第33話

 信じられない光景が目の前に広がっていた。

 宙に浮かぶ黒い人影。

 結んでいない金髪を風になびかせ、らしくない高笑いをする女性がゆっくりと降下してくる。

 空から舞い降りる黒い影は私の前に着地し、軽くスカートを摘まんでお辞儀した。


「私のことを呼んだ?」


「……セレナ」


不気味な笑顔に以前の純真無垢さは感じられない。鏡に映っていたリリーナよりも邪悪な笑顔だった。

 まるで人が変わってしまったかのような顔つきにラウル王子もクリスティアーノも驚いていた。


「きみが本当にあのセレナ・アッシュスタインなのか」


「だぁれ?」


 セレナは小首を傾げてねっとりとした声と話し方で問いかける。


「誰って……クリスティアーノよ! あなたの初恋の相手。リスティと出会えたのよ!」


「あぁ。私の愛しき人。久しぶりね。でも、私はもうけがされちゃったの。そこの姉にね」


 ゆったりとした動きで指をさされ、聞いたことのないドスの効いた声に気圧されて後退ってしまう。

 ガチガチと歯が震えていることに気づくまで時間がかかるほどに私は恐怖していた。


「今後はなぁに? 私の過去を掘り返して、リスティを差し出して許してもらおうって計画?」


「ち、違うっ! 私はただ、あなたの好きな人を探したくて」


「探してどうするの? 見つかって良かったね、で終わりではないよねぇ?」


「それはっ……」


「私に差し出して、怒りを沈めたまえ~ってお祈りするつもりだったんじゃないの? いい加減、認めなさいよ」


 反論できない私を見かねたようにラウル王子が矢面に立った。


「セレナ嬢。このような事態になってしまったのは全てわたしのせいだ。リリーナ嬢は関係ない。きみの気持ちを考えずに行動してしまったことをどうか許して欲しい」


 誠意の証として大勢の町人の前で頭を下げたラウル王子を一瞥いちべつして、セレナは髪をかき上げた。


「私の気持ちはどうだっていいんです。私はリリーナが嘘をついたことが許せないの。知っていますか? 私には何も話してくれないんです。ひどいですよね、双子なのに」


 セレナが笑う度に空が分厚い雲に包まれ、雷が鳴り始めた。


「私を無視して勝手に殿下と会って、話を進めて、利用して、捨てるなんて。絶対に許さない」


 セレナの威圧感と上空で起こっている現象に戦慄せんりつし、へたり込む。

 私はこの空を知っている。

 感情を爆発させるほどに勢いを増して天候が荒れ、やがて憎しみは世界全土を包み込む。そして破滅へと向かい、人々を恐怖におとしいれるのだ。


「あの文字を読めたの!?」


「そうよ。私はリリーナのために魔女になる。私がお姉ちゃんを幸せにしてあげるの。天国でラウル王子と結ばせてあげるね」


 邪悪な笑みを浮かべたセレナがクリスティアーノと一緒に空へ昇っていく。

 必死に抵抗しているクリスティアーノの足を掴んだラウル王子だったが、彼の足も地面から離れようとしていた。


「クリスティアーノ、王になる気はあるか!?」


「こんなときに何を!」


「いいから答えろ! 王になりたいか!?」


「なれるものならな! 父上は許さないと言うだろうが、国のために、国民のために、愛する人のためにオレは王になりたい!」


 その質問の真意は分からない。

 ただ、ラウル王子は満足したように手を離し、クリスティアーノがセレナに連れ去られる姿を見上げていた。


「立てるか、リリーナ」


「無理よ。足に力が入らない。それに闇の魔法が発動されれば、世界が滅びるわ。どこにも逃げ場はない」


 私が9周目に使用した魔法と同じものの準備が整えられているのが分かる。

 今は一般人で魔力を感じることはできないけれど、過去の経験からくる直感がそう告げていた。


「そうか。13周目の朝に目覚めたら、いつも通りに卒業記念パーティーに来い」


 私は返答できなかった。


「逃げるんじゃないぞ、セレナからも自分の運命からも。次は絶対に失敗しない」


「そんな自信、どこから来るのよ」


「俺を信じろ。絶対に現実世界に帰してやる」


 ラウル王子は11周目のあの時と同じように小指を突き出した。

 しかし、あの時と違って私は彼の小指に自分の指を絡められなかった。


「これ以上、希望を持たせないで」


「大丈夫だ。どんな手を使ってでも物語を終わらせる。約束だ」


 かつての私と同じこと言った彼を見つめる。

 私の心は折れかかっている。むしろ、一度折れてしまったものを無理矢理にひっつけている状態だ。

 満身創痍まんしんそういではあるが、彼の言葉を信じたいと心のどこかで思っている。

 震える手を伸ばし、彼の小指に自分の小指を近づけると、力強く引っ張られて引っかかるように絡まった。


「たった2回しか経験していないくせに生意気。……本当に信じていいの?」


「あぁ。俺もきみを信じる」


 これが12周目のフィナーレだ。もう残された時間は少ない。

 セレナが闇の魔法を使うならこれ以上は何をやっても無駄だ。だけど、これだけは伝えたかった。

 上空から見下ろすセレナに向かって、握り締めていたピンクサファイアのネックレスを突き出して叫ぶ。


「あの時、買えなかったものよ! 本当はお揃いのものが欲しかった! でも、無くなってしまうから買う勇気がなかったの! 一緒につけて町を歩きたかった! お父様やお母様にも自慢したかった! 顔を見合わせながら、綺麗だねって笑い合いたかった!」


 この声がセレナに聞こえているのか分からない。

 セレナが何か言っていても私には聞こえない。

 もう声はガラガラで声量も出ない。それでも胸の中でもやもやしているものを吐き出す。


「私はセレナを幸せにして、この物語を終わらせて、元の世界に帰るの! 絶対よ! だから覚悟しておきなさい! 私があなたにやられるのはこれが最後よ!」


 最後の力を振り絞り、ブルーサファイアのネックレスを首につけて空を睨みつけた。

 真っ黒な空の至る所から雷が落ちた。各地で炎が燃え上がり、叫び声が聞こえる。9周目とまったく同じだ。

 唯一、違うのは私が見下ろす立場ではなく、見上げる立場だということ。

 地上ではこんな惨状になっていたのか、と今更ながらに思い知り、心の底から人や土地に謝罪した。


 ラウル王子も逃げ出すような真似はせず、私の手を握って空を見上げていた。

 ピカッと光った何かが私たちを包み込む。

 無意識的に目をつむると聞こえていた阿鼻叫喚の声が聞こえなくなり、代わりに電子音でエピローグが語られた。


『こうして、史上最悪の魔女となったセレナ・アッシュスタインは世界全土を焼き尽くした。どんな手を使っても誰も彼女を止めることはできず、世界は彼女にひれ伏すしかなかった』


 私にとっての12周目かつ彼にとっての2周目もまたバッドエンドだった。

 私が経験した中で一番最低で救いようのない、地獄のようなエンディングだったことは言うまでもない。

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