小豆粥


「姉ちゃん」


 冬の空は薄氷を張ったようだ。気温が零度を下回ると、あちこちで氷の気配がする。それは家の中にいても感じられるように思う。


「なに?」

「小豆粥つくって」


 そうねだるのはわたしの弟である。といっても、わたしたちは真の兄弟ではない。わたしはこの家の養女で、弟はここで生まれた子。


「あー冬は寒くていやだなあ。な、姉ちゃん」

「わたしは好きだよ。かわいい坊やと一緒にいられるしね」

「坊やじゃねえし」


 子ども扱いされると途端にふくれる弟を残し、立ち上がって台所へ向かう。小豆は昨日炊いてあり、餅はちいさく切ってある。冷えた飯と茹で小豆、井戸から汲んだ水、昨日の煮汁を使っておかゆを作り、餅と砂糖をほうりこんですこし煮ると、小豆粥が出来上がった。



 弟は、わたしに懐いている。


(梅子ちゃん、これを持っていきなさい)


 もう何年前になるだろうか。

 家を出る前日に、実の母から持たされたものがある。小瓶に入った水薬だった。

 当時幼かったわたしは、これなあに、とは、聞かなかった。仄暗い、母の表情を前にすれば、言葉はなくともうっすら理解できたからである。


「梅子、いつ死んだって、構わないのよ」



 ――鍋の中身をかき混ぜながら、わたしは袂にいれた小瓶を取り出す。ガラスの表が、湯気によってたちまち曇る。はたしてこの水薬は、いつまで持つのだろう。


 小瓶の蓋を開けて、匂いを嗅ぐ。


 ――弟は、わたしに懐いている。


「姉ちゃん、できた?」

「ええ。できたわよ」


 実の母ではなく、わたしに小豆粥をねだるくらいには。


「おいしい?」


 弟の部屋へと戻ると、暖をとりながらわたしは尋ねる。障子のかたわらで弟は、ああうまいうまい、と言いながら食べている。一見すると無邪気な、なにも知らないような顔をして。わたしは火鉢にあたりながら、その白い横顔を見つめている。


 足を崩して、指先をもみこむようにさする。霜焼けになりそうだ。


「母さんのよりうまい」


 夢中でかきこむ弟の姿を眺めて、微笑する。本当にこの子は、わたしの殺意に気がつかないのだろうか。一つ同じ屋根の下で暮らしているのに。優しい言葉さえ使えばわからない? 微笑んでしまえばわからない? 愛されているなどと思っているのだろうか。


(梅子、いつ死んだって、構わないのよ)


「甘くできた?」

「うん。」


 お母さんは、わたしに誰を殺してほしかったのだろう。


「姉ちゃんはさ」


 誰かを傷つけろと、呪いのように小瓶がのたまう。


「俺を殺してしまいたい?」


 小豆粥が食べたい、とねだるのと同じくらい、淡々とした声だった。いつのまにか、弟のお椀は空になっている。

 わたしはしばらく口をとざした。


 雪が降り始めていた。大きな華のような、牡丹雪である。庭の椿に夢のように音もなくふりかかる。遠目にも緑が鮮やかだ。

 雪が積もれば、ここはもっと静かになるだろう。


「どうしてそうおもうの?」

「目が怖い。たまに変な小瓶眺めてる」

「なんでもないわ。これはただの風邪薬よ」


 袂から取り出した小瓶の蓋を取って、液体を飲み込む。唇に触れた瓶の口はつめたかった。


「ほらね」


 本当の薬は、池の鯉に飲ませてしまった。

 お母さんに叱られた日に。


「君をまもるのがわたしの仕事よ」

「姉ちゃんは護衛か何かなの?」

「ちがうわ。姉とはそういう生き物なのよ」

「言い聞かせているんだね。自分に」


 つねに尊大な態度を崩さない弟は、飄々とした仕草で笑った。

 そうかもしれないと思って、わたしも笑った。


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