第15話 アメリス、見つかる
「アメリス様、乗り心地は大丈夫ですか」
「ええ、大丈夫よ」
騎手として馬車を操縦するヨーデルの言葉に対し、私はそう返す。今はマスタール州の検問所を出て、マハス公国とナゲル連邦の境目あたりを走っているらしい。ついさっき私が目隠しをして下された場所を通り過ぎたので予想は当たっているだろう。
馬車の速度は感じたことがないくらい速かった。道が悪いせいで揺れもひどく、油断していると座っている椅子から落ちそうになる。
「もうすぐナゲル連邦を抜けてマハス公国に入ります。そうしたらすぐに俺の村まで着くはずですから準備しておいてください」
馬車の荷台からちらりと見えるヨーデルは前を向いているため顔こそ見えないが、その気迫は背中から伝わってくる。緊張が私にも伝播して、気づいたら腕には鳥肌が立っていた。
私の仕事はここからだ、しっかりと村のみんなを説得して、すぐにマスタール州に引き返さなければならない。ふうと軽く息を吐き出し、心を落ち着ける。
その時であった。急に馬車が停車して、その反動で今まで一番大きな振動が荷台に響く。もう着いたのかしら、それにしては早いような気がするけど。
「ヨーデル、どうしたの?」
私は荷台からヨーデルに話しかける。彼は言葉で返事をすることはなく、こちらを向くと指を口に添えた。静かにしていろということなのか。すると彼は御者台から降りると、私にもジェスチャーで降りるよう指示してきた。彼にしたがって馬車を降りると、私に近づいてきて私だけに聞こえるような声で囁いた。
「アメリス様、聞いてください。先ほどから森林の様子が少しおかしい気がするのです。なんだか人気があるというか、どうにも違和感があるのです。馬車はここに置いて、あとは歩いていきましょう。もし盗賊やらがいるのだとしたら馬車は目立ちすぎます」
ヨーデルは真剣な表情で私に言った。私は道を挟んでいる森を見ても何も感じなかったが、彼が言うのならそうなのだろう。私は彼を信じて言う通り歩いて村に向かうことにした。
道の真ん中を歩いていては目立ってしまうので、少し森に入ったところを道と平行に歩いて進む。二人とも静かに歩いているつもりだが、足元は暗く稀に枝や葉を踏んでしまい、その音が響くたびに体がびくりとすくむ。
歩いていると、なんだがふくらはぎがむずむずするような感触が急に現れた。ヨーデルに少し待ってと言って、その部分を触る。するとその正体はすぐにわかった。うねうねとした体を這わせて、私の足を登っている気持ちの悪い物体であった。手触りだけでわかった。これは……ムカデだ。
……。
「きゃああああああああああ!」
こんなの叫ばずにいられる女性などいるのだろか。いや足元にムカデは這ってよじ登ってきているこの状況を何とも思わない女性などいるはずがない。
「どうしましたか、アメリス様!」
足を止めていたヨーデルがすぐに私に近づいてた。私が足を指差すと、素早い動作でしゃがんでから私のスカートを捲り上げて足を確認する。そして足を触り、その気持ちの悪い諸悪の根源を取り除いてくれた。
「なんだ、ムカデだったんですか。急に叫ぶからびっくりしましたよ」
「なんだとは何よ、すごく怖かったんだから!」
ヨーデルは大袈裟だと言っていたが、こんな経験したことがない。思わずその場にへたり込んでしまう。
「ほらアメリス様、先を急ぎますよ」
ヨーデルはしゃがみ込んでしまった私に向かって手を差し伸べてきた。彼の態度は不満であったが急がなければならないのは事実であり、私は彼の手をとる。
ヨーデルはぐいと繋いだ手を引っ張って私を立たせようとした。だがその力が思ったより強く、よろけてしまい今度は彼に体当たりをしてしまった。その反動で彼も転び二人して地面に倒れてしまう。
「もう、何やってるんですか……」
呆れたような声を出して私に言った。寝そべっている彼の胸に私が飛び込んだような姿勢になってしまう。私の耳がちょうど彼の逞しい胸筋に聴診器のように当たっているので、心音がはっきり聞こえる。鼓動はだいぶ早まっているようだ。彼も私と同じように緊張しているらしい。
「ごめんなさい、よろけてしまって。ヒールのまま来ちゃったから躓いちゃったの」
私は彼に返す。早くヨーデルの村に行かなければならないのに、何だか彼とくっついていると安心してしまい、どうにも起き上がる気になれない。それは彼も同じなのか、なかなか動こうとしなかった。
「……どうしてヨーデルはここまで私のことを慕ってくれるの?」
私は思い切って彼に尋ねてみた。私に恩があると言ってもここまでしてくれるのは正直釣り合っていない気がする。どうして彼はここまで私にしてくれるのだろう。
するとヨーデルの鼓動が急に先ほどよりも速くなった。言いづらいことなのだろうか。少ししてから、彼は口を開いて、それは……と言って言葉を切った。暗くて彼の表情ははっきりとわからない。
だが続いて聞こえたのは、彼の言葉ではなく、けたましい声であった。
「誰かそこにいるのか!」
私とヨーデルは驚いて、すぐに体を起こして二人であたりを見回した。すると気付かぬうちにあたりにはポツポツと火の玉が浮かんでいた。こんな場所で幽霊に囲まれるはずなどない。あれはおそらく松明だ。もしかして私がさっき悲鳴をあげたから気取られてしまったのだろうか。
「まずい、誰かいるようです。とりあえずここを離れましょう!」
ヨーデルが小声で囁いた。私もわかったわと短く返事をして彼の手を握って、手を引かれるまま進んだ。見つかってしまったら終わりだという緊張感が走る。
だが思い出してみると、今日の私はとんでもない厄日であった。追放から始まり、その後も踏んだり蹴ったりだ。何だか嫌な予感がする。
そしてどうにもその予感は的中してしまった。私は音もなく歩いていたのにも関わらず、思いっきり枝を踏んでしまった。バキッという気持ちのいい音がなる。声が聞こえたのは私の頬は嫌な汗がつたるのと同時であった。
「こっちから音がしたぞ! 十時の方向だ!」
火の玉から声が上がった。その瞬間火の玉が一斉に私たちの方向に押し寄せていた。それを見たヨーデルは方向を急転換して私の手を握ったまま走り出す。しかし農作業で日々鍛えている彼の動きに普段運動など滅多にしない私がついていけるだろうか。答えは否である。私は再び足をもつらせてしまった。
ああ、なんて使えない私なの! 足手まといにも程がある!
私の失態のせいで、あっという間に火の玉を持つ人間たちに囲まれてしまった。ジリジリと火の玉は近づいてくる。もう逃げ場はない。
「誰だ貴様ら、ナゲル連邦の兵士か! 名乗れ!」
火の玉のを持つ一人が叫んだ。下手に答えるとまずいかもしれないと思い、私は何も話さないことを選択した。相手の素性がわからないことには何も話せない。だがそれは逆効果であったらしく、彼らの一人が剣を抜く音が聞こえた。
どうしよう、このままでは殺されてしまう!
音と共に、そんな考えが唐突によぎった。ここで殺されてしまってはヨーデルは完全なる道ずれだ。どうにか彼だけでも救わなければならない。
そこで私はあることを思いついた。私、アメリスが追放されたことは広まっていないのなら、もちろん目の前にいる彼らも知らない可能性が高い。だったら私は彼らにとってマハス公国ロナデシア領を納めるロナデシア家の次女であるアメリスとして映るはずだ。
だったらそれを利用してこの状況を切り抜けられないか。少なくとも急に私が名乗りを上げれば、一瞬の隙が生まれる。その隙にヨーデルを逃がそう。私の身などどうとでもなれ!
握られていた手を離し、ヨーデルに小さく逃げなさいと呟く。そして彼の反応を見る前に私は松明を持つ人たちの前に出て、堂々と名乗った。
「私を誰だと思っているの? 私はアメリス、この領を治めるロナデシア家のアメリス=ロナデシアよ! どこの賊だか知らないけどこんなことしてタダで済むと思っているのかしら。わかったらさっさと正体を明かしなさい!」
全てハッタリだ。しかしこれで時間は稼げるはずである。どこの誰が囲んでいるのか知らないが、恐れなどしない、ヨーデルのためなら、ここまで尽くしてくれた彼のためなら。
しかしすぐに返事は返ってこなかった。何やらざわめき声だけが聞こえる。やがてその中から一人が出てきて、松明を自分の顔近くに近づけて私の前に立った。
もしかして尋問でもされるのかしら。
だがその人物は想定外の人物であった。
「アメリス様、本物ですか? なぜこんなところにおられるのです!」
声を発した人物は、私のよく知る人物であった。その声と松明で照らされた顔ではっきりと思い出す。忘れるはずなどない、ずっと私の側近の兵士として、一緒にいてくれた頼もしい騎士。姉の策略により引き離されるまで、私のことをずっと守ってくれた彼がどうしてここに……!
「もしかして、アルド?」
目の前で松明を持つ人物は、マハス公国ロナデシア領ロナデシア家専属兵団に属し、長年私の護衛の任務についていたアルドであった。
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