7話 阿呆が跋扈する二日間

 売り子といっても客を捕まえて屋台まで引っ張っていくような事はしない。ぶらぶら歩きながら、顔馴染みに「何処そこで、こういう物を売っているから、知り合いを誘ってぜひ来てくれ」と声をかけて回る、そこはかとない広告塔として機能するのが主な役割である。この二日間は、それが学生同士の挨拶代わりのようなものだった。

 茉莉花は、帯に挟んだ小物入れにカードの束を忍ばせていた。先日、利玖も開封を手伝った、ウエハースに同封されていた代物である。なぜそんな物を持ち歩いているのかと訊くと、「物々交換よ」と答えが返ってくる。

「どこかに担当がいるかもしれないわ」

「担当……?」

 いったい何を担当しているのか、担当しているから何だというのか、訊ねるには行き交う人の数があまりにも多過ぎた。

 路線バスの停留所がある西門と食堂前の広場を直線で結ぶ西門通りは、駅前からバスでやって来た客も加わって押し合いへし合いの大混雑が繰り広げられている。自動車が一台通れるぐらいの幅しかないのに、道の向こう側に渡るのも困難なほどだ。

 とても知り合いを見つけて声をかけるどころではない。そもそも知っている顔を見つけようにも、フェイスペイントや仮装、派手な化粧などで、元の顔立ちが判然としない者が大勢いる。

 利玖と茉莉花は、人混みに流されないようにがっちりと腕を組んで西門通りを抜けると、広場の先にある掲示板の根元に逃げ込んだ。ブロックで囲った路肩の一部に砂利が敷き詰められて、足元が少し高くなっている。

 そこに立って、利玖と茉莉花は、同時に深呼吸をした。

「ものすごい人ですね」利玖が言う。体の小さな彼女は、ブロックの上に立ってもまだ人混みの平均より視点が低い。

「そうね、晴れたから……」茉莉花は白い息を吐きながら空を見た。「とはいえ、この寒さだから見込みはあるわ」

「ええ。場所も、まずまずの良い所を引き当てられました」

 温泉同好会の屋台は、西門通りを逸れた、学生支援センターと理学部棟の間にある。来ようと思わなければ通りがからないが、陽がよく射すので決して近寄りがたい雰囲気ではない。西門通りの混雑に辟易してそちらへ流れていく客を、すでに道中で何組か見かけていた。

 構内のどこに屋台を構えるかによって売り上げは大きく変わる。毎年、屋台を出す予定があるサークルの代表は、事前に食堂に集められ、厳正なくじ引きによって出店場所を決定する習わしになっていた。

 箱の中から数字の書かれた紙を引いて、区画ごとに割り当てられた番号と照らし合わせるという古式ゆかしいやり方で、いかさまをする余地などないように思えるが、大学の「顔」とも言えるような知名度の高いサークルには不可思議なバイアスが働く事があるとか、ないとか。

 いずれにしろ利玖達には関係のない話だ。権力抗争とは無縁の温泉同好会である。

「熊野先輩とはどうするの?」

 四月の入学式に合わせて、この掲示板に貼り出され、今ではすっかりもの悲しげなセピアに色褪せた様々なサークルの部員勧誘ポスターを眺めながら、そんな事を考えていると、急に茉莉花が訊いた。

「何がですか?」

「今日は売り子で、明日は店番でしょ。一緒に回る時間が取れないんじゃないかと思って」

 いったい誰の話をしているのだろう、と眉をひそめていると、茉莉花の顔がみるみる険しくなった。

「まさか、二日とも別行動?」

「史岐さんとですか?」

「初めにそう言ったわよ」

「別行動というか……、特に何の段取りもしていませんが……」

「なんてこと!」茉莉花は額を押さえて天を仰いだ。「いけない、それはとてもいけないわ。危ないわよ」

「全然話が見えませんが」

「あのね……」茉莉花は言葉を引き出そうとするように、足踏みをしながら唇を噛んだ。「あなたと熊野先輩の事は、一部の学生の間では知れ渡りつつあるけれど、まだちょっとふんわりしている所があるでしょう」

「ふんわり」

「たとえば今、熊野史岐さんとはどういうご関係ですか、って訊かれたら、何て答える?」

「ご友人ですかね」

「そこよ」茉莉花は指を突きつけた。「そういう微妙な感じだと、『まだチャンスがあるかも』とか、『ちょっと大胆な手を打たないと取り逃がしちゃうかも』なんて考える輩が、いないとも限らないわけよ」

 何のチャンスなのか、と思ったが、後で質疑応答の時間を取ってもらえるのだろうと思い、利玖は口を挟まずに、質問内容を忘れないように覚えておくに留めた。

「それでなくても、この週末は阿呆あほう跋扈ばっこする二日間なんだから。ずっとそばを離れないとまでは……、いかなく、ても……」

 熱弁をふるっていた茉莉花の視線が、徐々に利玖の顔を離れ、後ろのやや上方を見つめて静止した。

 利玖は彼女の視線をたどる。

 話題の熊野史岐が、気まずそうに肩をすぼめて立っていた。

「こんにちは」利玖は落ち着いて挨拶をする。

「ごめん、人が邪魔で、こっちからだと利玖ちゃんしか見えなくて……」

 史岐は言葉を切ると、茉莉花に向かって会釈した。そういえば、二人が直接顔を合わせるのは、利玖の知る限りでは初めての事である。

「あの……、わたし、ちょっと……」茉莉花はしどろもどろな口調になったかと思うと、突然、目元を手で覆った。「もう! 浴衣だからって手を抜かないで、ちゃんと薄化粧風のメイクをして来たらよかった!」

 言い終えるや、勢いよく頭を下げ、そのまま身をひるがえして西門通りの人混みに突っ込んでいって、見えなくなってしまった。

「いいの?」史岐が申し訳なさそうに隣にやって来た。

「厳密に就業時間が決まっているわけでもありませんから……」質問をさせてもらえなかった、と思いながら利玖はブロックから下りる。「それに、ウエハースのおまけの交換を持ちかけてくる浴衣姿の女子生徒を見なかったか、と聞いて行けば、見つけるのも容易たやすいでしょう」

 並んで歩き始めてしばらくしてから、史岐が、

「阿智さんって、食玩集めが趣味なの?」

と訊いた。

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