8.死の冒涜

「それでは二人とも――特に魁閻。私の準備が整うまで気張ってくれ」

「なんと無責任なっ!」


 紫苑のなんとも緊張感のない言葉で戦闘が始まった。

 魁閻は右に、マオが左に動き尸蟲を挟むように動く。


「魏魁閻、死スベシ」

「やはり、奴の狙いは俺ただ一人か!」


 魁閻が動き出すとすさまじい反応速度で明鈴も動いた。

 後ろでこそこそと動いているマオに興味はない。尸蟲の狙いはやはり魁閻一人のようだった。


「それはそれで好都合だ。マオ、この札を部屋の壁に貼れ。部屋全体で五芒星を描くようにだ!」

「承知致しました」


 その場に座り込んだままの紫苑がマオに五枚の札を投げた。

 先程柱に貼った青い札とは異なり、赤い文字でなにやら印のような物が描かれてあった。


「紫苑様、なにをするつもりですか」

「あそこまで大きくなった尸蟲を殺すのは一苦労だ。四方陣、そして五芒星。二つの陣で尸蟲を箱に捕らえ、そして星で浄化する!」


 紫苑の考えを聞いたマオはすかさず動き、壁に札を貼って回る。

 一方の魁閻は重い剣撃を必死に受け止めていた。


「――っ、この馬鹿力めっ! ぐっ!」


 女といえどもそれを操っているのは巨大な蜘蛛だ。

 一本の足の一振りが、剣の一振り。それも大男ほどの威力。幾ら武術の手ほどきはあれど、武人ではない魁閻はとうとう力負けし吹き飛んだ。


「っ、ぐ!」


 魁閻が飛ばされたのは丁度部屋の中央。

 仰向けに倒れ込んだのをよいことに、ふわりと侍女が天井高く飛び上がり尸蟲もろとも彼の上に降り注いできた。


「――がっ!」


 侍女は魁閻の胴を両足で跨ぎ、地に落ちる勢いを利用して体験を突き刺してきた。

 首元目がけて降ろされたその切っ先を魁閻は剣の平面で受け止める。


「シネ、シシシシシシシシシシシイシシシシシシシ」


 死ねといっているのか笑っているのか最早わからない。

 ここまで死を望まれていると思うと、色々な感情を通り越して笑えてきた。

 剣を受け止める筋肉は盛り上がり、食いしばる歯は今にも欠けそうだ。


「ぎ、ギギギッ」


 尸蟲がひと鳴きしたかと思えば、足が二本振り下ろされた。

 先端が尖ったそれは魁閻の両肩をぐさりと突き刺す。


「――いっ!」

「皇子!」


 マオが叫んだ。そして魁閻も驚いた。

 今まで向けられた攻撃は全てはじき返されていた、だが、尸蟲の足は間違いなく魁閻の両肩を貫いている。

 熱い痛みが走り、血が滲む。肩をやられたせいで剣を握る力が弱まった。


「どんな上等な呪いを用意したのやら。魁閻の死なずの呪いを貫通するとはな――否、相手が尸蟲故、死を跳ね返すことができなかったか」

「っ、紫苑……まだか……っ」


 苦しげな声に紫苑は舌打ちをひとつ。

 さらに針を指に刺し、血を流せば目の前に書いた血文字をぐるりと囲んだ。


「できた! 魁閻そこから離れられるか!」

「……無理だ!」


 今一瞬でも気を緩めれば剣は魁閻の首に突き刺さる。

 さらに蜘蛛の足で固定されているため簡単に動けはしない。だが、これ以上時を争うわけにもいかない。


「マオ。私が術を展開したら尸蟲の動きは必ず止まる。その隙を見て魁閻をこちらに連れ戻してくれ」

「承知!」

「魁閻、行くぞ! それまで歯を食いしばれっ!」


 紫苑はそう叫び、両手を床についた。


「悪しき魍魎もうりょうを囲う檻。閉じるはこ。闇の匣。手繰る者と手繰られる者を分断せよ」


 床から天井へ向かって両手を掲げる。

 すると部屋の中央からずずんという鈍い音がして、檻のような透明の立方体の箱が現れた。


「――ぎぃぎぎぎぎぎぎぎぎがああああああ」


 さすれば尸蟲は足をわななかせて苦しみはじめた。それに呼応するように侍女も苦しみ出す。


「今だマオ!」

「――はっ!」


 合図とともにマオが駆け出す。

 透明な檻をくぐり抜け、転がっていた魁閻を助け出し紫苑の元へ向かう。


「魁閻、無事か!」

「……ああ、なんとか」


 魁閻は両肩から血を流してはいたが意識はあった。

 紫苑は一瞬気を緩めたが、すぐに尸蟲へ意識を戻す。


「――匣を閉じ、中の汚れを浄化する。潰し、圧し、虚ろな躯から悪しき物を追い祓う」


 天へ掲げた手を今度はゆっくりと床へ落としていく。

 ぺたりと床に両手をつけば、紫苑はそこにぐっと体重を込める。さすれば天上から赤く輝く五芒星が床に向かって降りてきた。


「闇に染まった魂を清めよう。あるべきところへ還る魂を、私は見送る!」


 苦しみもがく尸蟲を押しつぶすように五芒星の陣が落ちる。


「――滅!」


 ぱん、と紫苑が手を叩く。

 乾いた音が室内に鳴り響き、そして静寂が訪れた。

 もがく尸蟲と侍女は動きを止め――。


「ぎぎぎぎっぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎいああああああああああああああああああ」


 金切り声をあげながら黒い煙となって蒸発した。

 部屋に散らばる霧は小さく小さく寄せ集まり、黒い蝶のような蟲となる。


「蝶になった――」

「否。あれは蛾だ。恐らく術者の元へ戻っていくだろう」


 部屋を覆っていた殺気がなくなる。

 紫苑はゆっくりと立ち上がると、中央で横たわっている明鈴の元へ近づいた。


「……すまない。もう、大丈夫だ」


 明鈴の骸は苦痛の顔に歪んでいた。

 目や口からは黒い体液が流れ、目は開いたまま虚空を見つめている。紫苑は悲しそうに嘆きながらそっとその目を閉じてやった。


「マオ、すぐに火葬の手配をしてくれるか。手厚く弔ってやって欲しい」

「畏まりました」


 マオは一礼すると、明鈴の亡骸を優しく抱き上げ部屋を後にした。

 残ったのは魁閻と紫苑の二人。紫苑は立ち上がり、今度は彼に歩み寄る。


「魁閻……失礼する」

「な――」


 許可も得ず、紫苑は近づくなり魁閻の襟を寛がせた。


「――尸蟲に貫かれた痛みで気付かなかったのか」


 魁閻の刺青は最早体を覆い尽そうとしていた。その刺青を見て一番目を瞬かせていたのは他でもない魁閻自身である。


「どうすれば、このままでは!」

「まだ動けるか魁閻」

「動かねば、皆が死ぬのであろう」


 うん、と紫苑が頷くと魁閻は立ち上がる。


「幸か不幸か、魂は尸蟲となり呪詛師の元へ戻っていく。あれを覆う」


 蛾はひらひらと羽ばたき部屋の外へ出て行こうとする。


「その呪いのカタをつけるぞ、魁閻」


 紫苑は怒りを滲ませながらそれを見た。


「怒っているのか、紫苑」

「ああ。たとえどんな理由があろうとも、死を冒涜する者は許さぬ」


 紫苑は魁閻を支えながら扉を開けた。

 月まだ空高く輝き、蛾は二人を誘うようにゆったりと優雅に空を飛んでいた。

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