第2話【虹ヶ咲璃音が悪役令嬢たる由縁】

『野良猫に安易にエサを与えてはいけない』


 虹ヶ咲にじがさきに弁当を恵んだ次の日。

 その意味を俺は思い知らされることとなる。


「はい......」


 昼休み。

 虹ヶ咲から屋上へと呼び出された俺が受け取った物は、昨日手渡した巾着状の布袋。

 弁当箱の中を確認しようと開ければ、ほんのり柑橘系のいい香りが鼻に付き、中身は反射して自分の顔が薄っすらと映るくらい綺麗に洗われていた。


「わざわざ洗ってくれたんだな。ありがとう」

「当然ですわ。我が家の自慢のメイドに、油どころか指紋一つ残らないよう丁寧に洗わせましたから」


 自分で洗ったんじゃないんかい、とツッコミを入れたくなったが、金持ちのお嬢様がそんなことするわけないかと得心とくしんした。


「......野良猫も、とても美味しいと言って食していました。特に四角いスクランブルエッグの塊のようなものが絶品だったとも」

「ああ、厚焼き玉子のことか」


 微かに照れながら頬をかく彼女のお気に入りは、どうやら砂糖の代わりにガムシロップを使った厚焼き玉子だったらしい。


「それですわ。貴方のお母様、非常に料理がお上手なのですね」

「口の肥えたお嬢様に誉めてもらえるとは光栄だな」

「話し聞いていまして? わたくしは貴方ではなく貴方のお母様を褒めて――」

「だからそれ作ったの、俺なんだ」

「......へ?」


 頭の上に大きな疑問符を浮かべ間の抜けた声を上げたと思えば、すぐに眉を寄せ渋い表情へと変化させた。

 

いやしいですわよ。お母様の手柄を横取りしようだなんて」

「うち、両親が二人とも仕事の関係で普段家にいないから。基本料理は全部俺が作ってるんだよ」

「では、タコの形をしたウインナーや唐揚げなんかもひょっとして......」

「全部俺が作ったものだ。まぁ、唐揚げは冷凍で作り置きしてた物を電子レンジで戻しただけだが」


 俺が料理をすることに大層驚いたらしい虹ヶ咲は、目を丸くして言葉を失ったまま吐息だけが聴こえてくる。

 そんなに男子高校生が料理するのが珍しいのか?

 日本人とフィンランド人のハーフだという虹ヶ咲。最近まで海外で生活を送っていたのだから無理もないのかもな。 


「貴方......特技あったのね」

「失礼な奴だな。それが昨日弁当貰った人間の態度か、おい」

「お弁当をいただいたのはわたくしじゃなくって野良猫よ。勘違いしないで頂戴」

「はいはい。じゃあ時間が勿体ないから俺はそろそろ行くわ」


 バレバレなのにあくまで食べたのは野良猫だと言い張る虹ヶ咲は放っておくとしよう。

 今後こいつとは関りを持つことはないだろうし、昨日は気まぐれに弁当を与えたにすぎない――というのに。


 ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ~。


 虹ヶ咲に背を向け屋上をあとにしようとした俺を、本人と同じくらい自己主張の強い腹の虫の鳴き声が引き留める。

 何だ、この狙っていたかのようなタイミング。

 

「......一応確認だが、流石に今日は昼飯用意してきてるんだよな?」

「もちろん! 用意してきてませんわ!」

「なんでだよ! 用意してこいよ!」

「昨日も申し上げました通り、わたくしは今ダイエット中ですので。あ、でも――」


 憎たらしい微笑をたたえ、虹ヶ咲は言葉を紡ぎ、


「野良猫の方は、今日も欲しいと申していますが」


 この女......今日も俺から弁当を奪い取る気でいやがる。

 横髪の細い縦巻きドリルをもじもじと触る仕草が凄く腹立たしい。 


「今日はやらんぞ、自分で買え。ていうかお嬢様なら昼飯代くらい余裕で持ってんだろ」

「この学校、カードもpaipaiも使えないなんてありえませんわ」

「ありえないのはお前の頭ん中だよ。だったら家から持ってこさせろ」


「だとしても今日は無理ですわね。今からメイドを呼んだところでお昼休みには到底間に合いませんわ」


 虹ヶ咲の家がどこにあるのかは知らんが、お昼休み終了まであと約30分ほど。

 仮に庶民では思いつかない、あらゆる手段を使って届けてもらっても、午後の授業開始までに食べ終わるのは無理そうだ。


「いいんですの? もしも野良猫が飢えて亡くなったら、貴方の責任になりましてよ?」


「人間は水と睡眠さえしっかりとっていれば二・三週間は生きていられる。我儘わがままな野良猫にそう伝えておけ」


「まぁ薄情な! それでも男ですか!」

「じゃあ金貸してやるから今すぐ売店行ってパンでも買ってこい」

「わたくし、お父様から知らない方と金銭のやり取りはしないよう固く禁じられていますの」


 めんどくせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!


 つい口からストレートな心の叫びを吐露してしまいそうで、手の指先がわしわしと小刻みに動いて仕方がない。

 こうしている間にも、お昼休みのタイムリミットは刻一刻と迫ってきている。

 どうやら俺は、残念ながら昨日と全く方法を取るしかないらしい。


「ほら! 今日も弁当恵んでやるから! さっさとそこの傲慢ごうまんで我儘な野良猫に食わせろ!」

「最初からそうしていれば無駄な茶番をせずにすんだものを」


 人は空腹に陥るとイライラするというが、それを差し引いてもこのお嬢様はおつりが余裕でやってくる。

 まさに人をイライラをさせる天性の才能を持ったお嬢様――所謂いわゆる、悪役令嬢というのが虹ヶ咲のこの学校での異名。

 接することは無いと思っていた彼女のを体験し、俺は身をもって異名が正しいことを思い知った。


「いいか! 明日は絶対持ってこいよ!」

「ちょっと待ちなさい!」


 こめかみをピクつかせながら購買へと向かおうとする俺を引き止め、虹ヶ咲は眉を寄せながら真剣な表情でこう尋ねた。


「ところで貴方、誰ですの?」

「......お前やっぱり弁当返せ」


 ――同じクラスの悪役令嬢様は、いつだってブレない――。



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