“The fallen green”

“The fallen green”


 そう呟いて矢住が空を見上げると連られるように櫻井も空の同じ点に視線を移す。

 晩夏、もしくは初秋の入道雲を含む空が辺り一面を覆っている。雲のない地の部分の空の色が驚くほど青い。そこだけ切り取ればまさに抜けるような青空で、まさかその中に通称EITSと呼ばれる擬似生命体が隠れ、漂っていようとは到底信じられない。

「あの生物も同じ原因から生じたのでしょうか?」

 視線を空に捉えたまま、櫻井が矢住に問いかける。すると、

「不明ですね」

 すぐさま答えが返ってくる。

「それに、あのものたちが生物かどうかもわかりません」

 矢住が言い、ゆっくりと空の左右を見まわす。

 EITS(アイ・イン・ザ・スカイ)の元々の由来はハリケーン対策用の高分子吸収体だ。吸収対象は水。すなわち発生したハリケーンから水(雲)を奪い、そのパワーを低下させようというアイデアから生まれた化学物質だ。水を吸い込んだ高分子吸収体は、そのために膨らみ、重くなって海面に落下する。最初から大量の水に囲まれる/包まれると溶解するように設計され、またその基本骨格が天然物由来だったため、例えば生物不妊の原因として一九七〇年以来世間を騒がせ続けている環境ホルモンのような地球環境への汚染もない。そういった触れ込みで政府の研究開発補助金を得て研究された商品だ。

 だが――

 水を吸った高分子ゲルの中には、その内部に空気を取り込み、風船化したものがある。それが海の熱と空の気流バランスに驚くほど見事に適合し、空中浮遊物体となる。実際の形状は風船のような球体ではなく所謂レンズ型だが、そこまでは単なる化学物質の質的変化だ。

 それがどういう理由か、自分たちの群の下を通過しようとする物体に対し、敵対行動を採るようになる。まるで生物のような何ものかに変化したのだ。内部に取り込む空気の量と高分子ゲル外膜の厚みを巧みに調節する巨大凸レンズの集団となり、眼下を飛び抜けようとする軍の飛行機などに虫眼鏡攻撃を仕掛けるようになる。最初の飛行機事故は原因不明として処理される。だが調査を重ねるうち、徐々に事実が明らかとなる。最初の事故発生時期と近傍空域への飛来物降下の時期が重なったため、二重丸付の要調査対象となったのだ。

「しかし不思議なことに、少なくともこれまでは、地上や海面を移動するものに、彼らは攻撃を仕掛けてはきませんでした」

 櫻井が言う。

「もしあれが生物だとすれば、空中を浮遊しないものは敵=脅威とは認識されないのかもしれません」

「ええ、ですが同じ仮定で想像すれば」

 と矢住が応じる。

「かつて攻撃を仕掛けなかったから脅威と見なされなかった、と言えるかもしれませんよ」

 海面の反射光に眩しそうに眉を潜め、

「最初にあれと遭遇したアメリカ海軍巡洋艦艦長の判断が的確だったのかもしれません。改良型の索敵レーダーではじめてEITSを捉えたとき、ピーター・パウエル艦長は攻撃命令を発しませんでした。本国を出港する際、大統領から直接、現場での指揮権を与えられていたにも拘わらずです。さらに艦長は、関連機関の複数の研究者たちに連絡をとり、その回答を待ちました」

 沈黙。

「しかし、その判断はそれとして、パウエル艦長が接触に際してEITSに脅威を感じなかったとは思えません。攻撃するかどうかは別にしてですが……。今ですら――肉眼では捉えられませんが――EITSは上空を漂っています。彼らに特化したレーダーに、はっきりと影が映ります。巨大な空の毒クラゲといったところですかね? が、しかし、肉眼には見えない。臆病と仰られるかもしれませんが、見えない敵ほど怖いものはないと思いませんか?」

「われわれのことを認識していないのかもしれませんよ。……そういう意味では、脅威であっても敵ではない」

「もちろん攻撃命令は下されていないので、この艦の敵ではありません。その意味では、単なる調査対象に過ぎないでしょう。しかも優先度は低い。すでに生態系は明らかになっているのですから……。メカニズムの意味さえ問わなければ」

「海中のクラゲならプランクトンを食します。EITSが食べるのは太陽エネルギーだけです。完全なネゲントロピー体。そして増殖するための原材料は海の中にある。あのものたちにとって脅威の水の中にです。なにせスコールの時間には雲の上まで上がってしまいますからね。濡れないために……。原材料は水溶性です。普通なら、分散して濃度がどこまでも低くなり、回収できなくなるはずでしょう。それが、この濁った海とあのものたちは、どこかで繋がっているんですよ。人間が既に失ってしまった、自然――と言って良いのかどうか――と調和している」

「調和ですか?」

「もちろん、それは言葉の綾です。地球上の生物はすべて、わずかプラス/マイナス数キロの地球表面にある物質を原料にしています。生物も機械も、この船だって同じです。たったそれだけの原料から、すべてが作られているわけです。しかし、その程度でも調和できない/できなかった」

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