crying pierrot

「……反省してるよ」


 そう言った朝日の声は低く澄んでいた。

 私をまっすぐに見る瞳も深く澄んでいる。

 まだ私に遅い帰宅を理由に怒られていると信じているのか、もしくは、それはで、実はとっくに本当の理由に気づいているのか。朝日のことだからわからない。


 後者だったらいい。

 ポンコツすぎる私はそう願うのに、ポンコツすぎるから、また素直になれない。


「……朝日なんかもう、戻ってこなければよかったんだ」


 声が震えてしまうのは、泣きそうなせいもあるけど、大部分は、自分の気持ちと正反対のことを口にする怖さのせいだ。


 言霊ことだまというものがあるって聞く。

 願いや希望を込めて吐き出された言葉は、思いの強さにもよるのだろうけれど、形になりやすいという。


 この部屋は殺風景で、人が暮らしているにおいみたいなものがしない。朝日が思い立てばすぐにでも、痕跡ごと姿を消すことは簡単なはずで、姿を消したい理由だってある。

 ただでさえお膳立てが揃っているのだから、なおのことこの言葉は現実になりやすいだろう。


 そこで、刑事たちが来たことを教えたら。

 朝日は迷わず、ここから出ていく準備を整え始めるに違いない。言霊だ。

 そうか。だから、私は朝日に何も伝えられないのだ。


 だけど、もし朝日が逮捕されて、罪に問われるようなことになったら、朝日はたぶん、生きてこちらに出てくることは二度とないと思う。そんなことになるくらいなら、朝日はここに戻ってこなくていい。

 朝日がいなくなることをバカみたいに恐れる一方で、そんなふうに考える私も確かにいるのだった。


 朝日は悲しい顔をする。


「言ったじゃん。私の願いを叶えられないって。叶えられないんじゃない。朝日は私の願いなんか、叶える気がないんだよ」


 これじゃ、まるで駄々っ子だ。

 これ以上朝日の顔を曇らせたくないのに、止められない。

 レインが落ち着かなそうに、私たちの周りをぐるぐると回る。ケンカしないでと言っているみたいだ。


「そんなことないよ」


 私の手の甲に重ねられた朝日の手のひらは、少しずつ温もりを帯びてきていた。まるで私の体温を吸い取っているかのように。

 怒った素振りをしながらも、信じられない素振りをしながらも、私はその手を振り払えない。


「嘘だ」

「嘘じゃない」

「嘘だよ」

「凛子には、嘘はつかない」


 私はほとんど泣いている目で、朝日を見た。


「僕は、三日間は、ここからどこにも行かない。それだけは絶対に叶えられる。約束だから」


 朝日の硬さのある声は、どことなく自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。


「……約束?」

「そう。約束」


 朝日は柔らかく笑んだ。


「本当に?」

「本当だよ。こんな殺し屋の言うことを、信じてくれるのであれば」


 約束。

 私と殺し屋の朝日との、最初で最後の約束。

 三日間だけは、朝日はここで私と一緒にいてくれる。


「……わかった。信じる」


 この世の中は信じられないことばかり。その中で、おかしいけれど、罪人である朝日のことだけは信じられると思った。信じたい。朝日が望んでいない約束だってかまわない。


 私は朝日の手を押し返すと、チェアを降りた。足元に散らばったカタバミの葉を拾い集める。この部屋にゴミ箱がないのを思い出して、ベランダに捨てにいった。

 それから、両手をパンパンと打ちつける。


「ラザニア、温め直す」


 朝日は床から腰を上げた。


「できるの?」

「うん。ほら見て、これ、皿とアルミホイルの二重になってるでしょ」


 私はテーブルの上のラザニアを指さす。


「アルミホイルから持ち上げれば、トースターで温められるから。まぁ、出来立てよりは味が落ちるけど」


 二人分の皿を持ってキッチンへ向かう私の背中に、朝日が呼びかけた。


「凛子」


 振り返ると、朝日はまた、涙の粒を描いたピエロみたいな笑顔を浮かべていた。


「今夜、出かけてくるよ」

「……どこに?」


 なんだか胸がさわさわした。


「……仕事が入ったんだ」

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