センチメンタル通り

sid

第1章 塀の上で

雨曝しの街角を、少年は見ていた。

一滴の涙も流さずに、ただ、土手の塀の上で、じっと見ていた。

彼は家には帰らない。帰る居場所を無くしたのだ。

親との大喧嘩の果て、傘も刺さずに彼は家を飛び出した。ドブ川によく似た感情と、地を打つ雨の音が、壊れた電子楽器のように不旋律を奏でている。

十二月の通り雨が、不思議と心地良かった。これで何度目の家出だろうか。そんなことを考えながら、川の波紋をぼーっと見つめていた。

この降り頻る雨を牛乳瓶にでも集めて、あの母親にぶちまけてやろうかなんてことも考えた。

……あぁ、彼に会いたい。

彼ならきっと、分かってくれるだろうな。

幼馴染の顔が、ぼんやりと脳裏に浮かぶ。孤独だった。

誘導灯の光すら、彼には優しげな投げキッスのように思えた。

ただ塀の上で、孤独を洗い流すようにじっと座ってうずくまっていた。

携帯電話が鳴っていることにも気づかずに。








________「あいつ電話出ねぇじゃん。何してんだろ……」

外は雨だし、奴を家に誘ってゲームでもやろうかと考えていたのに、何故か電話に出ない。黒崎 竜(くろさき りゅう)は、家出の少年、五反田 六通(ごたんだ ろくみち)と幼馴染の関係にあった。初めて会った日のことなんて、もう遥か遠い過去のことだ。

二人はどこへ行くにも、何をするにも一緒だった。いつもなら、携帯電話の向こうから元気ハツラツな声が聞こえてくるはずなのに。

「寝てんのかな……いやあいつ電話したら一発で起きるしな…」


………まさか。


嫌な予感が走った。前にも何度かこんなことがあったのだ。

「……いるとしたら……あそこか。」

竜はそそくさと支度をし、ビニール傘を刺し雨の世界へと繰り出した。






「………いた。」

予感は的中した。土手にそびえ立つ塀の上に、見慣れた奴がいた。

竜は濡れた階段へ慎重に足を運び、うずくまる幼馴染の方へ歩を進めた。

「……風邪引くぞ。六通」

すっと傘を六通の上に差し出すと、バッと顔を上げた。その俊敏さに、竜はちょっとビクつく。

「竜ちゃん!やっぱり来てくれたぁ!!」

さっきまでのアンニュイな態度が嘘のように、六通は元気よく竜に抱きついた。

「ちょっ、やめろおまえ!びしょ濡れじゃねーか!!」

「へへ、来てくれると思ってたよ。」

「おまえがなんかあった時はいつもここで黄昏れてるからな……また親か?」

竜の言葉に、六通は体を離れまた少し表情を暗くした。

「………うん。」

「やっぱりそうか……とりあえず家来いよ。ほれ。」

竜は、持参したバスタオルを六通の頭に被せた。雨に濡れた黄金色の髪から、水滴が滴り落ちる。

「お、ありがと。……やっ!」

「おいっ!抱きつくなって!!」

「へへ、竜ちゃんあったかい……」

「俺は寒いんだよ!!」

やれやれといった風に、六通を抱きながら塀を後にする。

「……悪いな。傘一本しか持って来てないんだ。」

「いいよ、こっちの方がいいもん。」

「ん、あぁ…うん。」

眠ってしまいそうな程に、六通は安堵の表情を浮かべていた。そんな六通を雨から守るように、竜は肩を濡らして歩いている。

しばらく歩くと、古ぼけた通りに入った。この通りの先に、竜の家がある。

竜が土手や六通の家に行くには、この通りを必ず抜ける必要があった。

故に、二人は数えきれないほどこの通りを歩いていた。とは言うものの、二人が幼少期の頃から全く変わってはいない。きっと、この通りは生まれてからまま今までずっと、この街に存在し続けたのだろう。

通りには、鄙びた木造の家屋や、生暖かい空気を吐く室外機、錆だらけの煙草の看板、今や廃墟と化したスナックなどがひしめいている。

完全に時間の流れに置き去りにされた通りだった。

だが、そんな所でも、二人にとってはかけがえのない思い出の通りでもあった。

「あ、着いた……センチメンタル通り。」

「あぁ、……雨降ってると余計に暗いなここ。」

「ここだよね、竜ちゃん。ちょうどあの辺。」

「ん?……あぁ、そうだっけか。」

「うん。俺と竜ちゃんが、初めて会った場所。」

「よく覚えてるねおまえは……幼稚園とかだろ?あの時。」

「へへ、忘れるわけないよ。」

「そんなおれらももう高校卒業だぞ!?ありえねぇよな。」

「うわーーーもうやだよお!!大人になんかなりたくない……」

「トイザらスのCMかおまえは……」

そうこうしている内に、通りを抜け竜の家に着いた。二人がいの一番に向かったのは、風呂場だった。

「よし!まず風呂だ!寒すぎるだろ外!!」

「竜ちゃん……湯船浸かっても……」

「うん、湯に浸からないと死ぬなおまえは。入れ入れ!!」

二人は誰に急かされる訳でもなく、素早く浴槽に飛び込んだ。男二人が入った浴槽は、滝のように湯を吐き出した。

「あーーーー……死ぬかと思った……。」

「……おまえ、どんぐらいあそこにいたんだ?」

「え、うーん……30分ぐらいだよ?」

「……おまえは1000数えろ。」

「そうさせてもらうよ……はぁ……」

六通は、ぐったりと浴槽の淵にもたれ掛かった。あえて、家で何があったのかは聞かないでいた。

「…そういえばさ。六通。」

「ん?」

「あそこってなんで"センチメンタル通り"って呼んでるんだっけ?」

「あぁ、えーとね……小学生の…三年とかの頃かな……。」






時は約10年前に遡る。当時の二人は、決まってあの通りで夕方まで遊ぶのだった。

「うわーー!!やっぱりりゅうちゃんつえー!!」

「へへーん、おれのベイのがつよいもんね!!」

「くそーーもっかい!もっかいやろ!!……あ。」

「もう5じだ!そろそろかえろ!」

「えーー!!」

「はやくかえらないと、ママにおこられるぞ!」

「うーん…じゃあ、りゅうちゃんのうちまでついてく!!」

二人は仲良く、通りを歩いていった。まだ幼かった二人には、その通りは何もかもが異様に思えてならなかった。

「………なんか」

「え?どうしたのりゅうちゃん?」

「なんか、ここ……さみしくなる。」

「さみしい?りゅうちゃんさみしいの?」

「うん……よくわかんないけど……」

「それしってる!!それね、せんちめんたるってゆーんだよ!!」

「……せんちめんたる?なにそれ?」

「わかんない!けど、ママがいってた!さみしいことは、せんちめんたるってゆーんだって!!」

「ふーん……じゃあ、せんちめんたるどおりだ!!」

「……どおり?なにそれ?」

「わかんない。けど、ママがいってた!」

「あ!おんなじ!!」

「ほんとだ!!」

何が面白いのか、二人はケタケタ笑いながら帰路に着くのだった。






「あー…懐かしいな、なんか。」

「ね。あれから今でも、ずーっとセンチメンタル通りだもんね。あそこは。」

「あぁ、……上手いこと名付けたもんだよ。あの頃の俺らにしては。」

「ほんとだよ!あの頃から天才だったのか…」

「……今が天才だとでも?」

「うるせーやい!!」

「はは、悪い悪い。……なぁ、六通。」

「ん?どしたの?」

「明日晴れたらさ、久しぶりにあそこ行かねぇか?」

「あそこ?」

「ほら、土手の……」

「……あぁ、あそこね!うん、行こう!!」

「よし、決まり!!じゃ、俺先上がるから、ちゃんと1000数えるんだぞ。」

「あ、忘れてた!!もーーのぼせちゃうよ!」

「ははは、風邪引いても知らねぇぞ!」

六通に笑顔が戻り、竜は内心安堵していた。

まるで、六通の孤独が湯気になって、空気の彼方へ溶けていくようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

センチメンタル通り sid @haru201953

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ