僕と君が並ぶ日まで。〜せっかくの異世界転移なのに異能を貰えなかった俺は勇者の君に救われ続ける〜
虫歯
序章
第1話 奇跡
――なぜ、人は生きるのだろう。
目を開けているのか閉じているのかも分からなくなるような暗い部屋の中で、漠然とそう考える。
夢を叶えられないかもしれない。
楽しいことがないかもしれないし、物事が思ったようにいかないこともあるかもしれない。
いくら人の生きる意味を見出そうとしても、その全ては“不安”の可能性に押しつぶされてしまう。
だが、それでも人は絶望せずに生きている。
だから分かった。人が生きる理由に、個人の意思など関係ないのだと。
ならば、何故人は生きるのか?
それはひとえに、“人のため”。
明日、友達と遊ぶため。仕事相手と出会うため。
明日、笑うため。だれかと一緒に過ごすため。
つまり。
「……他人になんの影響も与えない奴には、生きる意味なんてない」
もう目が見えなくても手に取れるほど場所を記憶した、ハサミ。
それを手に取り、喉元へ近づける。
一年前、人と出会うことを恐れて引きこもった人間など世界には必要ない。
生を憂い、自分の不甲斐なさを憎み、ハサミを喉元へ近づけ……そして、元の位置に戻した。
目を開けなくてもハサミの位置を把握していたのはこれが理由だ。
毎日のようにハサミを手に取り、喉元へ近づけ、そして死を恐れ元の場所に戻しているのだ。
心の中では確かに死を望んでいるはずなのに、いざ死が現実的なものになると恐怖に負けて生を求めてしまう。
そんな自分が憎くて、恥ずかしくて……でも怖いものは怖くて、醜いまま生きてしまっている。
こんなことになってしまったのは全て、一年前のあの日……本来楽しかったはずの、“体育祭”の日が原因なんだ。
………
……
…
小学生の頃から、足が速かった。
運動会のリレー選手には毎回選ばれ、そして一位を取っていた。
友達も多くて、毎日が楽しくて楽しくて。
それが、これからもずっと続いていくものだと思っていたんだ。
実際、中学に上がっても毎日が楽しかった。
勉強の時間が少し増えたが、それでも何かが大きく変わることもなく、当たり前の日常を謳歌していた。
だが、その日が来た。運命の分岐点……体育祭の日が。
つい、思い出すたびに来ないでほしいと過去に願ってしまう。あの時の、何も知らない自分に「気をつけろ!」と叫びたくなる。
しかし記憶は嘘をつかずに、ただ悔やむことしかできない。
……といっても、別に大した悲劇ではない。
親が死んだわけでもなければ、足が折れたというわけでもない。
ただ一回、クラス対抗リレーの時に転んでしまったというだけだ。どこの学校でも必ずいる、“転ぶ人”。
まさかそれが我が身に起きるとは思っても見なかったが、起きてしまったのだ。
原因は覚えている。前を走っていた奴が、目の前に“石”を落としたのだ。
突然落とされた石を避けられるわけもなく、思い切り踏み抜いてしまって派手にすっ転んでしまった。
それだけならまだ立ち上がれたのだが、足首を挫いたせいで足が言うことを聞かなかった。
追走もできぬまま、一位を逃すどころかビリ。この時はまだ、これをあまり大事には思っていなかった。
ああ、負けてしまった。少々不満はあったが、抱いた感情はそれだけだ。だが、みんなはそうじゃなかった。
その後、閉会式を終え、自宅へ帰る。すると、見に来ていた両親から罵声を浴びせられたのだ。
死ねとか、殺してやるとか、そこまで感情的じゃない。
しかし、「あんなところで転ぶのはお前の練習不足だ。反省しろ!」だの、「恥ずかしくないの!?」だの……その言葉には、間違いなく怒りと憎悪が込められていた。
大方、仕事先の知り合いやママ友などに
それが恥ずかしくて、子供にあたっているだけ。
そう思って、その日は早くに寝てさっさと学校へ行った。そこで二つ目の事件が発生する。
自分の机が、酷く汚れていた。いや、汚されていた。
慌てて近寄り机の落書きを確認すると、「死ね」という言葉が大きく書かれていた。
その瞬間にわかった、これは“いじめ”だと。
教室の端を見ると、わざとらしく油性ペンを手に持ってニヤニヤしている奴らがいた。
そいつらは、田中、佐藤、山田の3人。
前々からあまり仲が良くない相手で、意見の相違などでよく対立していた奴らだった。
まさかこんな直接的に手を出してくるとは思っていなかったが、あまり頭も良くない奴らだったからなと納得していた。
机の落書きが全く消えず難儀していた時、いつもつるんでいた友人が登校してくる。
普段のように声をかけるが、反応はない。あからさまに無視している様子だ。
まさかと思い“奴ら”……田中達に目を向けると、笑いを堪えようと奮闘している真っ最中だった。
そういえば今日は妙に挨拶が少なかったなと周囲を見渡すと、みんな気まずそうに目を逸らす。
やられた、と思った。
馬鹿だと思って油断していたが、まさかたった数日でこんな根回しをするとは、正直思っても見なかったからだ。
これは面倒なことになったぞと、教師に相談しようかと考える。だが、こういう時の教師は全く役に立たないとも聞く。
どうすれば面倒ごとを解決できるか、なんとなくクラスを見渡していた時、視界の端に“あいつ”が映った。
リレーの時、目の前で拳大の石を落としてきたアイツ。
いつの間に教室に入ってきていたのか知らないが、彼は田中達と何食わぬ顔で会話を楽しんでいた。
そういえば、アイツは田中達と仲が良かった。
(……元凶はアイツか)
と、イライラの視線を向ける。彼はそれに気がつき、笑って挨拶にくる。
なんて白々しいのだろう。
汚れた机を見て驚く演技までして、「先生に言ってくるよ!」とわざわざ大ごとにしてくれた。
そんな彼の周りには、何故かいつもより人が集まっていた。こっそり聞き耳を立てていると、その会話が聞こえてきた。
「……ごーい! ……くんって、足が速かっ……だね!」
どうやら、先日の体育祭のリレーで一位になったことが理由でちやほやされているらしい。
そこで、いろんなことを考えてしまった。
以前から仲良くしていた奴らが簡単に裏切ったのは、そもそもこちらが勝手に“友達だ”と勘違いしていただけで、実は彼らからしたらただ“足が速い奴”程度に認識されていなかったんじゃないか、とか。
その“足が速い奴”が、“もっと足が速い奴”に負けた。
足の速さにしか魅力がなかったとするのなら、リレーで勝ったアイツに全員の興味が向くのは至極当前のことなんじゃないか、とか。
普通に考えたらここまで思考が飛躍することはなく、全部田中達のせいだと気づけたのだが、この時は初めて“いじめ”というものを体験してかなり焦っていた。今までの人生がうまくいっていたというのもあり、相当打たれ弱かったのだろう。
その思考を正解だと勘違いした瞬間から全員が敵に見えて、その場から逃げ出したのだ。
そして自室に引きこもり、親の声も全て無視し、学校へ行かなくなった。
そして、自分が“不登校”になったと自覚した時から、何をするのにも引け目を感じるようになった。
風呂へ入るのも、トイレへ行くのにも、何かを食べるのにも。
欲や生理現象には逆らえずに、深夜に食パンを齧ったりしていたのだが、そんな生活をしていて健康体なわけがない。
体を動かすこともなく、頭の中でずっと後悔を繰り返していたのも災いし、おそらく精神を病んでしまったのだ。
“恐らく”というのは、第三者視点から見た自分がどう映っているのか分からないから。それでも精神を病んでしまったのだと判断したのは、以前の自分と比較して明らかに狂っていたからだ。
普通の人間は、「死にたい」と思っても「死のう」とは思わない。
……死のうと思っても、死ぬ勇気がなく一歩手前で生にしがみついているのだが。
だからここ最近は、ずっと奇跡を願っていた。
例えば、こことは違う世界に行くことはできないか、とか。
心から信頼できる相手と出会えないか、とか。
……人生を、やり直せないのか、とか。
だが、そろそろこんな自分に嫌気がさしてきた。
ありもしない奇跡を望み、何もしない時間を過ごし続けるなど。こんな生活には、いずれ、限界が来る。
第一……このまま死ぬなんて、とてつもない屈辱だ。
何度もハサミを手に取り、ようやくわかった。
死にたいんじゃない、生きたいんだと。
愚かでも、醜くても、生き恥を晒してでも、それでも生にしがみつきたいんだと。
“本能”が叫んでいる。
――絶対に死にたくない、と。
だから、ようやく決意した。
精一杯“生きる”決意を。絶対死なないように、何があっても生きるために。
時間はかかってしまったが、そのおかげで奇跡は起きないものだとわかった。
「……よし。“本気”出そう」
そう自分自身に言い聞かせ、ベッドから飛び起きたその時。
長らく寝ていたのに急に起き上がったのが災いしたのか、意識が朦朧としてきたのだ。
まるで脳が揺れているかのような――たぶん本当に揺れている――気持ち悪さに耐えきれず、思わず倒れ込んでしまう。
その気持ち悪さは今までの人生でも味わったことがないくらい絶望的で、今まで避けてきた死を目の前に感じてしまうほどだった。
……もしかして、死ぬのか。こんなやる気を出した時に、死ぬのか。
そんなのは嫌だ。あまりにも格好が悪い。生きたい……この命を、捨てたくない。
今までとは打って変わってそう願ったが、そんな心変わりを神様が見ているわけがない。
抵抗虚しく混濁する意識の波に飲み込まれ、気を失ってしまった。
現実とは、かくも非情なものなのだ。
――だが、奇跡は有情である。
彼の願いを聞き届けたのか、否か。
それを知る術はないが、奇跡は間違いなく彼のもとへ舞い降りたのだ。
彼が、長い間望んでいた“奇跡”が。
気を失った彼の身体は淡く光り、存在が薄くなってゆく。
彼がこの世界で持っていた“存在”が、全く別の世界へ移ったのだ。
この現象の正体は、まだ人が観測できる次元の外側にある。
とても遠く、しかしすぐそばに在る“別世界”への転移。
それは、まさに神の所業と言わざるを得ないほどの奇跡だった。
しかし、何者かの意思で起きたことならば“奇跡”とは呼ばない。
つまり、彼の身に起きたことは、正真正銘の“奇跡”。彼が心から待ち焦がれ、しかしその可能性をゼロと切っていたほどあり得なかった“奇跡”。
――それこそが、異世界への転移であった。
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