第9話 教養授業2限目。鈴音先生、八百比丘尼を語る。
月曜日の3限目の授業が終わった。短い休憩時間の後、
鈴音先生が教室に入って来た。4限目、今週の教養授業の始まりである。
起立!礼!いつもの鈴音先生の透き通った優しい声が響く。
「今日は転入生も入ってきたことですし、少し趣向を変えたお話をします。
HRの時に転入生の2人は、私の娘だという話をしましたが、
皆さんはそれにしては、私の見た目が幼なすぎると思っていませんか?」
「思う~~~~~!」
教室中が派手にシンクロしながらこだました。
「HRの時も話した通り、女性に歳を聞くのは失礼です。私は自分が何歳とか、
おおやけに公言するつもりはまったくありません。
ですが、今からするお話は少しは参考になるかも知れませんね…」
鈴音先生は、少し間を置いてから話を続けた。
「皆さんは八百比丘尼の伝説を御存知ですか?」
「八百比丘尼???」教室が一瞬ざわつく。
「さほど有名な話ではないので、今から私がお話しましょう。
権威ある学者の皆さんが調査された結果によれば、この八百比丘尼の伝説は、
日本全国の内28都道府県、89区市町村の121か所で確認出来るそうです。
平安時代に生まれた不老不死の女性で、福井県小浜市の空印寺の洞穴に住み、
その容貌は美しく、15歳か16歳のように見えたと言われています。
その肌が透き通る様に白く美しかった事から、白比丘尼(しらびくに)と
呼ぶ事もあるとか。若さを保っているのは、禁断の霊肉である人魚の肉あるいは
九穴の貝(アワビ)を食べたためと伝えられており、多くの場合、
異人饗応譚が伴っています。新潟の佐渡島に伝わる話では,
八百比丘尼はここで生まれ、人魚の肉を食べて1000年の寿命を得たが、
200歳を国主に譲り、自らは800歳になった時若狭に渡って、
そこで死んだと伝えられているそうです」
教室がシ~ンと静まり返る。
鈴音先生の容姿が、まさにその人物像にぴったりと当てはまるからである。
「今の話以外にも、沢山の伝説がありますが、これらには正しいものと
正しくないものが混在しています。私が知る限りのお話をしましょう。
まず、八百比丘尼が不老であるというのは当たっています。
この一族は人によりますが、生まれると大体18~20歳くらいまでは、
普通の女性と同じ様に成長します。ただ、それ以降は歳を取らない…
いくら齢を重ねても老いるという事がなくなります。
しかし、不死というのは当たっていません。人が死ぬ様な傷を負ったり、
人が急死する様な病にかかった場合は、人と同じように死ぬからです。
遺伝的な変化が少ない為、体格は総じて小さい…昔の女性の体からあまり
変っていないので、身長で150㎝を越える事は稀です。
肌が白く、美しい娘の姿をしているのも特徴のひとつと言えます。
理由は定かではありませんが、男性の比丘尼は存在しません。
八百比丘尼は普通の男性と交わる事で、ごくまれにですが、
子供を宿す事があります。しかし生まれて来る子供は全て娘になります。
身籠る確率は非常に低く、これも人によりますが、数十年~数百年に一度
あるかないかと言った所でしょうか?
生まれて来た娘も母親の血を色濃く受け継ぎ、八百比丘尼となります。
日本の長い歴史の中で八百比丘尼の一族は、ひっそりと暮らして来ました。
日本各地に残る伝承はそのなごりと言えるでしょう。
その性質は総じて穏やかで優しく、賢く、知見に優れている事から、
過去から現在に至るまで、時の政権は八百比丘尼の一族を秘密裏に
保護して来ました。現在の日本に生きる八百比丘尼の一族は、
全部合わせても400人くらいでしょう。
最後に述べておきますが、八百比丘尼は特殊な進化をたどった人類です。
人魚の肉あるいは九穴の貝(アワビ)食べたから、
そうなったというわけではないのです。
かく言う私もその様な物は食べた事がありません。
妖怪変化とか宇宙人とか、そういう類のものではない事を念押ししておきます。
多くのDNAは寿命よりも交配による世代交代の速さを重視し、進化や多様性に
よる生き残りを選択していますが、八百比丘尼のDNAはそうでない選択をしたと
いう事なのかも知れませんね…」
先生の話が終わっても、教室は相変わらずシ~ンと静まり返っている。
あっけに取られていると言うべきか…
「ではこの後はいつもの通り、質疑応答の時間とします。
授業の内容から逸脱する様な質問は避けて下さい。では宜しくお願いします」
「はい!先生!」
大勢の手が一斉に上がった。
「はい、では浅井さん」
「女子出席番号1番 浅井茶々です。端的にお聞きします。
先生は八百比丘尼なのですか?」
それを聞いた鈴音先生は、優しく微笑んで答えた。
「それは皆さんのご想像にお任せします」
「え~~~~~~~~!」
教室は残念そうな声で振るえた。
「はい!先生!」
「はい、では芥川君」
「男子出席番号1番、芥川龍之介です。時の政権は八百比丘尼を
保護したと言われましたが、それは現在の日本政府もそうなのでしょうか?」
「現在の日本政府も保護しています。陸上自衛隊の中の特殊任務のひとつに、
八百比丘尼の村の警護があるのですよ」
「八百比丘尼の集まった村があるのですか?」
「場所をお教えする事は出来ませんが、存在しています。
戸籍等に関しても、この村を通じて申請し、必要に応じて取得出来るので、
この村には定住せず、普通に一般の人々に交じり、生活する比丘尼もいます」
「そうなのですか…」
「そうなのです。ですから皆さんも知らず知らずの内に、八百比丘尼と
知り合っているかもしれません。不老であるという一点を除けば、
八百比丘尼は色白のただの小さな…可愛い女の子です。
長命の比丘尼の中には、護身の為に武芸をたしなんでいる者もいますが、
基本的には弱く、儚い存在です。ですからもし知り合ったら、
みなさんにも優しくして欲しいなぁと思います」
ここで授業終了のチャイムが鳴った。
「それでは今日の授業はこれまでと致しましょう」
「起立、礼!」
鈴音先生が号令をかけ、礼が終わると、
先生は、春風の様に静かに教室を出て行った。
そのあとも教室は暫くの間静かだった。
みんな毒気を抜かれ、茫然としている感じだった…。
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