第35話

 廊下を突き進み、食堂の前で立ち止まって深呼吸を一つする。

 扉を少しだけ開けて覗き見ると、パクパクと朝食を頬張っている妹の姿が目に入った。

 いつも通りだ。

 12周目のような邪悪さはなく、純真無垢なセレナだ。


「さて、どうしたものか」


 食堂に入ることを躊躇ためらっていると、背中をどんっと押され、扉を開きながら二歩進んでしまった。


「ちょっと!?」


「失礼いたしました。お食事をお持ちしたのですが、前方不注意でした」


 専属メイドの一人は悪びれる様子もなく、先に行ってしまった。


「前方不注意って。紅茶しか持ってないじゃない」


 彼女は私の席にティーカップを置いて、椅子を引いた姿勢で待っている。

 セレナも私に気づいたようで食事の手を止めて立ち上がった。


「おはよう、リリーナ! 早くおいでよ! ご飯食べないと先に行っちゃうよ」


 怖くないと言えば嘘になる。

 今のセレナは12周目のことなんか覚えていない。彼女は毎回違う存在だ。

 頭では分かっているつもりでも体は動かなかった。


「失礼いたします」


 またしても背中を押され、無理矢理に席まで連れて行かれる。

 私の背後にいるメイドは椅子を引いて待機しているメイドとこれからの業務の話をしつつ、私を押し続ける。ついには「あら、リリーナ様、いらっしゃったのですか?」などととぼける始末だ。


 あれよあれよと席に着いた私の対面ではセレナが瞳を輝かせていた。


「うわぁ! お化粧を変えたのね! とっても綺麗!」


「うぐ……ありがと」


 あまりの可愛らしさに脳がついていかない。

 私としたことが、全然頭を切り替えられなかった。

 セレナは私の気など知らずに満面の笑みで食事を再開した。

 相変わらずの食べっぷりに感心しつつ、注がれたばかりの紅茶に口をつける。


「熱っ」


「大丈夫?」


「えぇ。大丈夫。ありがとう」


「今日はパーティーだから火傷しないでね。唇を腫らしてダンスなんて絶対にダメだよぉ~」


 両手で頬を押し込み、唇を突き出すセレナ。

 当然、声も変になる。


「ちょっと! やめなさいよ」


 突拍子もない行動と、その変顔に思わず吹き出してしまった。


「ふぇ〜、なんで〜?」


「お行儀が悪いし、可愛い顔が台無しよ」


「じゃ、やめる〜」


 ふてくされたように頬から手を離したセレナが小さく囁く。


「やっと笑ってくれたね」


 その優しい言葉は私の中に浸透し、恐怖心を溶かしてくれるようだった。


「セレナ」


 なるべく意識しないように13周目に集中しようとしていたけど、やっぱり無理だ。

 どこかで絶対に引きずってしまう。それなら最初から迷いを断ち切ってしまった方がいい。


「私には好きな人がいるの」


「えぇ!? 突然なに!?」


 ごもっともな反応に顔がほころぶ。

 確かに脈絡がなさすぎて意味が分からないと思う。でも、気にしないと決めた。


「ちなみにモブ・フヨウではないわ」


「なんで、心を読めるの!?」


「魔女だからよ」


「魔女なの!?」


 私は真面目に話しているし、セレナも純粋なリアクションをしているだけだ。別にコントをしているわけでない。

 それなのに周囲に控えるメイドや執事たちには私たちがじゃれあっているように見えるのか、口元を隠したり、顔を背けたりして笑いを堪えているようだった。


「私はラウル殿下も好きかもしれない」


「えぇぇぇえぇぇぇぇぇ!?」


 飛び出すのではないか、と心配になるほど目を見開くセレナにメイドさんが駆け寄った。


「でも、好きになりたくないの」


「むぅ。複雑すぎてどういう応援をすればいいのか分からないなぁ」


「応援なんかいらないわ。その代わりにセレナは自分のことだけを考えてほしいの」


 セレナは小首をかしげる。


「私にも隠している好きな人がいるでしょ?」


「ッ!?」


 明らかに動揺していた。

 多分、セレナはクリスティアーノとのことを誰にも話していないのだろう。

 父は勿論のこと、一緒に買い物に出かける仲である母にも。双子の姉にも。

 彼女は大切な思い出として、心の中の宝箱にしまっているのだ。

 だから、こんなにも驚いたのだろう。


 宝箱をこじ開けるような真似をして申し訳ないと思うけれど、こうしないと彼女は強くなってしまう。

 卑怯だけど、彼女の弱みを100パーセント引き出すと決めたの。


「いい、セレナ? あなたとっての本当の幸せはあなたにしか分からない。だから、自分が幸せだと思えること優先してちょうだい」


「え、でも……」


 何かを言おうとするセレナに向かって首を振る。

 絶対に父との話はこの場で出させない。


「お父様はいいの。私は好きな人と結ばれることが本当の幸せだと思っている。だから、その未来に向かって進むわ。あなたも好きにしなさい」


 セレナは唇を結び、いつになく真剣な表情で私を見つめ返した。


「なんか突き放された感じ」


「そんなことはないわ。さぁ、学園に行くわよ」


 メイドさんが準備してくれた紅茶を飲み終えた私が立ち上がると、セレナも急いでパンを詰め込んで立ち上がった。

 玄関でそれぞれの専属メイドから鞄を受け取り、通学の準備を整える。


「ラウル王子以外にも好きな人がいるの?」


「今は教えてあげない」


 文句を言うセレナを振り向き、控えめに微笑む。

 するとセレナは諦めたのか、受け入れたのか、小走りで私の隣に来て自分の腕を絡めた。


「じゃあ、楽しみに待ってるね!」


 相変わらず、太陽に負けないくらいのまぶしい笑顔だ。

 私も彼女に負けないくらい笑いたい。

 この世界を抜け出すときにはそんな風に笑えるのかしら。


 振り子のようにせわしなく揺れている心の整理がつけられたなら、笑顔でこの気持ちを伝えられるのだろうか。

 セレナへの恐怖心は薄れたが、次はラウル王子やあいつに拒絶されることが怖くなってしまった。


「ほら、今日はパーティーだから顔を上げないとっ。せっかくお化粧したんだから!」


 セレナは私が足を止めることを許してくれない。

 腕を引いて馬車に押し込もうとしてくる。


「パーティーは夜だけどね」


 いつまでも怖がっていては前に進めない。

 少しでもポジティブになれるように、なるべく自然にセレナにつっこみを入れておいた。

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