第十九話 赤い華の咲く 

 冥がりでその華は揺れている。

 大輪の真っ赤な華は冥がりを照らす炎を彷彿させる。


 恨みを――。


 華が訴える。

 一族を葬った者へ報復をせよと。

 華の下には〝彼ら〟が今も無念のまま眠っている。

 誰が言ったのか、その華を死人花と。

同じ体を共有しながら、お互いの存在を見ることはないという華と葉。

 秋――、いきなり茎が伸びて花を咲かせ、そして七日ほどして花が終わり茎も枯れ、今度は葉が伸びてきて緑のまま冬を越し、夏が近づくと葉は枯れて、やがて彼岸の頃にまた一気に花を咲かす。

 ゆえにかの華は「葉見ず花見ず」とも呼ばれているという。


 憎しや――。


 かの男の冥がりで咲く華に、四季はない。

 真っ赤な色は一族が流した血。

 全身にたっぷりと毒を湛えて、その時を待ち侘びる。


 男はゆっくりと目を開けた。

 復讐を誓った日から、〝人〟である躯を捨てた。老いることもなく、痛みもなく、哀れみの情もない。

 小波令範は鬼となった。

「――果たしてお前に王都の人間が救えるか?」

 燈台で揺らぐ炎を見据えて、令範は嗤う。

 滅んでいく一族を、誰一人救おうとしなかった王都の人々。

 それを今度は、一人で数多の人を救うとする陰陽師がいる。

「無駄だ。お前も思い知ることになるのだ。人間など救っても、無意味だということを」

 令範の手には、碧く光を放つ殺生石の欠片が二つ。

 かつて手にした本体は、大内裏にある。

 それを奪い返す策を閃いた令範は、起きうる事態を思い浮かべて嗤った。

 

                  ◆


 大内裏・陰陽寮――、晴明の策に師・賀茂忠行は胡乱に眉を寄せて、顎髭を撫で始めた。

「師匠、それ以外に術はないかと……」

「じゃが、晴明。殺生石は以前にも増して妖力を増している。封印を解いた瞬間、どうなるか知らぬお前ではあるまい?」

 ゆえに、賛成できぬと忠行はいう。

 殺生石が存在し続ける限り令範が狙ってくる、ならば砕いてしまえばいいと晴明は思ったのだが、それには殺生石の周りに張ってある結界を解く必要と、安全な場所にて砕く必要もある。しかし、半分砕かれている殺生石は結界が解かれた瞬間に、触れる人間の生を奪おうとするだろう。たとえそれが、呪力が高いものであっても。

「一人だけ――可能な者がいます」

「晴明……?」

「一か八か――ですが」

 その策に、忠行が眉間に皺を寄せた。

「陰陽頭どのには云えぬのぅ……」

 愛弟子せいめいが、誰に何をさせようとしているのかわかったらしい忠行は嘆息した。

 陰陽寮を辞した晴明は、内裏の簀子にて眉を寄せた。

 庭の片隅で、曼珠沙華が風に揺れていたのだ。

 今は初夏、華が咲く時期ではない。

 季節はずれの華を、気にした者がいた。

 晴明が御簾を潜り中に入ると、すぐに上品な衣香が眼前の御簾奥から香ってくる。

「――久しいな。晴明」

 その声音には、やや覇気がない。

 よほど気にかかることが起きたらしい。

「主上」

 今上帝は、晴明の言葉を遮る。

「――この時期に、曼珠沙華が咲いた。秋にでさえ、内裏には咲かぬ華が」

 曼珠沙華――別名・彼岸花は、普通は野や墓地に咲く。

 その紅い華は眺める分には美しいが、毒をたっぷりと含んでいる。

 経口摂取すると吐き気や下痢を起こし、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死に至ることもあるという。

 かつては亡骸を守るため、地中を荒らすモノの撃退にと墓場に植えられたが、今や野や畑などでも見られるようになった。

 その場合は誰かが植えたか、土壌に球根が混じっていたかだ。

 だがそれなら、なぜ今なのか。

 何故今になって茎が伸び、華が咲いたのか。

 しかも、たった一夜にして。

 彼岸花は人の魂を吸ってしまう、彼岸花は人の血を吸って成長すると思っている人々にとっては、この時期に咲いた華が不気味らしい。

 小波令範との決着を前にして、華に振り回される事になった晴明だが、占えとの帝の命には逆らえず、御簾の前で平伏した。

 

                ☆☆☆


 かの華は、七殿五舎・昭陽舎の庭にも咲いていた。

 誰が言い始めたのか、かの華は人の血を吸い、真っ赤に咲き誇るという。

 本来は土中に埋葬された亡骸のために植えられた華が、生まれ持った毒ゆえに不吉とされる。

 荷葉は、昭陽舎に向かう簀子で歩を止めて華を自身に重ねる。

 妖を招く破軍の娘――、そのさだめはこれからも変わらない。そのさだめゆえに、大事な人が気づいていく。

「彼岸花の花言葉をご存じ? 昭陽舎の典侍ないしのすけ

 衣擦れの音に声音が重なって、荷葉は弾かれたように顔を上げた。

「長橋局さま……!」

 荷葉も属する内侍の司にて、四人にいる掌侍ないしのじよう最高位の長橋の局に、荷葉は慌てて頭を下げた。

「花言葉は〝想うはあなたひとり〟だそうよ」

 彼女の真意が測りかねて、荷葉は眉を顰める。

 長橋局・高階澪の噂は、荷葉も知っている。

 たとえ相手が帝であろうと、最高権力者の関白であろうと、理不尽な要求や行為にははっきりと否定し、武術にも秀でた姫だと。

 自分とは真逆な性格の彼女が、荷葉は羨ましいと思う。

 澪なら怖じることなく、過酷な己の運命に立ち向かうだろう。

「長橋局さまには想い人が?」

「何故か私の周りには軟弱な殿方ばかりなのよねぇ」

「え……」

 聞けば、これまでに和歌や文を贈ってきた殿方はいたという。顔を合わせたその日、澪はなぎなたで一勝負を申し込むと、相手は一目散に逃げたらしい。

 荷葉が思わず笑うと、澪も笑った。

「も、もうしわけございません。長橋局さま」

「やっと笑ったわね」

「え……」

「あなたの暗い顔を望んでいない人は多くてよ」

 荷葉は自分はそんなに暗い顔をしていたのかと、恥じる。

「責めているんじゃなくてよ。ただ、何事も逃げてはなにも解決はしない。諦めるのは簡単だけど、後で悔やむのも自分。私はね、典侍。女だからとか、身分がどうのというのは嫌いなの。お陰で恋路とは縁遠くなってしまったけれど」

 そう言って笑う頼もしさが、荷葉には眩しい。

 澪が荷葉の心の中をどう読んだのか、荷葉自身にはわからない。

 しかし下を見がちな荷葉の目が、前を見なければという気に変わったのは確かだ。

澪が去り、荷葉は筆をとった。

 そしてもう一度簀子を出ると、周りを見渡し、問いかけた。

「いるの?」

 相手からの返事はなかったが、荷葉には見鬼の才がある。絶えず誰かの気配を感じていた。それが、晴明の関係者であることも。

 不意に優しい風が吹いて、荷葉の手から文を浚っていく。

 荷葉は祈る気持ちで、文が飛ばされて消えていった昊を見上げていた。


                  ◆


『――だからって、どうして我が呼ばれるんだ? 奴の方が一番手っ取り早いだろうが』

 招喚したかの天将は、顕現するなり腕を組み渋面で不満を言い放った。

 荷葉からだと文を太陰から受け取った晴明は、すぐに玄武を招喚した。

『彼女はなんて書いてきたの? 晴明』

「一面に紅い華が咲いていたそうだ」

 荷葉は夢で見た光景を、そのまま文に書いてきた。玄武は当初は「人騒がせな」と怒ったがそれを太陰が窘めた。

 彼女は夢を見ただけで、晴明に文を出す姫ではないと。

 晴明が導き出した答えに、玄武は眉間に皺を刻んだ。

「その〝彼〟が素直に応じる奴ではないのでな」

 玄武より高い神力を誇る東の闘将は、相変わらず晴明の招喚に答えない。用のないときに呼ぶなと言いたいのだろう。

 確かにここに三人も天将が立たれると、晴明もきつい。

 人の体力を奪うのは十二天将の意思ではないが、使役する晴明でさえかなり疲弊するのだ。

 荷葉が見たという一面の紅い華の夢。

 一夜にして、王都に咲き始めた季節外れの曼珠沙華。

 これがもし小波令範の作為なら、狙いは陰陽寮にある殺生石奪還。

 晴明は確信した。

「間違いない。奴は――王都を火の海にするつもりだ」

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