「これがアイス」


 キャロルは売店に併設された軽食コーナーに座り、カップの中に入った白いアイスをじっと見る。


「ああ。初めて見たか?」


「はい。言葉は知っていましたが、見たのは初めてです。このタイプはスプーンを使って食べるものと推測します」


「そうだ。俺なんか最初はどうやって食うかわからなかったから随分戸惑ってな。暑い日だったからそのうち溶けて啜る羽目になった」


 キャロルだけではなく綺羅星全員を売店に連れてきたジャックが昔を思い出す。お菓子や嗜好品の類と無縁で育ったかつてのジャックは、興味本位で買ったアイスの概念を理解できず、冷凍されていたものを取り出して購入したのに、溶けることに思い至らなかった過去がある。


「そういう訳で、溶ける前に食べてしまおう」


「はい」


 ジャックの言葉で綺羅星達は、使い捨てのプラスチックスプーンを手に取り、特に逡巡することなくアイスを口に運ぶ。


「これは……冷たいのは当然ですが……口になにか……」


「その感覚分かる分かる。甘みを感じてるんだよ。まあ、甘い、辛い、美味いとかも人から聞いた受け売りだけどな。酸っぱいのはガキの頃から知ってたけど」


 必要な栄養のみを考えて味がない固形食料しか食べたことがない綺羅星にとって、アイスの甘みは完全に未知のもので、自分の口に発生した感覚に戸惑ってしまう。だがそれはかつてのジャックも同じだ。


 保護施設では必要栄養素とカロリーを摂取すれば十分だと判断されていたため、ジャックが食べていたものも綺羅星と同じだ。そのせいで酸っぱい以外の味覚を感じたのは軍に入隊した後の話になる。勿論酸っぱいを知っていたのは、腐りかけのものがよく出てきたからだ。


「おっと。辛いのがどんなのかを確認するときは、完全に平時の時にしろよ。入隊した直後、上官に辛いって何ですかって聞いたら、市販の激辛食品を食わせてもらったことがあるけど、次の日は一日トイレの住人だった。その日出撃があったら死んでたな。マジで。いやまあ、これでもかと辛いは実感できたけど」


「了解しました。辛いを経験する際は平時にします」


 ジャックは無知が引き起こした悲劇にほろ苦い表情となり、綺羅星達は大まじめな表情で頷いた。


「さて、会議室を借りているから、真面目な話はそこでしよう」


「はっ」


 アイスを食べ終わったジャックと綺羅星達がごみを捨てて、会議室に足を運ぶ。これに監視で付いてきていた研究員達も同行するが、ジャックが綺羅星を格納庫、売店、会議室へ連れまわすことに文句を言わない。いや、言っている場合ではない。


(なぜ劣化品如きが綺羅星に勝利したんだ!?)


 綺羅星に同行している者のみならず、格納庫で戦闘シミュレーションを確認している全ての研究員が同じ思いを抱いていた。


 彼らにすれば綺羅星計画の妥協で作り出されたジャックが、自分達の芸術作品である綺羅星に勝利することなどあってはならないのだ。そのあってはならないことが起こったせいでパニック状態になり、ジャックの行動に介入する心の余裕が全くなかった。


「では先ほどのシミュレーション戦闘を振り返る。キャロル、AIの俺とさっきの俺。違っていたか?」


「はい違います。AIで再現されたジャック中尉は、我々全員が五戦中五戦とも一分以内で撃墜しています」


「い、一分……機会があれば俺のデータに、十個くらいバツ印を付けといてくれ」


「分かりました」


「すまん冗談だ。なにせ愛機共々ブラックジョークとか呼ばれてるからな」


「冗談を了承しました。ジャック中尉はブラックジョークと呼ばれている。記憶しておきます」


「そうしておいてくれ」


 会議室で行われるジャックとキャロルの硬い会話だが、戦闘機械になるはずだった男と、まさに戦闘機械として生み出された女が会話できている時点で上々だろう。


「話を戻す。ラナリーザ連邦でエースオブエースと呼ばれていた連中は大抵俺が墜としてるが、まだ何人かは生き残ってる。その連中は俺の機動に近いことができるから、シミュレーションで起こったことが実戦でも起こりうると思ってくれ」


 そう言いながらジャックが思い出すのは怪物達の声だ。


『最近噂になってるガキはお前か! その肩に引っ付いてる死神に連れてってもらいな!』


『間抜けのケビンをやったブラックジャックってのはお前か? その二十一を二十二に変えてやろう』


『お前がブラックジャックか。エースオブエースの面汚しを殺したところでなんになる? 未来は一つだ。死ね』


『はははははは! これがブラックジャックか! 神よ感謝します! 初めて心の底から勝ちたいと! そして負けてもいいと思える相手を送っていただけるとは!』


『見つけたぞブラックジョーク。この老いぼれの命一つで、お主を道連れにできるなら安いものよ』


『ブラックジョーク。どちらが死神のエンブレムに相応しいか証明しましょう』


『来たかジャック。さあ、ケリを付けよう。この二人だけの戦場で』


 老若男女様々な声。


 開戦前から単機で戦況をひっくり返すと謳われていたラナリーザ連邦のエースオブエースは、マルガ共和国軍を蹴散らすことで証明してのけた。その中にはジャックをあと一歩、死の寸前まで追い込んだ者だっている。


 ただし、ほぼほぼ過去形だ。


『俺が!俺があああああああ!?』


『ブラックジャックに……ジョーカーは入ってないはずだ……ルール違反め……』


『どうして奴の死が見えない!? なぜ僕の死が見え!?』


『神よ……この至高の戦いを……捧げ……ま……す……』


『命を捨てても……届かんとは……悪い冗談だ……』


『ああ、私は死神じゃなかった。よかった。彼がそうだったんだもの』


『さらばだジャック……我が宿敵……次があれば……酒でも飲もう……』


 ジャックと死闘を繰り広げたエースオブエースはその多くが彼に討たれ、生き残りは損失を恐れたラナリーザ連邦によって後方に移されている。


「勿論、砲撃戦仕様の機体が単独で行動していることはまずないが、俺達が想定しなければならない相手は、誰もが手一杯になるエース部隊だ。フォローし合うのが理想でも、単機での戦闘を想定しない訳にはいかない。そのため、まあ簡単に言うが柔軟な思考と判断力が必要になる」


 とはいえ戦況によってはそのエースオブエースが出撃してくることは十分考えられた。それに、決戦兵器として位置付けられている綺羅星は、強敵にぶつけられることが確実なので、個々の戦闘力と臨機応変さが必要不可欠だった。


「ではキャロル、シミュレーションで何か思ったことは? 不便だと思ったことでもいい」


「長大な武器は近接戦で取り回しが難しいのではないかと思いました。銃身の短いハンドガンタイプや近接用の武器が必要だと考えます」


「そうだな。格納庫にないか後で確認しよう。規格が合えばいいんだが……」


 ジャックはキャロルの意見に頷きながら、まさかキラドウは通常のガランドウの武器すら扱えない独自規格なのではないかと疑ってしまう。


「ミラはシミュレーションを見てどう思った?」


「はい。サプライズは部隊での足並みを揃えるために、大出力のブースターを備えています。それを用いてジャック中尉との距離を保つべきでした」


「うん。馬鹿な敵なら逃げるなとか言ってくるだろうが、砲撃戦特化が距離を保つのは重要だ」

(これなら結構いけるんじゃねえか!?)


 続いてゼロゼロツーと呼ばれていた桃目桃髪のミラに質問したジャックだが、キャロルに続いて意見が返ってきたことに喜ぶ。てっきり分かりませんと返されることを覚悟していた彼にとって、これは大いに歓迎する事態だった。


 だがその認識には大きな間違いがある。


(一旦落ち着いたら問題点と改善点の洗い出しをできるんだな!)


 ジャックは、元々綺羅星が持っている柔軟な思考の結果だと思った。


(私はキャロル。意味は自由。彼はジャック。階級は中尉。私がジャックに求められているのは判断力と柔軟性。愛機はブラックジョーク……愛機? 愛? 愛は男女の仲。私は女。ジャックは男)


 これがキャロルの内面だ。尤も、実際は加速度的な成長だと知ってもジャックは喜んだだろう。

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