2.走馬灯
『おまえが男だったらよかったのに』
勉学に励むわたしを見て、父は何度ため息をついただろう。
わたしは何も言い返さず、聞こえないフリをした。
父は再びため息をついて、外出用のコートを羽織った。ネクタイが曲がっていないか念入りに調整している。何も言わずに玄関ホールから立ち去ろうとする父に、わたしはとっさに声をかけた。
『どちらに行かれるのですか?』
『おまえには関係ない』
『ですが、夕食の支度がありますので……』
我が家はいわゆる貧乏貴族だった。
お金のほとんどは父が見栄のために着込む服飾費に消えて、たった一人の執事ユウジスを雇う事で精一杯。母がまだ出て行っていない時はシェフもいたらしいけれど、10歳になってからはわたしと
何度も見た光景。
わたしでも分かる。
これは女性と会っているんだと。
予想は的中し、このあと父は再婚した。
父と義母と義妹が食卓を囲んで楽しそうに笑っている。
彼らが夕食を食べ終わるのを待って、後片付けをしてから、使用人用の狭くて汚い部屋に戻って、死んだように眠る。
──なんで、こんなことを思い出したんだろう。
冷たい水が体に纏わりつく。たった一つだけの、ゴワゴワのドレスが重く沈む。こんな薄汚い色褪せたピンク色のドレスだけれど、一生懸命貯めたお小遣いで買った大事なもの。
死ぬときくらい、大事なものと一緒がいいじゃない?
変なプライドだったけれど、ドレスが水を吸って重くなるので、結果的にはよかったと思う。
意識が遠くなっていくなかで、誰かが滝壺に飛び込んでくる音が聞こえた。
ざぷん…………っ。
力強い腕に体を引っ張られた。そのまま急に水面に向かって浮上。
「お坊……ま…………どうしたのですか…………」
「息を……ない」
「まさか!」
「だ…じょうぶ。俺が助ける」
「す……毛布を持……参ります……!」
「悪…が頼む」
「御意に」
誰かの声がする。
水からあげられたわたしの体が、地面に寝転がされた。
「死んだらダメだ」
そんな声を、聞いた気がした。
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