第45話 感情に鈍く、義務に敏い
「あれ、シェリカ?」
庭から部屋に戻るとシェリカが居て、部屋に備え付けの浴室からは水音がしている。
修練を終えた僕がいつでも汗を流せるように準備してくれてたのだろう、タオルや石鹸も用意してある。
「……坊ちゃま?お、おかえりなさいませ、まだお茶会のはずでは?」
僕の机に散らばっているたくさんの走り書きをまとめていたシェリカは僕に気が付くと作業を中断してこちらに向き直り、少し困惑した様子で疑問を口にする。
「あ~ちょっと追い出されちゃってね、どうやら女子だけで話したいみたい」
ピシ。
空気にひびが入ったような感覚に襲われる。
「追い出された……?一体、それは誰にですか??」
「え?まぁ、キゼルにかな」
ビキ。
空気が凍るような音がした気がする。
あれ?なんかシェリカの周り少し凍ってるかもな。
「念のため……決して、坊ちゃまの事を疑っているわけではないのですが、何か問題になるようなことをなさいましたか?」
「いや、特に思い当たらないけど」
それを聞いたシェリカはにっこりと微笑み、丁寧な礼を一つする。
「それでは私は旦那様への報告に行ってまいります」
「何を!?」
「坊ちゃまはこちらでゆっくり休んでいてください、すぐにお茶とお菓子の用意をさせますので」
「いいよさっき楽しんできたから!」
「いいえ、坊ちゃまにそんな失礼なことを言う
「いやほんと、気にしなくていいから!」
部屋の出口へ向けて歩き出すシェリカの前に立ちはだかり、彼女の退出を阻止する。
しばらく二人の攻防が続いたが、僕の問答と進路妨害を無視することのできないシェリカは次第に冷静になってくれた。
「追い出されたっていうのは失言だった、本当はキゼルにお願いされたんだ」
「何のために坊ちゃまをのけ者にするというのですか?」
「のけ者……ソファトが僕以外と打ち解ける為に、場を整える手伝いをしただけなんだ」
実際、キゼルから僕抜きで話したいと言われた時はめちゃくちゃショックだったし、部屋までの道のりを歩いている時もかなり凹んでいた。
そのせいで部屋に入るまで中にいるシェリカに気が付かなかったのだが、それを言うとまた一波乱ありそうなので黙っておく。
「いつまでも同期間で壁を作ってちゃ修練が捗らないでしょ?今日のお茶会はそのきっかけに丁度良かったんだって」
「そう言われましても、お嬢様方だけで話すことなんて──」
そこまで言って何かに気が付いたように口を閉ざすシェリカ。
考えるような仕草をする彼女が、これ以上行動しようとする前になんとか思いとどめないと。
「正直言うと僕にもそのきっかけとやらが何かわかってはいないし話の内容も知らないんだけど、キゼル《友達》の事を信じてるからその案に乗ってみたんだ」
「かしこまりました、坊ちゃまが納得しているのであれば私も余計な真似は致しません」
「え?あぁ、うん、ありがとう?」
急に落ち着きを取り戻し、あっさり納得したシェリカに対し。肩透かしを食らった僕が動揺してしまった。
そんな僕をよそにすっかり平常運転へと戻った彼女はてきぱきと僕の世話をし始め、手始めにコップに果実水を注いでくれる。
「お湯の準備はすぐにできます、いかがいたしますか?」
「じ、じゃあお願いしようかな」
「かしこまりました。それでは、こちらをお飲みになってお待ち下さい」
「うん……」
僕の返事を聞き、すぐに浴室へと姿を消すシェリカを見つめ、さっきまでの会話は何だったのだろうと思い返す。
シェリカは普段から僕のことを第一に考えてくれているし、それにはずっと感謝している。でもたまに使用人としての忠言じゃない、年の離れた姉の様な態度になることがあるのだが、今までそうなった時の彼女を止めるのは心配の対象である僕の役目で、いつもいろいろ手を尽くして元に戻ってもらっていた。
なのに今回はシェリカ自身が自分で何かに気が付き、そのまま冷静さを取り戻したことに何か違和感がある。
「僕の失言だったと気が付いたから?いや、だとしたらその失言を注意されていたはず」
きっかけも、話の内容も分からないと言った時も特に反応しなかったし、かといって僕がキゼルの事を信じていると言ったのが響いている印象も受けない。
一体何が彼女を落ち着かせたんだろうか?
「お待たせいたしました坊ちゃま、こちらへどうぞ」
「ありがとう」
湯気と共に姿を現したシェリカに導かれ、浴室へと足を踏み入れる。
服を脱がし、身体を洗い、僕が身体を温めている間もずっとそばに控えている彼女。確かによく分からないこともあるが、きっかけは僕の発言だったわけだし、僕のためを思っていたのはわかっているのだからこれ以上考える必要はないか。
「とっても気持ちいいよ」
「良かったです、ゆっくりなさってください」
「うん。そうだ、シェリカって戦えるの?」
雑談と今後の事、半々くらいの話題を振る。
傍に立っているシェリカは一瞬顔を硬直させたが、すぐに答えてくれた。
「いいえ、私は戦えません」
「そっか、もし魔物と対峙したら生き抜ける?」
「技能は多少身についておりますが立ち回りは素人ですので、運さえよければ生き残れるといった程度です」
「ふぅん、かたずけとか整理はいつもやってもらってるけど書類整理とか事務とかはどう?」
「多少の心得はございますが、得意とは言えません」
やっぱり魔物相手に戦う時が来たらシェリカは戦力にならないのか。
そうなると日常生活を支えてくれるシェリカ以外に、戦闘で支えてくれる護衛みたいな人が欲しいな。
それから今後の実験の為に情報を整理したり、六王への報告用の書類を作れる専属執事もか。
「専属の使用人を増やしたいんだけど、父上に掛け合ってくれる?」
「かしこまりました。どういった人物をご希望かお決まりでございますか?」
「護衛と執事、それから癒し手かな。三人欲しい訳じゃないから兼任でもいい」
ポケットからメモ用紙を取り出したシェリカが僕の言ったことをさらさらと記入していく。
「実験にも関わらせるから優秀な人がいい」
「信頼性も必要かと思われますが」
「ん~いや、そこも重視して貴族他家に頼ることになるのはちょっと嫌だし、優秀なら他はどうでもいいや」
「……そう仰られましても、耳早い貴族の方々は実験の事を聞きつけているでしょうし、旦那さまや奥様がある程度の地位の方々で埋めることになると思われますが」
「それじゃあ二人には内緒で」
「そのような無茶を仰らないでください……」
僕の要望に本気で困っているのか、かなり弱気な声での講義が飛んでくる。
「だって、他家を巻き込むと同い年のご令嬢とか送られて来るでしょ?そのままなし崩し的に縁談まで纏められたらたまらないよ」
「六王様公認の実験に実力のない人物を送ることは無いと思いますが」
「六王様公認の失敗しても許される実験、でしょ?絶対一枚噛もうとしてくるよ、断言できる」
「……かしこまりました」
返す言葉を持たなかったシェリカはしばらくの沈黙を最後の抵抗とし、その後はあきらめて僕が言った通りの要望を用紙にペンを走らせる。
全てを記入し終わり、その紙を僕に確認させたうえでポケットへとしまう。
そしてまた黙って僕の横に立ったと思ったらすぐに口を開き。
「坊ちゃま?確認したいのですが先程のキゼル様たちの会話の内容、本当に思い当たら無いのですか?」
「え?うん、今頃何を話してるんだろう」
「はぁ……」
なぜか大きなため息を吐いたシェリカに釈然としない思いを抱きつつ、今は暖かい湯舟を楽しむことにした。
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