第9話 新しい先生がやってきた
秋の大会が終わり、野球部のみんなは来年の春の大会に向けて動き出した。
今大会は練習も含めて小谷君に負担が、特に肩と肘に大きな負担がかかったのは間違いない。
「小谷君は大丈夫なのかな……」
今日も練習には出ているが、先程からランニングとストレッチしかしていない。
「栗田先生に付き添ってもらって病院で診てもらったら大事は無かったって」
梨絵が栗田先生に聞いた話をしてくれた。
「よかったぁ……」
そう言いながら私は溜めていた息を吐き出した。
(本当によかった……)
「2回戦のときは本当に辛そうだったものね」
「うん……あんな小谷君の見るの初めてだった……」
瑠花と茉美が試合を思い出していった。
「でも、大事をとってしばらくは投球も打撃もやらないで走り込み中心の練習になるみたい」
梨絵が手にしたノートを見ながら言った。
梨絵はこの前の試合以降、選手の体調管理の大切さを知って、より積極的に野球部の練習に関わりたくなったようだ。
「栗田先生にも色々と教えてもらってるんだ、ストレッチのこととか」
どうやら梨絵は理学療法士という職業への関心が深まったようで、休み時間にもそんな話をしていた。
「そういえば、保健の高橋先生が辞めるらしいわ。今日、具合が悪くなって保健室に行った子が聞いたらしいの」
ふと思い出したように瑠花がそんなことを言った。
「保健の先生ってもう長いことうちの学校にいる先生だよね?」
梨絵が言うと、
「私……好きだな……あの先生」
茉美が控えめに言った。
「うん、私も。穏やかで優しい先生だよね」
私も茉美と同じ気持ちだった。
私自身が保健室のお世話になることはほとんど無かったが、具合が悪くなった子を連れて行ったときなどに色々と話を聞いてもらったりしたことを思い出す。
「次の先生はどんな人かな?」
梨絵が言うと、
「優しい人だといいな……」
と、茉美が茉美らしいことを言った。
「若い先生だって、高橋先生は言ってたらしいわ」
瑠花が言うと、
「栗田先生なら何か知ってるかな?」
そう言って梨絵は栗田先生に聞きに行こうと歩き出した。
「あ、それと新しい先生、栗田先生の大学の先輩だって」
梨絵の後に着いていきながら瑠花が言った。
「新しい保健の先生?そういえばそんな話もあったなぁ……」
梨絵が栗田先生に聞くと、新しい先生が来ることは知っているが、詳しくは知らないようだった。
「栗田先生の大学の先輩らしいんですけど……」
瑠花が聞いた情報を言った。
「俺の大学の先輩?女性だよな……」
そう言いながら記憶を辿る栗田先生の後ろに一人の女性が近づいてきた。
(あ……)
私が小さい声を出すとその女性と目が合った。
女性はいたずらっぽい笑顔を浮かべながら人差し指を立てて口に当てた。
(綺麗な
長い髪を束ねてポニーテールにした、背が高い女性だ。
「あっ……」
栗田先生が心当たりに気づいたらしく声を上げた。
と同時に、後ろから栗田先生に忍び寄ったポニーテールの女性は彼の肩に腕を回しながら言った。
「そうだ。喜べ、お前の優しい先輩が来てやった……」
「俺、ちょっと用事を思い出したわ、それじゃぁな」
と、栗田先生はポニテ先輩の言葉が終わらないうちにスルリと腕をすり抜けてそそくさと立ち去ろうとした。
「おい、こら」
とポニテ先輩は栗田先生のシャツの襟首を掴んで引き戻した。
「ぐぁぁ、チョークチョーク!」
喉元に食い込むシャツの隙間に指を差し入れながらじたばたする栗田先生。
「それが久々に合った先輩に対する態度か?ん?」
栗田先生を自分の方に向けて顔を覗き込むようにしてポニテ先輩が言った。
「い、いやぁ大龍寺先輩お久しぶりです…て顔近くないすか?!」
ほとんど額がくっつきそうに顔を寄せてくるポニテ先輩に栗田先生が言った。
「散々私を
とニヤリとしながら言うポニテ先輩。
「「「ええぇぇーー?!」」」
年頃の女子には刺激が強すぎるセリフに私達は一斉に反応した。
「ちょ、先輩、言い方言い方!」
狼狽しまくる栗田先生。
「栗田先生ってそんな人だったんですね……」
「女性を弄ぶなんてひどい……」
「……不潔です」
「先生には失望しました……」
私達は栗田先生に口々に軽蔑の言葉を浴びせた。
「だぁぁぁ、ちょっと待てぇーー誤解だぁーー!」
と、狼狽する栗田先生にポニテ先輩が言う。
「なんだ?まさか何も無かったなどと言うつもりじゃないだろうな?」
「あ……い、いや……その……」
途端に口ごもる栗田先生。
「「「やっぱりーー!」」」
「「「女の敵ーー!」」」
女子生徒が即座に反応する。
「それが、今じゃこんなに可愛い女子生徒を何人も
そう言いながらポニテ先輩は梨絵と瑠花に腕を回して引き寄せて交互に二人の顔を見た。
突然のことに梨絵と瑠花は顔を赤くしてドギマギしている。
「侍らせてとか……先輩……そんなこと言ったら……」
もはや半泣き状態の栗田先生。
「「「きゃぁーー栗田先生ヘンタイーー!」」」
女子生徒の大合唱。
「やっぱりぃーーーー!」
栗田先生の悲痛な叫び。
こんな調子でしばらく騒いだ後、やっと落ち着くと、栗田先生がポニテ先輩を私達に紹介してくれた。
「
「よろしくな!赴任は来週からだがな」
「今日は何用で?」
栗田先生が聞くと、
「引き継ぎだよ、それと……」
「それと?」
「お前にも会っておこうと思ってな……」
という大龍寺先生の含みのある言い方に栗田先生が
「ねえ、あの二人絶対に何かあるよね?」
「なんか怪しいよね……」
「……何があったんだろうね」
「でも、大龍寺先生、すごく綺麗……」
「「「うんうん!」」」
「それにカッコいいよね!」
「「「うんうんうん!!」」」
「そんな大龍寺先生を栗田先生は……!」
と想像力が豊かすぎる私達の中で栗田先生の女の敵度がどんどん増幅していった。
「初めからこれを狙ってたんすか、先輩……?」
ガックリと肩を落としながら栗田先生が言った。
「まさか。私がそんなことをすると思うか?」
多少わざとらしくも見える驚きの表情で大龍寺先生が言った。
「思います」
即答する栗田先生。
「はははは、即答だなぁ」
と愉快そうに答える大龍寺先生。
「まあいいじゃないか。楽しくなりそうだ」
そう言いながら、栗田先生の肩をポンポンと叩いて「また後でな」と言って大龍寺先生は校舎の方に歩いて行った。
「先生、先生!栗田先生と大龍寺先生ってどういう関係なんですか?」
「お付き合いをしてたりしたんですか?」
「もしかしたら破局した元恋人同士とか……」
もう、私達は二人のことが気になって気になって、栗田先生を質問攻めにした。
「単なる大学の先輩と後輩ってだけだ。以上終わり!」
と、好奇心ではち切れんばかりになっている私達に通告する栗田先生であった。
この日の出来事に
特に女子生徒から慕われることと言ったら尋常ではなく、休み時間ともなると保健室は女子で溢れかえった。
「お前たち、体調が悪くないなら教室に戻れぇ」
と、度々大龍寺先生が注意しなければならないほどだった。
かくいう私も、美しくて二枚目な大龍寺先生の虜になってしまった一人だ。
「ああもう、彩子先生カッコいいーー」
と見るたびに言ってしまう私。
「彩子先生って……そんな馴れ馴れしい呼び方していいの?」
瑠花がやや非難がましく言った。
「ちゃんと先生に断ったもん」
と、駄々っ子のように言う私。
「でも、女子限定って言ってたよね、彩子先生」
梨絵も名前呼びして言った。
「うん……男子には許さないって…彩子先生……」
茉美も控えめながら嬉しそうに言った。
「うん、栗田先生も村下君たちに言ってたよ、絶対にやめろって」
そう、私が言った。
昨日たまたま、栗田先生がそう言っているところを目撃したのだ。
こうして、短期間で女子生徒の崇拝を集めた彩子先生だったが、それをより強固なものにすることになる事件が起こった。
それは、赴任当初のお祭り騒ぎ的な賑わいも落ち着いてきたある日の放課後のことだった。
私達は野球部の練習のお手伝いをしにグランドに向かっていた。
すると、何やら裏門の方向がざわつきだした。
女子生徒の悲鳴のような声も聞こえて、数人が逃げるように駆けてきた。
「え……何……何かあったの?」
「こっちに逃げてくる子もいるよ」
梨絵と私は騒ぎが聞こえる方を見ながらいった。
梨絵が、走ってきた女子生徒に何ごとか聞いてみると、
「裏門から変な人が入ってきて……」
と、その女子生徒は青ざめながら言った。
「変な人?」
私が聞き返した。
「うん、なんか酔っ払ってるみたいで……大きな声で何か言いながら女子を掴もうとするの……」
そう言う女子生徒は今にも泣き出しそうな様子だ。
そこに栗田先生が走ってきて鋭い口調で聞いた。
「騒ぎはどこだ?」
「裏門の方です」
「よし!」
と栗田先生は裏門に向かって走り出した。
私達も怖かったけれど、お互いに目を見合わせてから、先生のあとに付いて走った。
栗田先生と私達が着いたときには、既に彩子先生が来ており、恐らく侵入者に絡まれたのであろう泣きじゃくる女子生徒の肩を守るように腕で包み、小声で話しかけていた。
女子生徒は泣きながら彩子先生の話に頷いていた。
「おらぁぁちっとこっちこいよぉぉ」
40代くらいだろうか、白髪混じりのボサボサの頭の、汚れたジャージ上下姿というおっさんが、酔っている割にはしっかりした足取りで彩子先生と女子の方に近づいてきた。
「やぁぁーー……」
女子生徒が恐怖の悲鳴を上げる。
「大丈夫だ、大丈夫」
彩子先生はそう言いながら女子生徒の頭を優しく撫でた。
栗田先生が彩子先生たちと男との間に立ちふさがる。
「英二、この子を頼む」
そう栗田先生に言いながら彩子先生は女子生徒の肩に自分が着ていた白衣をそっと掛けて、彼女をゆっくりと体から離した。
栗田先生は一瞬なにか言いそうになったが、ここは彩子先生に任せることにしたようだった。
「彩子先輩、無茶はしないでくださいよ」
「ああ、心配するな」
そういう彩子先生の声は静かで重みがあり、侵入者の男を突き刺すように睨みつけていた。
「よおぉねえちゃんいい女だなぁぁひっひっ」
侵入者は醜くいやらしい下卑たニヤケ顔で彩子先生に手を伸ばした。
「彩子先生!」
ほとんど悲鳴のように梨絵が叫ぶ。
「栗田先生、彩子先生を……」
助けて、と、私は言おうとした。
すると、次の瞬間、それこそ瞬きをする間に彩子先生は男をうつ伏せに倒し膝で背を押さえつけながら頭を掴み上げ、静かではあるが、低く重みのある声で言った。
「うちの大事な生徒に何しやがる、このクソ野郎が」
そうして男の頭を地面にガン!と叩きつけた。
「ひぎゃあぁーー!」
男の悲鳴が響く。
そしてもう一度、ガン!
「彩子先輩、ほどほどに」
そう言う栗田先生は落ち着いていて少しも止める気はなさそうだった。
そこに、他の先生が数名駆け寄ってきた。
「大丈夫か?」
学年主任のベテラン先生が息を切らしながら言った。
「ええ、大丈夫です」
男を押さえつけている彩子先生が落ち着いた声音で言った。
学年主任と一緒に来た若手の先生が、
「もうすぐ警察も来ると思います」と言いながら、手にしたロープで男の手首を縛り上げた。
彩子先生が男から離れると、泣きじゃくっていた女子生徒が彩子先生に駆け寄って抱きついた。
「「「「ああっ!」」」」
一斉に声を出す私達。
彩子先生は優しく微笑みながら女子生徒の頭を撫でている。
「「「「いいなぁ〜」」」」
ため息混じりに羨む私達。
「こんなことを言っちゃいけないと思うんだけど……羨ましいことに彩子先生の白衣を着させてもらってるんだよね……あの子」
梨絵が抑えた声で言う。
「だよね……私も着させてもらいたい彩子先生の白衣……」
「……うん」
「はぁ……羨ましい」
ついさっき変質者に恐ろしい目に合わされた女子生徒に対して持つべき感情ではないことはよくわかっていた。
でも羨ましいものは羨ましいのだ。
そして今まで以上に彩子先生は女子生徒の崇拝の的になっていった。
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