10話 泥濘
一瞬の身体を引き延ばされるような感覚の後、バシャンッと水たまりに落ちた。
薄暗く、トンネルのように筒状の空洞が続いている。
地面を水が流れていて、下水道といった方が近いのかも知れない。油断すると吐いてしまいそうな臭いが漂う。汚物とは違う生臭さだ。
ここが異界なのか? 同じように青い光の向こう側にあった旧校舎の図書室とは随分と違う。
でも、共通する青い光。あの光はこの世とあの世との境界を表しているのだろうか。
横隔膜の運動で込み上がってくる内容物をなだめるように胸をさすって落ち着かせる。
なんだか気分が悪い。臭いだけが原因じゃない。
早く常間先輩を見つけ出さないとまずいかもしれない。
その焦りだろうか、もしくは恐怖か、脚が震えてなかなか歩き出せない。
こんなところで怖じ気づいてたまるか。
震える脚を両手で掴み無理矢理に一歩踏み出した。
そうすると不思議で、脚が自動的に動いているかのようにスムーズに歩けた。
水の流れに沿って歩く。脚を動かす度にチャプチャプと水たまりを蹴る音が反響して、どこまでも続く配管の長さを物語る。
しばらく歩いていると少し先に何か落ちてるのが見えた。よく見えないが赤と白の……
「嘘……」
息を飲んだ。冷たい汗が背中を流れる。
近づくにつれてその形ははっきりとしていく。
赤いスカートと白いシャツを着た、骨だ。
まだ小さいな骸が壁にもたれて座っている。
シャツの胸には名札があるが霞んで読めない。
ああ、そうだよな。こういうこともあるはずだ。
迷い込んだまま、帰れなくて……
少女の遺骨をこのままにしておく訳には行かないと思った。
この子にも家族がいて、今も探しているかもしれない。
頭蓋骨に触れると人の形を保っていた骨達が積み木のように崩れた。
その骨を一つ一つ拾い上げる。肉片一つ残っていない綺麗な白い骨だった。
脱いだ詰襟を風呂敷がわりに骨を包む。カラカラと骨が擦れ合う音にまた膝が震えた。
きっと普通なら遺骨を拾ったりはしない。持ち帰ろうなんて思わない。僕はどこかおかしいのだ。
もちろん怖い。白骨の遺体なんて見たこともなかった。
それでもやっぱり、家に返してあげたいと思った。
「何してるの?」
突然、赤いスカートの少女現れて、しゃがんだままの僕を見下ろしている。
こんな所に生きた人間がいるわけがない。すぐに彼女がこの骸の少女だと分かった。
「連れて帰るんだ」
「帰れるつもり? 私は帰れなかったわ」
少女が冷たく言う。
彼女の顔を見てそれは嘘だと分かる。
この目を通して脳に流れ込んできた情報がそう告げている。
「君は、帰れなかったんじゃないんだね。帰らなかったんだ」
彼女はこれ以上行方不明者が出ないように自身が礎になった。
ときどき、表に出てはトイレの花子さんとしてイタズラをしていたようだ。
断片的ではあるがそんな風景が見える。
「へー、貴方、面白い眼をしているわね。でも、やめた方がいいわ」
「君を置いてはいけない」
「私はここから出れない」
少女の顔をじっと見る。呆れたとでも言わんばかりの澄ました顔。
「来るわよ」
「くる?」
生臭い臭いが強まる。血の泥のドロドロと粘っこく纏わりつくような醜悪な悪臭。
少女が僕の後ろを指さした。
あ、何かがすぐ後ろにいる……
振り返らない。見なくても見えた。醜悪な泥の塊と無限にも等しい数の骸。
コレは沙耶さんが話してくれた底なし沼の化け物。神隠しの元凶。実在していたんだ。
そうか、目の前の高飛車な少女は自身を犠牲にしてコレを押さえ込んでいたんだ。だから、帰らなかった。
べちょべちょと音を立てて背後に迫る。
目前の少女の顔が強張りがこの異形を知らせている。
「くそ!!」
走った。勢いに任せ少女の手を取り臭いから遠くへ走る。
「ぎゃええええあぁぁあ‼︎」
絶叫が右往左往、全ての方向に反響し轟く。
ドンドンドン! バシャンバシャン! コロコロ! パキュッパキュッ!
音だけでアレが人の形をしていないことがわかる。決して人が走って出る音じゃない。
筒の中をひたすら走る。止まると追いつかれる。
少女の手を握る手に力が入る。少女も強く握り返してきた。
大丈夫。なんとかなる。大丈夫。
自分に言い聞かせる。
ドンドンバシャンバシャン!!
「クッ……」
逃げきれない。走っても走っても音と臭いは遠ざかるどころかすぐ後ろにあるかのようだ。
クソだめだ。息ができない。肺が焼けそうだ。
酩酊したように思考が鈍りきがとおくなる。
諦めてしまえば楽だろう。もういい。十分頑張ったし。助けれなかったけど、常間先輩のため、白骨化した少女のため頑張った。うん。頑張った。
脚に力が入らなくなる。握った少女の手も緩めてしまう。
きっとこれは罰なのだ。
あの親子を思った行動が母親を殺した。
足に何かが絡まったと思った瞬間、僕は転んでいた。
握っていた少女の手が離れる。
足には長く伸びた手が張り付いて。僕を引っ張った。
生臭い匂いが鼻を刺す。
顔をあげると目の前には大きな黒い袋がいた。
所々黒い泥かボドボドと漏れ出ていて。酷い悪臭を放っている。
息が上がっていて、呆然とそれを見てることしかできない。
これで罪を償えるなら、もう——
「立って!!」
少女がいつの間に握っていた包丁で僕の足に絡みついた手を切った。
「走って!」
少女は泥袋から次々と繰り出される触手を軽々とした見事な身のこなしで切り裂いているが、圧倒的な手数で圧されぎみだ。
「今まで大人しくしてたくせに、どういう風の吹き回しかしら」
「ギュルギュルるるるらららら」
詰まった便器のような唸り声をあげ、ヘドロを撒き散らしす。
彼女だけでは、アレは倒せない。
僕は怪物を睨むことしか出来ない。
すると、この怪物に飲み込まれる常間先輩の映像が網膜から脳へと流れてきた。
こいつ、先輩を喰ったのか!?
「あああああああ!!」
頭が激しく痛んだ。
叫んで軋む身体に気合いを込める。
カーッと眼が熱くなった。
くそくそくそ! こんな奴に! こんな奴がいるから!
激しい怒りが全身を支配しようとした。その時、バチッと火花が散った。
青い火花だ。
「ぎゃえええええおおおお!!」
泥袋が悶えジタバタと暴れだした。
その隙に少女の手を掴み走る。
彼女は驚いた表情のまま黙って、僕の手を握り返してきた。
先輩を救えなかった。でも、この子は連れて帰る。
重い。重すぎる。魂の重みだ。
「くっそおおお!」
この手は離さない。
絶対に帰るんだ。
ガラガラと音を鳴らす詰襟の袋を抱え、少女の手を固く握り絞める。
また、アイツが追ってきている。バシャバシャパキュッパキュッ音を立てて。
肺から乾いた音が出る。吐きそうだ。
そして、希望が見えた。見えた見えた見えた!
「見えたぁ!」
青い燐光だ。
旧図書室と同じ、便器の光と同じ青い光だ。
僕は少女と詰襟で包んだ遺骨を強く抱き寄せた。
ゴールが見えた事で力が抜けてしまいそうになったが、少女の重みがそれを許さない。まだ終わりじゃない。そのままスピードを緩めず突っ込む。
「れいなあぁぁぁぁあ」
無意識に叫んでいた。
青い光を抜けると同時に何かとすれ違った。
振り返る。それは飛び上がった玲那だ。
そうだ。玲那は花子さんを殴ったと言っていた。
その意味を理解する。
追いかけてくるアレに向かって飛び上がった玲那は、それは綺麗なレッグ・ラリアートを食い込ませていた。
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