第30話 メリージョニークリスマス with Riho 


「なぜ彼女が……」


 おれが固まったままリホの方を見ていると霞美ちゃんがそう呟いた。まるで時が止まったかのように三人共動こうとはしなかった。その気まずい沈黙を破ったのはリホだった。


「ご、ごめんなさいっ!」


 彼女はそう一言だけ言い残すとくるりと振り返り走り出した。デッキに響く足音が遠ざかっていく。おれはその後姿を目で追うことしかできなかった。


「行ってください、ジョニーさん」


 霞美ちゃんがおれの目をしっかりと見てからそう言った。


「――でも!」


「さっきのあなたの顔を見て思いました……彼女のこと、心の中でちゃんと決着つけてますか?」



 霞美ちゃんの言葉におれはズギリと胸が痛んだ。浮気を知ったあの時、泣いて謝る彼女にただ一方的に別れを告げた。言い訳なんか聞く必要なんてないって思っていた。


 正直、泣いてすがる彼女を見てざまぁとも思ったし、彼女を拒絶することで心のダメージを軽くしていたのかもしれない。


 でも本当はそれは自分の気持ちに蓋をしていたんだと思う。だから今頃になって、リホの姿を見たことであの時の感情が溢れ出したのかもしれない。


「ごめんカスミちゃん! ちょっと行ってくる!」


 彼女は優しく笑ってくれた。その笑顔が今のおれにはたまらなく温かかった。


「ここで待ってます。いってらっしゃい」



 ごめんともう一度謝っておれは走り出した。いつのまにか小さな粉雪がゆっくりと降り始めていた。自分の吐く白い息を追い越しながらおれは走った。


 しばらくするとベンチに下を向いたまま座り込むリホがいた。おれが目の前に立つと彼女は驚いた様子で顔を上げた。


 よく見ると彼女はとても地味な服装をしている。おれと付き合っていた頃はどちらかといえば派手な服でメイクもばっちり。キラキラの女子大生という感じだったけど、今はジーパンに黒いダウン。メイクもほとんどしてなさそうだった。


「ごめんね……声かけるつもりはなかったんだけど――」


 彼女は再び下を向くと小さな声で喋り出した。


「私、今この近くの店でバイトしてて……仕事終わって帰ってたらジローがいて、誰かとキスしようとしたのが見えて思わず……サイテーだよね? 私はもっとひどいことしたのに」


 そう言ってリホは小さく縮こまった。おれは何も言わずに彼女の隣に座る。一瞬だったが彼女の体がビクッと震えた。


「あの時は本当にごめんなさい。いくら謝っても許してもらえないと思うけど――」


 おれは彼女の言葉を遮るように俯く彼女の目に入るよう手を伸ばした。


「もう謝らなくていいよ。謝罪はもう十分受け取ったし。もう怒ってないから」


 寒いからか、それとも涙を堪えているからか彼女はグスンと鼻をすすった。


「あの時も怒ってなかったって言うと嘘になるけど、おれはただ……悲しかったんだ。おれは君にとってなんだったんだろうって。おれは君が大好きだった。だから虚しくて、悲しくて……」


 彼女が顔を上げた。きゅっと結んだ唇がわずかに震えている。


「……私も大好きだったよ。でもあの時の私はそれをまったくわかってなかった。調子に乗って自惚うぬぼれて一人で浮かれてたんだと思う。フラれて初めて気づいたの。私ってなんて空っぽな人間だったんだろうって」


 彼女の話を聞きながらおれは自分の手を見つめていた。落ちてきた雪がてのひらの上ですっと消えていく。


 あの日からおれは、リホのことを知らず知らずに必死で忘れようとしていたのかもしれない。でもそれは単に現実から逃げていただけで、霞美ちゃんが言ったようになんの決着にもなってなかった。おれは彼女の目をしっかりと見て言った。


「ああ、君は最低だった。この糞女、糞ビッチって思ったよ――」


 リホの顔が青ざめていく。それでも彼女はおれの言葉を受け止めるように目を逸らさなかった。


「でも君と過ごした日々はすごく幸せで楽しかった。リホ。ありがとう。そして、さようなら」


 そう言っておれが立ち上がると彼女もゆっくりと立ち上がった。


「ありがとうジロー。そして本当にごめんなさい」



 彼女は深く頭を下げた。最後まで涙は見せなかった。


 おれはこの時初めて、彼女の謝罪が胸の奥まで届いた気がした。


「じゃあ行くよ。あっそういえば最近学校で見ないけどちゃんと行ってる?」


「私大学辞めたんだ」


「えっ! そうなの?」


「うん。今は声優学校に通い始めて、それで学費を稼ぐためにバイトしてるの」


 そういえばリホはどちらかといえばアニメ声だ。だからあの時、壁越しでも気づいてしまったってのはあるけど。


「ジローにとってはトラウマの声かもしれないけど……いつか声優やってる姿を見てほしい」


「う、うん。まぁがんばって」


「それと……それならなんで浮気したんだよって言われるかもしれないけど、ジローのことまだ好きでいてもいいかな? また付き合ってほしいとかじゃなくて、私が勝手に好きでいるってだけだから」


 むむむ、こいつめ……ことごとく先回りしてくるな。


「それはご自由にとしか――」


「ありがとう。じゃあ私はこれで」



 リホが軽く手を振り帰っていく。なぜかおれより清々しい顔をしているのは気のせいだろうか……。でもなにはともあれ、おれの中でも胸のつかえがスッキリと取れた気がする。


「あっやべ! 霞美さん待たせてるんだった」



 おれは全速力で霞美さんの元へと戻った。雪を避けるように彼女はシャッターの降りた建物の屋根の下にいた。


「ごめん! 寒かったでしょ!?」


「大丈夫です。寒稽古に比べたら全然平気です。それより無事決着はつきました?」


「うん。きれいさっぱりと。ありがとね霞美ちゃん」



 そしておれ達は再び見つめ合った。霞美ちゃんがゆっくりと目を閉じる。とその時、どこからともなく男の叫ぶ声が聞こえた。


「カスミさーん!! 頼む! もう一度チャンスをくれー!」


 ひとりの男がこっちへ走って来る。あれってあれあれあれ男じゃん!


「今日はずっとなにやら視線を感じてましたが、やはり聖治さん、あなたでしたか!」


 あれが両手を広げ霞美ちゃんに飛びつこうとした。それを阻止しようとおれが一歩踏み出した瞬間。すでに霞美ちゃんはふわりと宙を舞っていた。


 彼女の右脚が背中の方へと綺麗な弧を描くと、しんしんと降り注ぐ粉雪が舞い上がる。彼女が放った後ろ回し蹴りがあれのこめかみにめり込んだ。ずしーんと倒れた男を見下ろしながら、残心を決めた霞美ちゃんがふぅっと白い息をはいた。


「お見事ですっ!!」


 おれは姿勢を正し拍手を送った。霞美ちゃんはにこりと微笑みおれに手を差し出した。


「じゃあ帰りましょうか」


「押忍っ!」



 おれは彼女の手を握り、舞い踊る雪を見ながら二人で歩き始めた。



 


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 とうとう大晦日となりました。


 お忙しい中読んで頂きありがとうございます。


 後一人残っている……果たして間に合うでしょうか……。






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