extra scene 水を飲む

 青色魔石の鉱脈がデラクアで見つかったと聞いて、リカルドは即座に調査を志願した。荒い盗掘のせいで岩盤にひびが入り、崩れそうになっていたところを、補強するのに一ヶ月ともう少し。それからようやく立ち入り調査の許可が下りて、リカルドたちが現地に着いたときには、八月の半ばになっていた。

 青色魔石は、安定した結界の構築に必要不可欠なものである。しかし資源には限りがある。いずれ尽きるときのために、青色魔石の代替となるものを確保しなくてはならない。ゆえに、その研究には全力が注がれている。

 リカルド自身、大学にいた頃から、あの美しい宝石がいったいどこでどうやって産出されるのか、気になって気になって仕方がなかった。だから今回の調査に率先して参加したのは当然のことである――半分は、姉がいる都市だから、という理由であったが。

 どうやって姉の居場所を突き止めようか、考えようとしてすぐにやめた。


(どうせ父上のことだ。監視をつけているだろう。僕が行けばそいつが接触してくるに違いない)


 預かった革袋のことを思い出して、リカルドは溜め息を飲み込んだ。

 父上は歪んでいるのだ、と思う。現地調査となれば何かと物入りだろう、などとぬかして寄越した革袋の中身は、開けなくとも分かるほどの大金だった。姉に渡せ、という意味であることはすぐに分かった。研究員には研究に没頭できるだけの充分な支給がある。追加で寄越す必要などないことぐらい理解しているはずだから。

 ともあれ、姉との再会に支障は発生しないだろう。それならば、自分は研究に打ち込んでいい。好きなことが好きなだけできるのは本当に嬉しいことだ。――姉にも、そうあってほしいと思うのだ。

 魔法使いにとって、魔力は湿気のようなものとして感じられる。魔法使いが発する湿り気だけでも相当のものだが、これが天然の魔石となるといよいよ濃密になる。魔石がひとところに固まる鉱脈のそばなど、水中にいるも同然の環境だ。しばらくいると呼吸困難になって、うっかりすると意識を失ってしまう。

 そういうわけで、初めての現地調査、初めて見る実物の鉱脈にすっかり興奮しきったリカルドは、文字通り“息をするのも忘れて”調査に没頭し、真っ先に倒れたのであった。

 目を覚ましたとき、最初に思ったのは“どうして喉が渇いているのだろう”ということだった。溺れたのに水を飲みたいとは、と一瞬だけ考えて、溺れたわけでないことを思い出す。


(ああ……情けないな。話には聞いていたけれど、まさかこんなに早く引っかかるなんて)


 すぐそばを水の流れる音がした。ということは地下水路か。山の下からここまで連れ出されたのだろう。別にこんなところまで来なくとも、盗掘用の横穴まで戻してくれれば充分だったのに。これじゃあ戻るのに時間がかかるじゃないか。リカルドはふくれっ面で上体を起こした。


「具合はどうですか」


 傍らに控えていた軍警の男がこちらを覗き込んできた。リドルとかいう、三人の護衛のうちで最も背が高くて厳つい男だ。小さなランプの灯りに下から照らされて、怖い顔がさらに怖くなっている。

 が、リカルドは顔の怖さなどに怯むような神経の持ち主ではない。なかば八つ当たりで睨みつける。


「悪いと言ったら何かしてくれるのか」

「ええと……」


 リドルは口ごもり、少し困ったような顔になった。せっかくの怖い顔をまったく生かせていない。


(僕のような子供の相手など真面目にせずに、適当に睨んで黙らせておけばいいものを)


 護衛に抜擢されるわけだ、と内心で深く頷く。顔や体格の怖さに騙されて勝手に黙る相手ならよし。黙らなくとも、この気の小ささなら問題は起こるまい。


「どれほど悪いかによりますね。ひどく悪いなら外までお連れします」

「そう悪くないなら」

「もうしばらく休んでください。水、いりますか」

「……貰おう」


 どうぞ、とリドルは水筒をこちらに寄越した。

 金属製の小さなスキットルだ。リカルドが指先でその胴体を弾くと、キン、と涼やかな音が響いた。銀色の光がパッと散って、すぐに空気に溶けて消える。


(よろしい)


 口をつけるものの危険性を調べるのは、リカルドにとって呼吸と同じくらい自然な行為だ。物心ついた頃にはそうしつけられていたから、もはや疑問にも思わない。安全が証明された水を口に含むと、すっかり渇ききっていたからだろう、喉がごくりと鳴った。


「空にしてしまっていいですよ。体調が戻ったら言ってください」


 リドルは壁にもたれて、本を開いた。普通のペーパーバックのようだが、彼が持つと異様に小さく見える。


「この暗さで読めるのか――」


 言ってしまってから、いや、と思い直す。いくらなんでも、読めないなら開かないだろう。ということは、この程度の暗さなど無視できるということだ。他の身体的特徴とも考え合わせると、


「――そうか、お前、北の出身か」


 リドルは目を丸くした。そうするとその怖さはいっそう薄れる。


「はい、そうですが……どうして分かったんですか」

「これだけヒントがあるんだ。少し考えれば分かるだろう」

「いや……」


 彼は首を横に振って、それから「すごいことだと思います」と呟くように言った。

 その言葉の発し方や目の動き方が驚くほど滑らかだったから、リカルドは思わず固まった。皮肉や嫌味や、おべっかといったものを含んでいない褒め言葉を聞くのは一体いつ以来だろう。母と姉を除いたら初めてかもしれない。

 素直な言葉は飲み込みづらい。いつも事前に安全性を確認して、安全な部分だけを飲み込む癖がついているせいだ。丸ごと飲み込んでいい言葉などめったにない。

 リカルドは黙り込み、誤魔化すように――あるいは、無理に流し込むように――水を飲んだ。


(……護衛に抜擢されるわけだ)


   fin.

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