第十六話 鬼畜となった男、小波令範
――うおぉぉぉぉ……。
朱雀大路に集まった、鬼たちの
冬真たち近衛府の人間が矢を射るが、彼らはものともせずに進んでくる。
「くそっ……」
「焦りは禁物だぞ。左近衛中将」
法源は数珠を手に、呪を唱えて襲ってくる鬼を祓うが、鬼の数は一向に減らない。
「無駄じゃ。そこをお退き!」
『荷葉』の姿をした五十鈴が、睥睨する。
晴明は肩で息をしつつ、五十鈴に向き直った。
「まだ生きておるのかえ? しぶとい男じゃ。
――令範?
何処かで聞いたような名前に、晴明は胡乱に目を眇める。
五十鈴は、檜扇を口に翳して嗤っている。
だが、晴明は見た。五十鈴の背後で悲しそうな顔をした荷葉の、朧気な姿を。
殺して下さい――。
晴明の前に現れた荷葉の念は訴える。
このまま鬼となるくらいならと。
いや――、あなたは必ず助け出す……!
晴明は今にも倒れそうな状態だが、足に力を入れて踏ん張ると、五十鈴に目を向ける。
五十鈴はもう勝ったといわんばかりだが、晴明は狩衣の懐からあるものを取り出した。
五十鈴が目を眇める。
晴明が取り出したモノは『
荷葉から五十鈴を引き剥がすために、晴明が賀茂忠行と陰陽頭を説き伏せて、陰陽寮・塗籠から持ち出したそれを、五十鈴に向けた。
「冥界の神・泰山府君の名において、汝に命ず」
晴明の呪文によって、鏡がカッと光る。
「かの者に取り憑きしモノを絡め取れ……!」
鏡から放たれた光は籠目を形成し、五十鈴の前で弾けた。
『ギャァ!!』
五十鈴が抜けた瞬間、荷葉の躯が崩れる。咄嗟に法源が支え、晴明を振り返った。
「晴明! 姫は無事だ」
「あ……ぁ……、私の……私の顔が……、あぁ……おのれ……」
時が動き始めた五十鈴の躯は朽ち始めていた。
『伊弉冉』はその名のとおり、
本来の髑髏女となった五十鈴に、もはや百鬼夜行を率いる力はない。おそらくその身はもうすぐ消えるだろう。残るは、鬼の集団だが。
「晴明、無理をするな」
冬真に気遣われるが、確かに体力は限界である。血をたくさん流しすぎた。
ここで十二天将を招喚すれば、間違いなく倒れる。
『あとは、わたしたちに任せなさい』
耳朶に触れる天将の声に、晴明はふっと嗤う。
そして――。
「式神招喚! 十二天将、退魔調伏!!」
何人かの天将が飛び出したようだが、晴明はそれを認識することなく意識を手放した。
◆
『あ~あ、倒れちゃったんだけど?』
宙に浮いた姿で少年の姿をした十二天将にして水将・玄武が晴明を見下ろす。
『とりあえず、あの女は祓えたようね』
答えたのは十二天将は風将・太陰である。
『それはいいけどさぁ、あいつは? 確か一緒に出て来たよなぁ……』
玄武は胡乱に眉を寄せ、もう一人の天将を探すが自分を合わせて二人しかいない。
『さぁ、何処かにいると思うけど?』
『一言断ってから動いて欲しいもんだ』
勝手に消えた同胞に、玄武は嘆息する。
『問題は、ここを瓦礫の山にしないか心配だわ』
闘将と呼ばれる天将の中で指折りの力をもつ『彼』が力を駆使すれば、大内裏は間違いなく崩壊する。それが天将の意思ではないにしてもだ。
『まさかと思うけど……』
玄武が視線を運んだのは、朱雀門より中だ。彼らはどんなに離れていても、敵となる相手の気配を探れる。
既に大内裏に侵入したモノに、晴明は気づかなかったのだろうか。この状況である。しかも傷を負っては中にいるモノまで対処は不可。
『いるわね。確実に』
どうやら太陰も、感づいたようだ。
この百鬼夜行は囮なのだ。注意を百鬼夜行に向けて、敵の首魁は本来のモノを目指す。 もう一人の天将が追っていったのなら心配ないと思うが。
『わたしたちはまず、こったを片付けるわよ。玄武』
太陰の言葉に玄武も意識を切り替えて、臨戦態勢に入った。
☆☆☆
彼が『それ』を手に入れたのはいつであったか。
一族を抹殺したものたちへ報いるために生きている男は、禁足地に向かった。
まだ男の父が心を喰われるまえに、語った。
遙か昔、父より数代前の当主が禍となる『それ』を禁足地に封じたと。
男の一族は嫡子のみに、異能者が生まれる。
当時の人々は、誰もがかの一族の力に頼った。時の帝さえも。
しかし、男が元服を迎える前からその信頼関係に
男の父は異能には恵まれなかったが、朝廷ではそれなりの地位にあった。
あの日――あの悲劇が起きる前までは。
異能であることが自分たちの立場を危うくする――謀反という名の下に、妄想に取り憑かれた人々は男の一族――小波家の抹殺を実行した。
男がその真実を知ったのは父とともに隠岐の地に流され、十年も経ってからだ。
受けた衝撃が強すぎたのか、男は記憶を失っていたらしい。
王都に帰ってきた男を、誰も覚えてはいなかった。思い出そうとすらしなかった。
そう、小波令範という人間は死んだのだ。
燃えさかる炎のなかで。
ゆえに――禁を犯すことに躊躇いはなかった。
禍々しい妖気が満ち、碧い光で近づくモノを威嚇してくる殺生石。
延慶として生まれ変わった令範は、久しぶりに殺生石と対峙した。
「りょ……はん……」
背後に立つ気配を、令範は肩越しに振り返った。
「せっかく若い躯を用意したというのに、奪われるとは……」
「あぁ……助けてたもれ……、もう一度――」
戻ってきた五十鈴は、骨がむき出しの有様だ。
「無理ですな。冥府の力が働いた以上は」
「妾は……母ぞ……」
「我にとってはあなたは駒。我がなにも知らないとお思いか? 父という男がありながらあなたがなにをしたか。あなたも謀反の計画に加担していたと、知らなかったとでも?」
五十鈴は実母ではない。美しく気高い女性ではあったが、小波家の財を彼女は使いまくった。そして棄てたのだ。父も小波家も。
しかし結局は、五十鈴も乗り換えた男に棄てられた。
小波家を焼いたのは、五十鈴だ。
「いやじゃ……、ぁあ……、妾の顔が崩れていく……、いやじゃ……」
五十鈴の躯から、ドロリと肉塊が剥がれ落ちる。
令範が五十鈴を冥府から蘇らせたのは、駒とするのと同時に、子どもの時に云えなかった怒りをぶつけるため。
用がすめばもういらぬ存在。
五十鈴はふらふらと彷徨い続け、最後は砂となって散った。
『随分と――残酷な男だな? お前は』
青い髪に青い双眸をもつ長身の男が不意に顕現し、令範は口の端を吊り上げた。
「ふん、またお前か……? 十二天将・青龍」
『お前の計画は失敗した。失せよ』
苛烈な目が、令範を威嚇してくる。
確かに、今回も計画は失敗だ。
「お前の主に伝えよ。この延慶、王都が闇に沈むまで諦めぬとな」
令範は青龍を睥睨したまま、鴉に変じて陰陽寮・塗籠から飛び去った。
◆
「まさか、このままってことないだろうなぁ……? 左近衛中将。私は嫌だぞ? この男に経を上げるのは。ま、やれというのならやるが」
聞き覚えの声がある。恐らく法源だろう。
「
「確かに……。冥府で落ち着いた亡者にとっては陰陽師は怖いだろう。あの世でも祓われて適わん」
二人の男は、当の本人が眠っているのをいいことに言いたい放題である。
第一、まだ信じいないし、冥府に行ってまでも立ち振る舞うつまりはない。
「――いい加減にしろ……」
渋面で見上げると、法源と冬真の視線とかち合った。
「目覚めたか、晴明」
「お主、五日も眠っていたのだぞ?」
「……法源どの、勝手に人を殺さないでいただきたい。それに、お前もだ。冬真」
晴明の言葉に、二人が同時にあさっての方を向く。
「鬼たちは……?」
「それがなぁ……、勝手に逃げ出してな」
冬真は首の後ろを摩りながら、胡乱に眉を寄せている。
推測するに、鬼たちは十二天将が祓ったのだろう。
「荷葉どのは……」
法源が答える。
「無事に邸に送り届けた。怪我などなかったゆえ、かの姫も目覚めよう」
それを聞いて、晴明は躯の力を抜いた。
荷葉は取り戻せた。
これで、心置きなく次なる戦いに臨める。
半蔀が上がっているのか、風が室に滑り込んでくる。
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