クリスティーヌの本当の幸せ

ニサップ王国の醜聞

 ニサップ王国の王宮にて。

 この日は王太子サルバドールの十八歳の誕生祭が開催されていた。

 そんな中、サルバドールが発した言葉により、その場にいた全ての者の間に衝撃が走る。

「ギジェルミーナ・ヘッセニア・デ・ラ・セルダ! 貴様との婚約を破棄する!」

 あろうことか、婚約者である公爵令嬢、ギジェルミーナにそう告げたのだ。

 サルバドールの隣には、フェリパ・オラジャ・デ・ペドロという男爵令嬢がいる。フェリパはサルバドールに腰を抱かれていた。

 ギジェルミーナは冷ややかな視線を二人に向ける。ギジェルミーナだけではない。その場にいた全ての者が、サルバドールとフェリパに冷たい視線を向けていた。

「サルバドール王太子殿下、婚約破棄の理由をお聞かせ願えますか」

 ギジェルミーナは呆れながらも冷静だった。

「シラを切る気か。まあいい。だったらこの俺の口から言ってやる。俺には今ここにいる全ての者にも貴様の今までしてきた悪事を知らせる義務があるからな」

 サルバドールはギジェルミーナを睨みつける。

 そして隣にいるフェリパは企みが成功したような笑みを浮かべた。

「皆の衆、よく聞け! ギジェルミーナは公爵令嬢という身分を振りかざし、ここにいる男爵令嬢であるフェリパに卑劣な嫌がらせをしたのだ! カスティーリャ伯爵令嬢主催の茶会で、フェリパはギジェルミーナに池に突き落とされたのだ! それだけではない! ヘスス子爵令嬢主催の茶会では、フェリパはギジェルミーナにドレスを破かれたのだ!」

 サルバドールは一旦一呼吸置き、また声を張り上げる。

「そして、ギジェルミーナはことあるごとに、フェリパに嫌な言葉を浴びせたのだ! 気安く俺の名前を呼ぶな、俺とダンスをするな、などとな! そのように身分の低い者に威圧的な貴様を次期王妃としては絶対に認められん! 貴様とは婚約破棄し、ここにいるフェリパ・オラジャ・デ・ペドロと新たに婚約を結ぶ!」

 サルバドールは高らかに、勝ち誇ったように宣言した。

「まあ、サルバドール様、とっても嬉しいです!」

 フェリパも勝ち誇ったような表情で、ギジェルミーナを見る。

 会場からは、サルバドールとフェリパを訝しむ声がヒソヒソと聞こえてくる。

 それもそのはずだ。お茶会での件は完全に冤罪だからである。

 ギジェルミーナは呆れたようにため息をついた。

「サルバドール王太子殿下、いくつかよろしいでしょうか?」

「何だ? フェリパへの謝罪なら聞いてやってもいいが。俺は寛大だからな。今この場で貴様がフェリパに謝罪をすれば許してやろう」

 サルバドールは鼻で笑う。

 ギジェルミーナはもう一度ため息をついた。

「いいえ。フェリパ様への謝罪は致しません」

「何だと!?」

「まず、殿下がおっしゃった、フェリパ様への卑劣な嫌がらせとやらについてでございます。カスティーリャ伯爵令嬢のお茶会やヘスス子爵令嬢のお茶会での件ですが、証拠はございますのでしょうか?」

「そんなのはフェリパの証言が立派な証拠だ! 怖かったであろう、フェリパ」

 サルバドールは横で震えるフェリパを抱きしめる。

「サルバドール様……。あの時のギジェルミーナ様は……とても怖かったです」

 今にも泣きそうなフェリパ。だが彼女はチラリとギジェルミーナを見てニヤリと笑った。

 ギジェルミーナは呆れながら口を開く。

「それはありえない話でございます。そもそも、カスティーリャ伯爵令嬢主催のお茶会には上級貴族の子息や令嬢しか招かれておりませんでした。男爵令嬢であるフェリパ様が出席していたというのはおかしいですわ。そして、ヘスス子爵令嬢主催のお茶会にはわたくしは出席しておりません。関係者にお聞きになればすぐに分かる話ですわ」

「貴様! 嘘をつくな!」

 サルバドールは顔を真っ赤にして怒りを露わにしている。

「ギジェルミーナ嬢は嘘を言っていないですよ、兄上」

 そこへ、会場にいた第二王子のエルナンドがギジェルミーナ達の方へやって来た。

 エルナンドはサルバドールより二つ年下だ。しかし、彼の方がサルバドールよりも大人びて見える。

「カスティーリャ伯爵令嬢のお茶会には私も出席しておりました。その時、フェリパ嬢の姿は終始見かけませんでしたよ。そして、ヘスス子爵令嬢主催のお茶会があった日には、ギジェルミーナ嬢は王宮にいらしておりました。父上と母上もご存じです」

 エルナンドは穏やかだがどこか冷たい笑みを浮かべていた。

「で、でもエルナンド様、私は」

「フェリパ嬢、君は誰に断って話しかけているんだい? 許可もなしに王族や自分より高位の貴族に馴れ馴れしく話しかけることはマナー違反だって教わっていないのかな?」

 口元は穏やかな笑みを浮かべているが、口調とフェリパへ向ける視線は絶対零度のように冷たいエルナンド。

「だが、ギジェルミーナはフェリパに嫌な言葉を浴びせたのだぞ!」

 サルバドールはギジェルミーナだけでなくエルナンドも睨みつけた。

「そのことにつきましてですが、まず、王族の方を公式の場でお呼びする場合は『王太子殿下』、『王子殿下』とお呼びしなければなりません。ですが、フェリパ様はいきなり『サルバドール様』とお呼びになりました。そして、ダンスの件でございますが、同じ相手と三回連続で踊るのはマナー違反でございます。しかし、フェリパ様は殿下に三回連続でダンスを申し込んでおりました。ですので、わたくしはフェリパ様にマナー違反を指摘しただけでございます。嫌な言葉、などではなく、この国の貴族として当たり前のことを教えて差し上げただけでございますが」

「ぐ……しかし……」

「要するに、サルバドール王太子殿下の心はフェリパ様にある。だからわたくしと婚約破棄をしたい、ということでございますね」

 ギジェルミーナは呆れながらため息をついた。

「そもそも、ギジェルミーナ嬢との婚約をこのような場で破棄し、フェリパ嬢と新たに婚約を結ぶ件について国王である父上は了承済みなのですか?」

 エルナンドは冷たい視線をサルバドールに向ける。

「問題ない。フェリパの人柄を知れば父上も納得するはずだ。とにかく、ギジェルミーナは次期王妃であるフェリパに嫌な思いをさせた! よって国外追放にする!」

 サルバドールがここまで愚かだとは思わなかった。

 ギジェルミーナとエルナンドは呆れた表情で、盛大にため息をついた。

「そこまでだ!」

 そこへ、ニサップ王国の国王である、ロドルフォが現れた。

 会場にいた男性はボウ・アンド・スクレープを、そして女性はカーテシーをして敬意を示した。

「サルバドール! 貴様は何てことをしてくれた! このような公の場で、ギジェルミーナ嬢の顔に泥を塗るような行為! 断じて許されることではないぞ!」

 ロドルフォの冷たく低い声が会場に響き渡る。

「為政者たる者、幅広い意見を聞かねばならぬ。サルバドール、貴様は今回の件でフェリパ嬢の声しか聞いておらぬではないか。そして浅はかな考えのみで、独断でギジェルミーナ嬢に婚約破棄を突き付けた。貴様は為政者として失格だ。よって今を持ってサルバドールを廃嫡し、新たにエルナンドを王太子とする!」

「そんな……父上……」

 サルバドールは呆然とした表情でロドルフォを見る。

 隣にいるフェリパは青ざめていた。

「じゃ、じゃあ王様、サルバドール様は国王になれないのですか!?」

「フェリパ様! 国王陛下に向かって失礼でございます!」

 ギジェルミーナは慌ててフェリパを止めた。

「サルバドールとフェリパ嬢を連れて行け!」

 ロドルフォがそう命じると、兵達が二人をどこかへ連行した。

「皆の衆、面を上げよ。この度は愚息が本当に申し訳ない。そしてギジェルミーナ嬢には何の瑕疵かしもないことをここに宣言する! ギジェルミーナ嬢、本当に申し訳ない」

 ロドルフォは片膝をつき深々と頭を下げた。

「そんな、国王陛下、どうか頭を上げてくださいませ」

 国王に頭を下げられることはとても異例なことだ。それゆえギジェルミーナは慌ててしまった。

 その後、ギジェルミーナはサルバドール側の有責で婚約破棄し、王家からの賠償金を受け取った後、新たにエルナンドと婚約した。

 実はエルナンドは以前からギジェルミーナに想いを寄せていたのだ。

 サルバドールは廃嫡となり、ニサップ王国と隣国であるグロートロップ王国の国境付近の警備の仕事を命じられた。王室から除籍されなかったのは親としてのせめてもの情けらしい。

 しかし、グロートロップ王国との国境付近はかなり辺鄙へんぴな地なのでサルバドールが耐えられるかは定かではないが。

 そして、フェリパには国家転覆の容疑がかけられしばらく地下牢に入れられていたが、修道院に送られることになった。

 この件はフェリパ一人で企てたことだったので、幸いペドロ男爵家はお咎めなしとなった。





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 ナルフェック王国、タルド男爵領にあるタルド男爵邸にて。

 ふわふわとした長いブロンドの髪に、エメラルドのような緑色の目の少女が新聞を読んでいる。

 そんな彼女に、侍女が紅茶を入れて持って来る。

「あら、ありがとう、ファビエンヌ」

 彼女は侍女、ファビエンヌにお礼を言い、紅茶を一口飲んだ。

「クリスティーヌお嬢様もニサップ王国婚約破棄事件の記事をお読みになっているのですね。前代未聞の出来事だそうで、市井しせいでも大層話題になっていますよ」

「ええ、そうでしょうね」

 クリスティーヌと呼ばれた少女は新聞を閉じ、テーブルに置いた。

「物事を多角的に見ることの出来ないサルバドール王太子殿下の廃嫡は妥当でしょう。第二王子であられるエルナンド殿下の方が次期国王に相応ふさわしいという声は、ナルフェック王国まで届いていたわ。ロドルフォ陛下もエルナンド殿下も穏健派だと言われているから、これでニサップ王国との友好路線は確実になったと思われるわ」

 クリスティーヌは品良く口角を上げる。

「それに、このフェリパ様というお方は反面教師になるわ。男爵令嬢が王太子妃や次期王妃の立場を望むなんて、身の程知らずよ。やはり身の程知らずな望みを持つとろくなことが起こらないのね。この国だと上級貴族と下級貴族の結婚は認められているけれど、男爵令嬢なら良くて伯爵家に嫁ぐくらいだわ。伯爵より上の方々、ましてや王族なんて畏れ多過ぎるもの」

 クリスティーヌはため息をついて苦笑した。

 その様子にを見てファビエンヌは穏やかに微笑む。

「クリスティーヌお嬢様は大層勉強熱心で、上級貴族のマナーも身につけておられるではありませんか。お嬢様ならどこへ嫁いでも、もしくは独立なさったとしてもやっていけると思いますよ」

「ありがとう、ファビエンヌ。だけどわたくしはまだまだよ。一応何があってもいいように、知識と教養は身につけようとはしているけれど。わたくしはタルド家の末娘。タルド家を強くする為に、それなりのお相手と結婚するのがわたくしの役目よ。貴族の子女は、謂わばチェスの駒のようなもの。家を強くする為の駒の一つに過ぎないわ。それならわたくしは自分の意思で、タルド家にとって最高の駒になることを選ぶのよ」

 クリスティーヌは微笑んだ。

 品と力強さを兼ね備えた、凛とした笑みだった。

「クリスティーヌお嬢様……」

 ファビエンヌは何も言えなくなってしまった。

 そして、心の底からクリスティーヌにはどうか幸せになって欲しいと願った。

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