第6話
陽が昇る頃には雨は止み、空は晴れていた。石畳の大通りの水は既にはけていたが、路地にはまだ水たまりとぬかるみが残っている。
昨夜は合同捜査班が押し寄せたため、ローズたちは早々に引き揚げざるとえなくなった。だが、あの騒ぎのためか、昨夜は被害者を出さずにすみ、オジーの運用試験としてはまずまずだったため良しとすることとした。
フレアは一夜明けて、昨夜最後に剣の反応が消え失せた辺りを歩いてみたが、得る物はなかった。周辺の路地の足跡も警備隊のおかげでぐちゃぐちゃになっている。狩りには自信があるフレアだがこの状態ではため息しか出ない。
「おはようございます。フレアさん!」
その声にフレアが振り向くと作業着姿の青年が一人立っていた。笑顔だがすこし眠たそうである。フレアの知っている青年で、ケインという名だった。家族と共に塔のそばの住宅に住んでいる。彼の父親は昨夜、居酒屋で騒いでいた。
「おはようございます。これからお仕事ですか」
「いいえ、今から帰りです。フレアさんはどうしてここに?」
「ああ、それは……」
「あっ、あの串刺し魔は昨夜はこの辺りに出たようですね」
「どうして、それを……」とケイン。「昨夜、夜中にうちの工場に警備隊が飛び込んできましたね。でかい得物を持った連中と一緒に連れ立って」
でかい得物を持った連中、おそらく特化のことだろう。彼らの中には人の身長ほどある大剣や斧を振り回すものがいる。目撃者と出くわすとは思わぬチャンスである。
「よければ、その時のことを話してもらえますか」
「いいですよ。歩きながらでいいですか」
二人は連れ立って歩き始めた。
「俺、この近くの煉瓦工場で働いているんですよ。昨夜は夜勤で工場にいたんですが、夜中の休憩の後だったかな、ずぶ濡れの警備隊士が工場に飛び込んできて、その後他の連中もやってきました。ずぶ濡れでローブを着た奴が来なかったかと聞いてきたんですよ。黒いローブで大柄の男って話でした」
「そのローブの男は誰も見なかったんですか?」
「もちろん、誰も見てません。いくら忙しいからって知らない奴が入ってきたら誰かが見てますよ。それもずぶ濡れのローブで体格のいい男なんて隠れようもないでしょ。それでも警備隊と一緒に来た奴らはしつこく食い下がって工場の隅々まで見て回ってましたね。工場長が面倒そうに案内してましたよ」
特化の行動は剣の意識操作を警戒してのものだろう。剣の詳細を知らないケインがしつこいと感じても無理はない。とりあえず、今の乗り物は容姿は不明でも大柄の人物らしい、それならフリーデンはどこへ行ってしまったのか。
「ケインさん。この辺りで物を隠すとか、隠れることができそうな所はありますか?」
「それは昨日の連中も聞いてきましたね。夜の間、人のいない所はいろいろとありますが、どこも頑丈な鍵が付いてるから入るだけでも大変だし、朝にはそこの人が出てきますから何かあればすぐ見つかると思います」
確かに昼間はどの工房も人がいる。倉庫が荒らされればすぐにわかる。夜はともかく朝にはばれるだろう。剣は十分に安全な隠れ家を確保しているのか。そうなるとやはり探すべきは乗り物、剣に魅入られ操られている人物である。
「それなら、ここ何日かで急に様子がおかしくなった人とかいますか」
「おかしいってどういうふうにですか?」
フレアはそこまで考えていなかった。剣に操られ乗り物となって人を殺すのだから、どこかおかしくなっているだろうと思ったが、具体的なものはわからない。
「体調を崩しているとか……」思いついたのはこれだった。
「そういえば、近くの人形工房の職人さんが最近、体調を崩して寝込んでますね。ここから北のに行った運河のすぐそばです。工房の二階に住んでるんですよ」ケインはそちらを指差す。
「鳥や猫、トカゲとかの小動物の動人形が専門なんですが、最近は人も作るそうです。近くの工場の親方が事故で失った右腕の代わりを作ってもらったそうで、見せてもらったら本物そっくりでした。力仕事も細かな作業もできるようになって大喜びでしたよ」
「どんな雰囲気の職人さんですか?」
「俺達とは違って華奢な感じですね。背は高いですが、腕も指も細い、まぁだから細かな細工が楽なんでしょうけど……」
それからもしばらくフレアはケインと少し話しながら路地を出て運河沿いの道路まで出た。そこでは運河を見下ろす野次馬の一団が目に入った。フレアたちもその場に行ってみると、彼らは運河を川下から遡ってくる警備隊の船を見ていることがわかった。乗船しているのは警備隊士に白服それに平服の男。船の甲板に布が被せられた担架が載せられていた。布の下にあるのはおそらく遺体だろう。運河で遺体が見つかることは珍しくない。しかし、白服までが付き添うことは非常に珍しい。
船は運河に設置された桟橋に静かに横付けされた。運河の水位はまだ落ち着かず澱んだ深緑色の水が桟橋を洗っている。警備隊士数人が遺体を載せた担架を持ちあげ、桟橋へと運び上げようとしていた。しかし、頭側を担当していた隊士が船から降りる時に足を取られ転びそうになった。彼はなんとか持ちこたえたが、担架は大きく傾き載せられていた遺体は水浸しの桟橋に転げ落ちた。
野次馬たちは悲鳴を逃げたが、すぐに怖いもの見たさにまた近づいてきた。桟橋に落ちたのは白髪混じりの初老の男、衣服の胸元は大きく裂けている。そしてその中からはあの特徴的な惨たらしい火傷がのぞいている。露わになった遺体は速やかに布が被せられ、元の状態へと戻されたがフレアは全てを見て取った。白服がわざわざやってきた理由もよくわかった。
「昨夜も被害者が……」ケインも傷の状態に気が付いたようだ。新聞では剣の詳細などは伏せられているが傷などの情報は報道されている。
「それにしては鮮度が感じられないわ」
「鮮度?」
彼女には動かない人は食物に見える。それはローズのもとで働き出して五十年たっても変わらない。隠していても不意に地が出てしまう。
「行きましょ。死体なんて見ててもつまらないわ」
フレアはケインの作業着の袖を軽く引き、野次馬の中から連れ出した。
「いいんですか?」
フレアは答えずに歩き出した。とりあえず、見るものはみたし、長居をするとまた警備隊などに絡まれることになりかねない。
今、現れた遺体がフリーデンならば、あの遺体の状態から見て彼は三、四日前には既に殺されていたのだろう。そして、水の影響が大したことがないところをみると、昨夜まで乾いた場所にいたが夜中の増水で流れてきたというところか。それならこのあたりの誰かがフリーデンを隠していたのだ。
運河から発見された遺体はアルム・フリーデンであると確認が取れた。そして剣の買い手や彼の顧客である金持ちや貴族たちを対象とした捜査も順調に進んでいる。突然の家宅捜索を最初は拒絶する者もいたが、特別部からの異端審問を匂わせる文書の効果は絶大で、皆それを目にするなり素直に応じた。帝都旧市街において、屋敷の玄関先に白服が現れること自体が家名の信用に関わることとなるためである。
しかし、剣が発見されることはなかった。
「これといった進展はなしということですか」差出人不明の封書に書かれた内容にフレアはため息をついた。
これはフレアが昼下がりに帰宅した時に玄関で発見した。これにもそれなりの対価が発生している。ローズの入れ込みようの表れでもある。
「乗り物候補が着実に減っていると考えなさい。わたしたちが、すみません。あなたのお屋敷を隅々まで見せていただけませんか?なんて言えないでしょう」ものも考えようか。フレアはそれ以上反論は避けておいた。
オジーの視覚を介してみる新市街は光にあふれ、頭上の夜空に変わらぬほどに美しい。その輝きの正体を知ってもそれはローズの興をそぐことはない。新しい知識は常に彼女の心を躍らせる。千年の齢を経てもなお知らぬことがあることに彼女は心を弾ませる。今夜は眼下に広がる作り物の夜空を眺めつつ、その時を待つつもりだ。
輝きの一つはフレアである。愛らしい少女のふりをやめたフレアは気配を消し、闇に潜んでいる。壊すな、殺すなと、とりあえず言いつけておいたが、狩りを始めた狼人の制御がどこまでできるか、それはローズにとってもかなり疑問である。
狼人の最強形態が獣化であることはよく知られている。しかしそこまでいくと、人としての意識が飛んでしまい、フレアとしては面白くなかった。戦いを楽しむためにはその手前で押さえること、そうすれば相手の力強さを感じることができる。昨晩の逃走の手際から見て、剣の乗り物は思いのほか楽しめる相手かもしれない。
深呼吸をし、気を落ち着けるようと努めるが、久しぶりの狩りに対する興奮は抑え切れない。今は街の風や音、匂いなどすべてのものが心地よい。
「フレア仕事よ」
剣の目印と思われる深紅の光点発見の報を受けフレアは走り出した。それはまた前夜と同じく突然、街の中に現れた。そして、また唐突に消えうせるだろう。取り押さえるまでの時間は限られている。現在地は昨夜の現場から遥かに南の住宅地。光点は東へ移動している。それが止まるまでに追いつかなければならない。
「六番通りを東へ」
通りを疾走し指示のまま路地へ、そこにフレアの目の前に警備隊員達が現れた。フレアはとっさに彼らを避け事なきを得たが、二人がフレアに気が付いている様子はなかった。まるで立ったまま眠っているようなうつろな目をしている。不意に現れた剣の能力にはまったのだろう、一人の胸に傷が付いていたが、身に着けていたコバヤシ製の防刃胸当てにより難をのがれたのだ。剣はつまらぬ手間を避けその場を去ったようだ。
「どうしたの?そのまま南よ。急ぎなさい」
往来の邪魔になる二人をすり抜けたフレアは男の絶叫を耳にした。すぐそばの路地の陰からだった。フレアが駆けつけると、そこには腰を抜かし、その場に座り込んだ若い男と、それに覆いかぶさるように剣を構える大柄の黒いローブの人影。こいつが乗り物とみてよいだろう。むしろ驚いたのは座り込んでいる男に剣の力が効いていないことだ。稀に耐性の強い者はいる。
乗り物は突然現れたフレアに気を取られた様子でその動きを一瞬止めた。その隙を逃さず、乗り物を突き飛ばし、男との間に割って入った。乗り物はフレアの力に後ずさりはしたが、倒れることはなく持ちこたえた。
なかなか面白い。フレアの口元に笑みがこぼれる。
衝撃で頭巾がずり落ち頭部があらわになった。しかし、頭をすっぽりと覆う兜のためその表情を読み取ることはできない。
乗り物は鈍く赤い靄を纏う剣をかざすように構えた。フレアはなにが始まるかと警戒をしたが何もなかった。むしろ乗り物の方がとまどっている様子だ。どうやら剣はその力の発現させたようだ。齢を経たフレアに人相手の力は通じない。
「あなた、いつまでそこで座っているつもりなの!早く人を呼んできなさい!」
フレアは腰を抜かして座り込んでいた男を叱りつけた。いつまでも傍にいられてはやりにくくてしかたない。
「はっ、はい!」男は慌てて立ち上がり駆け出して行った。
邪魔がいなくなり、お楽しみの時間となった。
乗り物の突きをかわし、打ち込みを頑丈な手袋で受け止める。人としてはなかなか力強い。フレアの拳による打撃も受け止めている。フレアはまだ手加減しているとしても、それについてこられるものはまずいない。たいていは軽い打撃一発で倒れてしまう。騎士団になら手練はいるが手合わせする機会はまずない。
フレアとしては剣との手合わせは楽しみたいところだが、剣はそうではなかった。乗り物での打ちあいを早々に切り上げ、後方に跳びさり逃走を図った。フレアはすばやく乗り物の正面に回り込みその退路を断った。乗り物は上段からフレアに対して剣を振り下ろしてきたが、彼女はそれを瞬時に左へかわし、間合いへ入り込み、振り下ろされた右の二の腕を激しく突き上げた。腕は折れるだろうが死ぬことはない。
しかし、結果は予想外だった。右腕は剣を持ったまま肩関節からちぎれて宙を舞った。剣は宙で二回転ほどしてから、地面に転がり、剣を手放した腕は力なくその場に崩れ落ちた。
やりすぎかと思われたがそうでもない。腕がちぎれたにもかかわらず乗り物は平気で立っており、自身も転がっている腕からも出血している様子はない。フレアは瞬時に理解した腕は生身ではない作りものなのだ、力仕事も細かな作業もこなせる作り物の腕は存在する。
「こっちです。急いでください」少し離れた場所から男の声がした。さっき男は思いのほか行動力にあふれている。本当に助けを呼んで来た。
間を置かず、転がっていた腕が生気を取り戻し動き出した。腕は指を使い虫のように地面をすばやく這い、剣に取りついた。指でその柄をしっかりと握りしめ、残っている関節を巧みに使い剣を振り回し、その反動のよって生まれた回転運動によって剣を本体まで運んだ。乗り物は回転しながら迫る剣の柄を左手で的確につかみ取り、右手は乗り物のローブを這い上り肩口にとりついた。
さすがにフレアもこの腕の動きには驚いた。剣は動かせる物であればなんでも利用するらしい。
周囲のあわただしい気配を察した剣は超人的な跳躍力でそばの民家の屋根に助走なしで飛びあがり逃走を開始した。フレアもそれに続く。もろそうな民家の屋根の上を飛び移り逃走を試みる乗り物の進路は西、つまり運河に向かっている。かなりの身体能力の持ち主のようだが、さすがに運河を飛び越えることは不可能だろう。そこまで追い詰めれば勝機はあるとフレアは見た。
しかし、それは甘かった。乗り物は運河脇の民家の屋根から側道を越え運河へ飛び込んだ。派手な水しぶきが上がったが、何も浮かんではこない。剣と乗り物はそのまま姿を消した。
フレアであっても視界の利かない濁った水の中でできることはない。
「フレア、剣の反応が消えたわ。そちらはどう?」運河の側道に降り、なすすべもなく水面を見つめるフレアの頭蓋に少し歪んだローズの声がひびく。
「あぁ、わたしの目の前からも消えてしまいました……」
フレアはしばらく運河の澱んだ水面を眺めていたが、そこからは水泡一つ浮いては来なかった。
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