・・・・・・ありません」
「家が無い? どういうことだ」
「・・・・・・両親に、勘当されました」
「勘当!? 一体、どうして」
「私が、無能だからです」
「無能!? 何だってそんな・・・・・・」
鈴の言葉は、青年の予想を遙かに超えるものだった。落ち込み顔が曇ったままの鈴。あまりの事の重大さに、青年は鈴のこれからを案じた。
「行くところは、あるのか?」
「それは・・・・・・」
その一言で、鈴に宛てがないことは青年にしっかりと伝わった。青年は腕を組み、しばし考える。
「なら、ウチに来ると良い」
「え?」
驚いた鈴は、男性の顔を見つめた。別に迷惑そうな表情でもなく、清々しくしている。
「行くところがなくて困ってるんだろ? 大丈夫、ウチには李苑様しかいないし、事情を話せばなんとかなる」
思いがけない誘いに、鈴は嬉しかった。ここまで誰一人にも話かけられず、今日寝るところにも困っていた。それがこんなタイミングで、親切にしてくれる人に出会えるなんて――。
「ありがとうございます」
鈴は安堵と共に、優しい言葉を掛けてくれる男性に感謝し深々と頭を下げた。
「ああ、俺は琉生。よろしくな」
「鈴です」
「じゃあ鈴、そうと決まれば早速行くぞ」
琉生は鈴の手を掴み、引っ張りながら小川の雑草を掻き分けて細道へ上る。そこには琉生が乗ってきた電動のバイクが主人の帰りを待っていた。
「さ。乗って」
「は、はい」
先にバイクに跨がった琉生に誘われ、鈴はバイクの後ろに座った。着物を着ているので、横向きで不安定だ。
「しっかりつかまってろよ」
「きゃっ」
声と同時にバイクが動き出す。乗ったことがなくかなり不安定な状態だったので、小さく悲鳴をあげながら思わず琉生の背中にしがみついた。動ずることなくバイクを運転する琉生の背中は、とても広く逞しかった。今まで地を歩いてきて疲れ切っている両足が、宙に舞い救われた気持ちになった。鈴は、その背中の居心地の良さに安堵し身体を預けた。
そのまま二人を乗せたバイクは咲都の都へと入っていった――。
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