悪人なら死んでも良い

 中学生でもなければ、命の価値は誰しも平等だ、という言説の空疎さについて、今更憤りを口にする者はいないのではないか。ただ、だからと言って、本章のタイトルに採用した「悪人なら死んでも良い」という価値観について、両手をあげて賛成の意を示す者も多くないはずだ。「気持ちはわかるが、さすがにそこまで言い切るのは倫理的にどうかと思う」くらいのバランスが、良識ある人間の証明書みたいに使えると思う。

 悪人なら死んでも良い、という概念は、「理由があるならどれだけ叩かれても仕方ない」「不倫をしていたのだからテレビの仕事を干されて当然だ」「落とし物を届けなかったからバチが当たった」みたいに、巧妙にその形を変えて、あたかも「因果応報」みたいな収まりの良い顔をして、私たちの前に立ち現れる。シンデレラの時代から、物語世界の「悪」は最後に懲らしめられて読者のカタルシスを導くための舞台装置として働かされている。現実社会も、無意識にそれが求められている。


 まさか犯罪者もその概念に自覚的であったというわけではあるまいが、数年前、危険ドラッグというものが流行していた時期に、向精神作用を一切持たず体に悪いだけの、端的に言って、ただの安価な毒が平然と出回っていたことがある。危険ドラッグは「規制薬物の一部の構造を変えた化合物で、麻薬のような強力な作用を持つ一方で、人体への安全性が確かめられていない」といった説明がされていたし、確かに大部分はそのような代物だったが、全然関係ない有機リン剤や重金属、カビの胞子と思しきものまで何食わぬ顔で含まれていた点に、触れていたメディアは殆ど無かった。当然、摂取者に死者も出ていたが、危険ドラッグ自体の薬理作用で死んでいた人もゼロでなかったので、まさに因果応報、自業自得だと誰もが断じて、全く問題にならなかった。実際、危険ドラッグが本当に危険だったところで、善良な市民の生活を脅かす余地はなかった。危険ドラッグを摂取して自動車を暴走させて無辜の民に死者が出るという事件が起こったことで、一気に世論の流れが変わり、厳罰化や販売店舗の撲滅の方向に傾いていった。今や、危険ドラッグ問題は完全に下火になってしまったが、救急の現場には時折運び込まれる中毒者がいて、薬毒物のカクテルでも飲んだような複雑な病状を呈し、救命医を困惑させている。


 また、危険ドラッグのブームが終わり、比較的安全という触れ込みで大麻が持て囃されている。大麻に関する一番の闇は、「致死量がない」「依存性は酒やタバコより弱い」「統合失調症のリスクは上がる」など、植物それ自体の安全性・危険性ばかりが「科学的エビデンス」として語られているが、「栽培する際にとんでもない量の虫がつくので、農薬がヤバいくらい使われているケースがある」という点に誰も触れていないことである。勿論、麻繊維をとるために許認可を得た正式な麻農家の話をしているのではない。違法で大量に栽培して販売し、利益を得ている反社会的な者たちの話だ。当然、違法な植物を栽培しようという人間が、国の決めた厳しい残留農薬基準を守っているわけがない。「ナチュラル」であることを重視して無農薬を謳っているケースもあるようだが、残念ながら大概は嘘である。自分一人で楽しむ分の無農薬栽培ならできるかも知れないが、大量栽培でそんな異常な手間をかけることは到底不可能だし、それなら別の資金源を考えた方が早い。当然、海外では、大麻に残留している農薬成分に関して調査した論文が既に複数出ている。大規模な屋外栽培に際しては、殺虫剤だけでなく、除草剤が使われる例すらもあるようだ。医療用大麻が合法化された国では、国家が管理・販売している高価な大麻の方が安全性が高いという、当然の結論が得られている。使用の際、せめて表面を洗剤で洗浄(中国における生野菜に対する対処と同等に警戒)するべきという注意喚起が必要なのだが、何しろこの国ではそもそも使用することが推奨されていないので、未来永劫、語られることはない。現時点で、大麻のせいだと言われている精神・身体症状のいくつかは、おそらく農薬の中毒症状である(さすがに症状があまりにも広範過ぎる)。現代日本では、軽々に大麻に手を出すと、農薬を過剰摂取させられて身体を害する仕組みが完全に出来上がっている。悪人なら死んでも良いと思われている。


 なお、それに対するアンチテーゼが、市販薬のオーバードーズ問題である。さすがに、悪人でない者が平気で死ぬような社会の仕組みにはなっておらず、市販薬には表示のないヤバい成分が混入しているような心配はない。日本で販売されている薬の認可には一つ残らず厚生労働省が関与しており、薬効成分に限らず、賦形剤に至るまで厳密な管理下にある。安心して薬物を濫用したいという欲望を叶える、非常に日本人らしいアプローチと言えよう。


※以降に記述していた窃盗と強要に関連する二つの物語については、転用が容易だったため、残念ながら削除することとした。本章には結局、薬物犯罪に関する物語だけが残り、内容の偏りが著しいが、ご容赦願いたい。



 悪人なら死んでも良い。もう、それはある程度受け入れるしかない。ただ、その罪と罰が本当に釣り合っているかどうか、誰か、わかりやすい基準を示してほしい。






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