7話 邂逅
程なくして、戻って来た利玖が、緊張した声色で「失礼します」と告げた。
「今、兄の客人がこちらに見えておいでなのですが、これから書庫の見学をされるご予定らしく……。暗い通路で顔合わせというのもきまりが悪いですから、お話の途中で申し訳ありませんが、簡単に挨拶だけでもさせていただけますか?」
史岐と柊牙が応じると、利玖は障子を開けて後ろにいた人物を引き入れた。
「どうも、こんにちは」
「あら……」
銀縁の眼鏡をかけた背の高い男が、軽く礼をするのと同時に、彼の後ろから現れた少女が驚いたような表情を見せた。真っ黒なセーラー服の上に、美しい刺繍を施した
彼女を見た途端、史岐が「うわっ」と言いかけ、慌ててそれを咳払いで誤魔化した。
「まあ、失礼ね」少女は指先を唇に当てて、くすくすと笑う。「匠さんに頼んでつまみ出してもらおうかしら」
「そんな乱暴な事しませんよ」
匠、と呼ばれた男は、柊牙達の向かいに腰を下ろした。
彼に続いて、セーラー服の少女、そして最後に利玖が入ってきて障子を閉める。
「初めまして。長兄の佐倉川匠です。こちらは……」匠が、隣に座った少女に手を差し向ける。「槻本家のご令嬢、
美蕗は軽く頷いただけで、言葉は発しなかった。
「冨田柊牙です」柊牙は姿勢を正して名乗った。「史岐とは同じ大学で、情報工学を専攻しています」
「ああ、僕も、潟杜大の博士課程に在籍しているよ」匠は、史岐に目を向ける。「ところで、君は美蕗さんとも面識があるようだけど……」
「たまに、話し相手として家に呼んでいるの」
割って入った美蕗が端的に答え、それから、席が埋まっているので部屋の端に座り込んでいる利玖を見た。
「さっきお会いした時に、妹さんだとは伺ったけれど、名前は何とおっしゃるの?」
「利玖です」
「字は?」
「利益の利に、王偏に久しいと書きます」
「そう……」興のある答えが返ってきて満足だ、と言わんばかりの表情で美蕗は頷く。「めずらしい漢字を使うのね」
「国名のキューバを漢字で書く時などにも使われていますね」
匠はそう補足しながら、コードが挿さった電気ポットを両手で引き寄せた。
「利玖。これ、まだ使えるかな」
「あ……、いえ、わたしがやります」
利玖が机の
しかし、柊牙はその話を、一度目とは違う言葉で締めくくった。
「……で、これが、俺の地元に伝わっている『まがい
彼の故郷では魚が獲れる。そこに暮らす人々は、当たり前のように近所で揚がった魚を食べて育つ。
しかし、時に、見た目は普通の魚と変わらないのに、
これが、まがい魚、と呼ばれるもので、
「俺の場合は、そりゃ、目だわな」
柊牙はそう言って、
「帰省された時も、地元の魚を食べられたのですか?」と利玖。
「ああ。姉貴の嫁ぎ先の、
「それなら、なおさら異変に気づくのでは……」
「普通の人間には、捌いてもただの魚に見えるのかもしれないわ」美蕗の双眸がわずかに細くなる。「あるいは……、異変に気づき、伝承の内容も知っていた上で、
利玖と史岐はぎょっとしたが、柊牙は笑みを浮かべながら「実はそれも考えた」などと言う。
「俺には、他人の隠し事を覗き見る趣味なんざないが、相手方がどう捉えるかはわからんからな」
「それだと、お前に霊視が出来る事を、矢淵家の人間も知っていたって事になるけど」
史岐が問うと、柊牙はひょいと眉を上げた。
「別に、おかしくはないんじゃないか? 何年も付き合って、結婚までしようって仲なんだから、家族の事ぐらいは話すだろ。俺もこの通り、内緒にしてくれって頼み込んでいるわけでもないしな」
「そこまでわかっているのに、これ以上、お役に立てる事があるのでしょうか……」
利玖が途方に暮れたように呟くと、柊牙は「ある」と頷いた。
「正体の察しはついても、対処法……、いや、この場合は呪いの解き方って言った方がいいのかね。それがわからねえ。何せ、ただの昔話だと思って生きてきたんでな」
と、そこで美蕗がいきなり、それまで見向きもしなかった湯呑みを手に取って、茶を一口飲んだかと思うと、
「このお茶、面白い味がするわね」
と匠を見た。
「茶葉が余っていたら、少し分けていただけないかしら」
それが、茶葉の残量に関わらず譲渡を要求する口調である事は、初対面の利玖でさえわかった。
さらに言えば、彼女は茶の味などどうでもいい。この場から匠を追い出したがっているのだ。
「それは構いませんが……」匠も当然、その意図には気づいているらしく、考えながら言葉を次いでいる。「今は、家の者が皆出払っていますから、僕が用意する必要があります。すると、書庫にあなたを一人残してしまう事になりますね」
「本を読むのに話し相手などいらないわ」
「ここは少々造りが変わっていますから、案内役がいないと道に迷いますよ」
美蕗は、にっこりと笑って利玖を見た。
「こんなに立派なお嬢さんがいるじゃない」
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