第十一話 星がさだめし人の運命

 神隠し事件が収束を見せ始めた頃、王都では新たな事件が勃発した。

 王都内の、寺に安置されている釈迦仏が盗まれたという。

「まったく妖が大人しくなったと思えば、今度は人間が騒ぎ始めた。いつになったら静かになるのかねぇ? この都は」

胡座あぐらをかいて膝に片肘をついた冬真は、そこに顎を乗せると大仰に嘆いた。

近衛府は暇なのか、最近は冬真がちょくちょく、一条の晴明邸にやってくる。

 仮にも左近衛中将であり、傍流とは云え藤原右大臣家の御曹司、その男がふらふらとしているとは、些か心配ではあるが。

「私に嘆かれても困る。第一、賊を捕まえるのは京職と検非違使の仕事だ。陰陽師わたしには関係はない」

 晴明がすげなく言い放つと、冬真が渋面になった。

「お前……、また一段と無愛想になったな? 晴明」

「余計なおせわだ」

 この月――王都の寺院では、かんぶつが行われるらしい。

 灌仏会とは、釈尊の誕生を祝う仏教行事で“仏にそそぐ”ことから「灌仏会」と名付けられ、こうたんぶつしようなどともいわれているという。盗まれたのは当日安置する釈迦像で、右手で天を指し、左手で大地を指した姿をしているらしい。

 晴明は真言は問えることはあるが、仏教者ではない。

 異形の僧都・えいざんの法源なら許せんといって自ら出張って来そうだが、晴明はあくまで陰陽師でそれ以下でも、それ以上でもない。

「この前、言い忘れていたんだが――ある女に伝言を頼まれてなぁ」

「伝言?」

 晴明は口に運ぶ土器かわらけを止めて、視線だけを上げた。

 冬真曰く、冬真に伝言を依頼してきたのは、赤い髪の武装した女だという。冬真は自分にしか視えていなかったというから、人以外の存在だというが、晴明にはその女の正体に十分すぎるほど心当たりがあった。

 十二天将・太陰――恐らく、彼女だ。

 通常――十二天将は、主である晴明の元にしか顕現しない。

 他の人間の元に降りることは、彼らはしてはならぬことと、自身を戒めている。そんな十二天将でも、晴明が招喚せずとも晴明の前に顕現し、体力をごっそり削いで異界へ帰って行くのだが。

 晴明が瞠目していると、冬真は彼女に言われたという言葉を晴明に話す。

「早くしないと、蓮華は摘み取られてしまう――そうだ」

 晴明は、胡乱に目を眇めた。

「なんだ? 蓮華とは」

「俺に聞くなよ……。ずっと睨まれて、怖かったんだぞ。ただ、蓮華といえば――薫衣くぬえの君しか俺は思い浮かばないが」

 薫衣の君は、四条家の姫――荷葉の異称だ。

 更に荷葉は、蓮の葉を意味する。

 太陰が何を言いたかったのか、晴明には皆目見当がつかない。

 

        ☆☆☆

 

 その十二天将・たいいんは、彼らが棲む異界の地で一人気を揉んでいた。

 眼下は雲海が広がり、けんみね(※富士山の頂上)も遙か下だ。

「太陰よ、なにゆえ禁を犯したか?」

てんいち……」

 天一は、十二天将をまとめる立場にある。

 翁の成りをしているが、それは仮初めの姿。他の天将も同じだ。

 少年の姿だったり、厳つい鬼の姿だったり、彼らは自在に姿を変え、何億いや、もっと遙かなる時を生きている。

「我らは安倍晴明を主とした。他の者に降りることはならぬ」

「わかっているわ。今回だけよ。それに、力は貸していないわ」

太陰は十二天将の中で、最も人界に降りている。

 ゆえに、見えてしまったのだ。

 恋に悩む、一人の姫を。

 それが徒人なら気に留めぬが、姫の心は純粋で、必死に押し殺す切ない想いが太陰の〝女〟を意識させた。

 ――あの鈍感……!

 姫の想い人が誰か識ったとき、太陰は脳裏にその男の顔を浮かべて唇を噛んだ。

「放っておけなかったのよ……」

「たとえそうでも、人の問題は人が決めること。我らにも決まりがあるように、人の世界にも決まりがある。それを神だからと、曲げていいということにはならぬ」

 天一の言うことは正しい。

「けっこう、厄介な生き物ね。人間って」

「厄介ゆえに闇が生まれる。それを鎮め祓うがあの男の役目。我らはあの男が力を貸せという時に従うのみ」

 恋には鈍感な男ではあるが、それが自分たちが主とした安倍晴明と天一はいう。

「ただ――」

「ただ――、なぁに?」

「かの姫、破軍の星をもっておる」


破軍の星は北斗七星の第七星、柄の先端にあたる星という。

人には生まれた干支によって、その人の生涯を支配する本命星が決まる。

 陰陽道でも、星のさだめは同じらしい。

子年生まれの人は貪狼たんろう星、丑・亥の人は巨門星こもんせい、寅・戌の人は祿存ろくそん星、卯・酉の人はぶんきよくせい、辰・申の人は廉貞れいてい星、巳・未の人はきよくせい、午年の人はぐんせいというように、北斗七星のいずれかがその星となる。

だが破軍の星は――。

「晴明は、知っているの?」

「かの姫が破軍星か知っているかはわからぬが、あの男は陰陽師。互いに苦しむことになるであろうの」

 陰陽道では、破軍星の指し示す方角を不吉として忌むという。方角だけならいいが、破軍の星は異界のものを招くという。

たとえ神であっても、星のさだめは変えられないと天一はいう。

「そんな……」

 太陰は拳を握り、唇を噛むしかできなかった。

 

 ☆☆☆


 満開の桜の枝を、東風こちが揺らす。

 雲一つ見つからぬ紫がかった春の空は、脆い膜のようであった。

 内裏・清涼殿に参内した晴明は、今上帝に拝謁した。

「――例の妖、息絶えたと聞いた。真か? 晴明」

せんじたところ、もはや王都に害をなすことはないかと存じます」

 神泉苑にて帝を襲撃しようとした水虎は、もうこの世にいない。

 式盤で占えば、答えは晴明と思った通りの結果を示した。

「そなたの機転により朕は命拾いした。礼をいうぞ」

「もったいなきお言葉にございます。主上」

「しかし――今度は賊が都を賑わせている。平らに和むべきこの都が」

 この山背の地に遷都した際、時の帝が「平らに、万民が和む都」という意味でつけた平安王都。しかし鬼や妖はばつし、内裏では権力争いと忙しない。

主上おかみ……」

「わかっておる。朕の愚痴じゃ。賊にはほとけの罰が下りよう。そなたを呼んだのは、別のことだ。晴明」

 帝曰く、七殿五舎に鴉が飛び込んで来たという。

「鴉……?」

「以前にも鴉がこの内裏に侵入したと聞く。不吉な前兆ではないかと中宮が気にしてな」

「わかりました。占じてみましょう」

鴉と聞いて晴明は、水虎を操っていたものが再び式を放ってきたと推測する。

 やはり、まだ終わっていないのだ。

 清涼殿を出た晴明は、ぎくっと躯を震わせた。

 嫌な妖気を感じたのである。

 ――どこだ!?

 晴明は直衣の袷から呪符を引き抜くと、宙に放った。

「探れ!」

 呪符はさぎの姿となり、飛んでいった。


       ◆

 

 七殿五舎――昭陽舎の簀子を女房装束に身を包んだ、荷葉が歩を進めていた。

 塗籠で片付けをしていた荷葉は、周りの女房たちがいつになく不安そうにしていたことに首を傾げた。

 ――何かあったのかしら?

 不吉な予感が、彼女の鼓動を早める。

 もうすぐ主・聡子の室という曲がり角で、荷葉は簀子の欄干に鴉が止まっているのに気づく。その鴉が嗤った。

 鴉が嗤うわけがないのだが、荷葉には視えてしまう。

 その時、しゃんっと鈴の音のような音がした。


「破軍の星は妖を引きつける」


 いつしか鴉の姿は消えて、法師が荷葉の前にいた。

 すり切れた法衣、乱れた蓬髪、そして冷たい双眸――手にした錫杖が、しゃんっと音を奏でる。 

 荷葉は一歩、後ろに下がった。

「ふふ……無駄だ。星の宿命からは逃げられぬ。娘」

「あ……」

 躯は金縛りにあったように動かない。

「我が名は延慶。そなたの名を、我に」

 延慶が、ついっと口の端を吊り上げた。

「い……や……」

「さぁ、いうのだ。わが言霊を受け入れ、星の運命に従え」

だめ……いけない。

 もう一人の自分が、荷葉を制す。

 ――晴明さま……!

意識がまるで蕩けるように、崩れていく。

 そして――。

「わたしの……名は……荷葉」

 もうそこに、『荷葉』はいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る