心強い味方

 王宮にある薔薇園にて。

 ルナとシャルルは夫婦水入らずでティータイムを楽しんでいた。水入らずと言っても、2人きりではなく侍女や護衛がついているが。

「ルナ様、本日の医学・薬学サロンではどういった議論をなさるのですか?」

 苺のミルフィーユの最後の1口を食べた後、シャルルはルナにそう聞いた。

「子供の呼吸器疾患の治療法及び、子供の予期せぬ体調不良への対策。それから、クリスティーヌの睡眠薬についてでございます」

 キームン紅茶を1口飲み、ルナは上品に微笑む。まるで女神のようだ。

「クリスティーヌ嬢は確か、ヌムール領で薬学を学ばれていた、タルド男爵家の令嬢ですね」

「左様でございますわ、シャルル様。今日クリスティーヌが直接論文をお持ちになりますの。わたくし、とても楽しみでございますわ。彼女の着眼点は非常に興味深いのでございます」

 ルナは薔薇が咲いたような優美な笑みを浮かべ、苺タルトの最後の1口食べた。

 その時、2人の目に王宮の庭を歩いているクリスティーヌの姿がルナの目に入る。

「ルナ様、クリスティーヌ嬢がいらしたみたいです」

 シャルルもクリスティーヌの存在に気が付いたようだ。

 クリスティーヌはピンと背筋を伸ばし、優雅に歩いている。しかし、表情は暗くドレスは濡れていた。後ろに控えるファビエンヌとドミニクも浮かない表情だ。

「クリスティーヌの様子が少しおかしく存じますわ」

 ルナはクリスティーヌの様子に気が付き、微笑みから一変して真剣な表情になる。

「確かに、召しているドレスが濡れております。普通はあのような濡れ方はしませんよね」

 シャルルも気が付いた。

「ええ、左様でございましょう。何があったに違いありませんわ」

 ルナはサッと立ち上がり、クリスティーヌの元へと向かった。シャルルもそれに続いた。






−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






(少し早く着いたわ。もしサロンが始まる前に女王陛下にお会い出来たら事情を説明しましょう)

 クリスティーヌは冷静に考えているが、表情は暗かった。

 その時、誰かが来るのに気が付く。

(女王陛下と王配殿下!)

 ハッとしたクリスティーヌはカーテシーをする。ドレスの裾は濡れており、いつもより重くなっていた。

「クリスティーヌ、おたいらになさってちょうだい。何かございましたのでしょう。お部屋を用意しておりますので、まずはドレスをお着替えなさって。風邪をひいてしまいますわ」

「……恐れ入ります」

 クリスティーヌはルナの柔らかな声に少し安心した。

 クリスティーヌは王宮の侍女に案内されて用意された部屋に入る。それから、用意されたドレスに着替える。とても質のいいドレスだったので、クリスティーヌは少し緊張してしまった。ちなみに、ユーグから貰ったマリンブルーのドレスは洗濯すればまだ着られる。よって王宮で洗濯してもらうことになった。

 部屋の扉がノックされる。ルナとシャルルだ。

「クリスティーヌ、ドレスのサイズはどうかしら? イザベルのお下がりで申し訳ないのだけれど、ご容赦くださいね」

「いえ、とんでもないことでございます。このような上質なドレスをお貸しくださいまして、大変恐縮でございます。サイズも問題ございません」

「それなら安心いたしましたわ。ドレスは差し上げますわ。末娘マリーのドレスにしようかとも存じましたが、イザベルのドレスの方がサイズが近いかと存じましたの」

 ルナは上品な笑みを浮かべた。柔らかだが神々しさを感じる。

「マリーのドレスだと、クリスティーヌ嬢にとっては少し小さいと思いますよ」

 シャルルはクスッと笑った。

 第3王女のマリー・ルイーズ・ルナ・シャルロットはまだ11歳だが、長身のルナとシャルルの娘なので背は高いようだ。

「そんな、私にくださるなど畏れ多いことでございます。必ずお洗濯してお返しいたします」

 ドレスをくれると聞いて、クリスティーヌは恐縮しきっていた。

「いいえ、クリスティーヌ、貰ってちょうだい。イザベルもきっと喜ぶと存じますわ」

 クリスティーヌは断ろうとしたが、ルナの押しに打ち勝つことは出来なかった。そのやり取りを見ていたシャルルは苦笑した。ルナは満足そうに微笑む。

「クリスティーヌ、本題に入りましょう。貴女は今日王宮こちらに来るまで何かございましたのね?」

 ルナは上品な笑みから一変して真剣な表情になった。

 クリスティーヌは頷く。

「ええ、左様でございます」

 クリスティーヌは鞄から濡れて読めなくなった論文を取り出し、ルナに渡す。

「こちらをご覧ください」

「これは……クリスティーヌの論文でございますわね。……文字が滲んで読めなくなっておりますわ。クリスティーヌ、これはただの貴女の不注意というわけではございませんね?」

 ルナのアメジストの目が真っ直ぐクリスティーヌを見据える。

「左様でございます。噴水広場前に止まっている辻馬車で王宮へ向かおうとしました。その時、とある令嬢に出会でくわしたのでございます」

 クリスティーヌは真っ直ぐルナを見ている。表情は真剣だった。

「その令嬢が故意に論文を噴水に投げ込んだということでございますね?」

 ルナはそう確認した。

「左様でございます。女王陛下のサロンに呼んでいただいたのにも関わらず、このようなことになり申し訳ございません」

 クリスティーヌはしっかりとルナのアメジストの目を見て謝罪した。エメラルドの目は真剣そのものだ。

「分かりました。では貴女の論文でございますが、次回にいたしましょう。今回のサロンはクリスティーヌの紹介にいたしますわ」

「ありがとうございます、女王陛下」

 クリスティーヌはホッと安心した。今回の目的はエグランティーヌの糾弾ではなく、論文の提出を次回に回してもらうことだった。

「それに、この件につきましてはクリスティーヌに非はございませんわ」

 ルナは優しく上品な笑みを浮かべた。

「ありがとうございます」

 自分の目的が果たせたことで、クリスティーヌは少し肩の力が抜けた。

「それでクリスティーヌ、貴女の論文を噴水に投げ込んだ令嬢の名は何と仰るのでございますか? 場合によってはこちらのお話の方が重要になる可能性もございますわ」

 ルナは先程の上品な笑みから一変する。声が少し低くなり、アメジストの目は冷たくなった。

 クリスティーヌは息を飲み、深呼吸をする。

「エグランティーヌ・アルレット・ド・ノルマンディー様でございます」

 クリスティーヌは犯人の名前を口にする。声は少し震えていた。

「エグランティーヌがクリスティーヌの論文を投げ込んだところを見た者はいらっしゃる?」

わたくしの侍女ファビエンヌと護衛ドミニクが。しかし、身内の意見だけでは偏ってしまいます。ですが、噴水広場には大勢の方々がいらっしゃいました。辻馬車の御者の中には証言していただける方がいらっしゃるかと存じます」

「クリスティーヌ、よく分かりました。証言ありがとうございます」

 ルナの口元が少し綻んだ。

「エグランティーヌ嬢はルナ様のサロンの邪魔をしたと捉えられます。辻馬車の御者からの証言が取れ次第、早急に処罰を」

「シャルル様、少しお待ちください」

 動き出そうとするシャルルをルナが止めた。

 王家主催のサロンなどを故意に妨害した者には王族妨害罪に当たる。国家反逆罪ではないので死刑にはならないが、罰金、投獄、徒刑といった罰がある。

「これは絶好の機会かもしれませんわ。ノルマンディー家の現当主ドニは少々厄介でございましたの」

 ルナは品よく口角を上げた。

「クリスティーヌ、貴女に関する悪意ある噂が流れているのは存じ上げておりますわ。ディアーヌの誕生祭でエグランティーヌが貴女にしたことも報告に上がっております。ですが、わたくし達王族はその噂を信用しておりません。レミ、イザベル、アンドレはクリスティーヌの人柄を知っています。シャルル様とわたくしも、ヌムール領で学ぶ貴女を見たから、今流れている噂は真実ではないと存じました。クリスティーヌ、貴女には味方がおりますのよ」

 聖母のような笑み。そして華やかで澄んだ声。

 クリスティーヌはルナの言葉に涙を流す。悲しいからではなく、嬉しいからだ。

「女王陛下のお言葉により、わたくしの沈んだ心は軽くなりました。本当にありがとうございます」

 クリスティーヌは微笑む。エメラルドの目は輝きを取り戻していた。

「クリスティーヌ嬢、これで涙を拭いてください」

 シャルルは優しく微笑み、クリスティーヌにハンカチを差し出す。

「恐れ入ります、王配殿下」

 クリスティーヌはシャルルからハンカチを受け取り、涙を拭う。なめらかな肌触りだった。

 クリスティーヌが落ち着くと、再びルナが話し始める。

「クリスティーヌ、まだ詳しいことはお話出来ないけれど、ノルマンディー侯爵家の当主であるドニにはとある嫌疑がかかっております。そして、娘であるエグランティーヌには今回の件で王族妨害罪が適応されるでしょう。ですが、まだ2人は泳がせておきます。クリスティーヌに辛い思いをさせてしまうかも存じません。ですが、これらの件について、協力していただきたいことがございます」

 ルナは真っ直ぐクリスティーヌを見て話す。アメジストの目からは真剣さが窺える。

「承知いたしました」

 クリスティーヌは淑女の笑みで頷いた。エメラルドの目は力強い輝きを放っている。

 単に王族からの頼みだから頷いたのではない。論文を次回まで待ってもらえることになっただけでなく、クリスティーヌの味方になってくれた。だからクリスティーヌはルナに協力しようと思ったのだ。

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