七つ塚オカルティック奇譚 

暗澹たるナマズ

七つ塚高校、入学。

 春の風に桜の木が揺れる。ひらひらと花びらが舞落ちていく。

 校庭を囲むように何本もの桜の木がそびえている。


 そのうちの一つ、一際大きな桜の木が校舎の前に集まる新入生たちを見守る様にどっしりと構えていた。


 それはこれから新生活を向かえる新入生には心強く思えただろう。

 でも、僕には不安を募らせるものとなったいた。


 その大きな桜の木には、男が吊されているからだ。


 学制服を着た男の後ろ姿が首に巻き付いたロープに体重をかけ、ギイギイと揺れている。

 

 生暖かい風が吹く。思わず目を逸らした。


 地面は踏みつけられて潰れた桜の花びらで汚れている。

 顔をあげて「きっと気のせいだ」そう自分に言い聞かせて、もう一度桜の木に目を向ける。


 やはり、男子生徒はそこに吊されていた。

 

 それなのに誰一人として騒ぐ人はいない。


 この異様な光景を前に新入生たちは昇降口前のクラス分けの掲示板に夢中だ。


 僕は掛けてるメガネをずらして裸眼で吊されている男を見る。

 ボヤけた視界の中に首つり死体だけがくっきりと見えている。

 

 幽霊、物質を持たない彼らは視力にかかわらず、ボヤけて見えたり逆にはっきりと見えたりする。


 これは視力が悪くなって発見した幽霊の特徴だ。


 目の前の宙ぶらりんの男はただの首つり死体なんかじゃない。正真正銘の幽霊ということになる。


 淡いピングの花びらが混じった風が首つりの男子をゆっくりと動かす。すこしずつ、ぎぃっと縄の突っ張る音を鳴らしながら向きを変える。


 横顔が見えてきた。活発そうに日に焼けた肌をして、端整な顔立ちの少年だった。


 ――そして、目があった。


 その瞳はしっかりと開かれていて、 逸らすことができない。


 たった今、息絶えたような生気のない目と視線が繋がったまま、僕の身体は硬直して動けなくなった。


 男の有様をひらひらと舞い落ちる桜の花びらが彩って“桜の樹の下には死体が埋まっている”なんて小説の一文が脳裏に浮かんだ。


 動悸が激しくなり胸がきゅーんと苦しい。全身の血管が熱くなって脈打つのがわかる。


 それなのにその光景が儚くて美しくて、いつの間にか心地良さすら感じてしまっている。


 彼の死に間際の苦痛が目を通して流れ込んで来るようだ。


 死は等しく訪れる。誰も彼もがいつかは死に至る。彼は誰よりも先にこの至高の経験した。

 死は罰か救済か。そんなことは関係ない。彼は死に対する好奇心を止められなかった。

 蟻の巣に水を流し入れ、セミの羽をちぎって、猫を池に沈めた。

 死とはなんだ? 殺しても殺しても殺しても殺しても見つけることができなかった。

 死の後には動かなくなった“肉”が残るだけ。

 魂はどこへ行く? わからない。自分自身で確かめるしかない。


 誰かの記憶の断片が僕の脳に焼き付くかように侵す。


「ァ――」


 鼻っ面がジンジンと熱くなる。

 息が苦しい。呼吸ができない。

 ギチギチを首を締め上げられる感覚。息をしようとすればするほどに首に巻き付いたそれは食い込んでいく。


 頭がはち切れんばかりに張って、 気が、だんだん、遠く、なって……


 ああ、そのまま――死んでしまうのも悪くない。


「見るなッ!」


 誰かが叫んだ。

 途端にひんやりと柔らかな感触が視界を遮る。

 死へと向かっていた意識が引き戻される。


「いくら何でも入り込みすぎだ」


 少女の声が諭すように言う。

 優しくて、張りのある声だ。


 視界を遮ったのは少女の手のようだ。

 その手が顔を撫でるように下に降りていく。そして、首のあたりで僕の手に触れた。

 冷たく感じた手が今度は温かく、いや、力強く燃えるような熱を感じた。


「――ッは、あ」

 

 その時、初めて自分で首を絞めていることに気が付いた。


 咄嗟に自分の首から手を離す。

 圧迫された軌道が広がって、空気が流れ込んで来るのと同時に激しく咳き込んだ。

 うっ血した頭部から全身へと血がめぐる。


「アレはあそこにいるだけで、ほとんど無害なはずなんだけどな……」


 少女が切れ長の目を細めて独りごちる。


 上半分だけ結った髪と肩に触れない程度に流れる襟足。華奢な体つきだけど、その立ち姿はどこか武道家を思わせるほどしっかりしている。


「お前、影響されやすいのな」


 彼女は片方の口角をニヤリと上げて右手を差し出した。

 桜の木にはまだ男子生徒が吊られている。身体は回転して別の方向を向いている。

 

 僕は吸った空気を吐いてから彼女の手を取った。


「名前は?」

橘田友嗣きつだともつぐ


 名前を告げると、彼女は安堵したように肩の力を抜く。


「そう、アタシは此木玲那このきれいなだ。アンタもアレが見えるんだよな。なら一緒だ」


 同じ新一年生だろうか? 真新しい制服に着られているようであまり馴染んでいない。


「君も見えてるの?」

「ああ、まぁ……見えるだけならざらにいるもんさ。条件次第じゃ霊感なんてなくても見ることはできる」


 僕と同じ、怪異が見える人。 

 自分と同じ仲間がいる。そのことに心強さを感じた。


 玲那は玲那は切れ長の目をまん丸にして僕をジッと見つめている。珍しい物を見つけた子どものような瞳だ。

 

 さっきは彼女の立ち姿を武人と例えたが、その顔立ちはまだ幼さを残してい少女としての愛らしさが漏れ出ている。

 このまま見つめられると、なんというか、照れてしまう。


「アンタのそれ、何が見えてんの?」

「あ、いや……」


 急に聞かれたのでどう説明したものか、言葉に詰まる。


「いや、答えなくていいや。そんなことより……」


 玲那は話を切って昇降口を見た。


「もうみんな教室に行っちまったみたいだぞ。具合は大丈夫か?」


 あたりを見ると新入生たちはすでにいなくなっている。

 

「大丈夫。少し首に違和感が残っているけど平気」

「そう、なら良い」


 玲那は、じゃっと立ち去ろうと背を向ける。


 そこで感謝の言葉を伝えていないことを思い出した。

 

 僕は怪異が見える特殊な体質のせいで人と上手く関わる事ができない。

 だからせめて、挨拶とお礼はしっかり言うようにしている。


「あの、助けてくれてありがとう」


 玲那は無言のままジロジロと僕を見つめる。


「えと、な、なにか?」


 彼女はうーん、そうだなーと何かを考えてから、そうだと手を打った。


「なぁ、アタシ、オカルト研究部に入るつもりなんだけど、アンタも入りなよ」


 そう言うと彼女は含みのある笑みを浮かべて、再び右手を差し出した。


「え、嫌です」


 助けていただいて大変失礼だとおもいながら『オカルト研究部』なんて不穏なワードに反射的に断っていた。

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