第89話
「ピエタス様にとって、ピエタス様の望みってなんですか」
私の質問に彼は目を泳がせた。
そうだ、貴族の家に生まれ少なくともその恩恵を享受したなら、好き勝手なことなんて言えないのだ。
嫡男じゃない分だけ自由だと言われればそうなのかもしれないけれど、家の方針や周囲との関係が優先されることだってある。
それが義務と責任だってシズエ先生も言っていた。
(……その中で、最高じゃなくてもいいから最良を選んで後悔しない道を行きなさいって……誰に言われたんだっけ)
いつだって最高の道があるわけじゃないから、選ばなきゃいけない時に最良の道を選べるように学びなさいって。力をつけなさいって。
頭がズキズキする。
「ぼ、僕……は、た、ただ……静かに……誰とも、争わずにいられたら」
無理だ。
自分にすら不満を持つのが人間という生き物で、周囲に対して妬みや嫉み、憧れを押し付けてそれと違った時に不満に思ったり、結局何かしら不満を抱えて、それに折り合いをつけて生きていく。
私だって皇女でそこそこ美少女でも、これに加えて兄たちみたいに天才になりたかったとか、もっと美貌がほしかったとか、やっぱり時々悔しくなるもの。
持っていてももっとと思ってしまうのはただの貪欲な気持ちで、でもそれは否定してはいけないものだとシズエ先生が言っていたんだっけ。
だから努力できるんだって。
じゃあ、ピエタス様は?
ピエタス様の望みは、みんなから目を背けて、少し離れた所で私たちを眺めるような、そんな位置にいることなんだろう。
そうしたら誰かと喧嘩することもないし、視線を向けられた時に笑みを浮かべるだけでいい。
ただ、それが本当に彼の望みだろうか?
「……ピエタス様、私わがままなの」
「え?」
「もっとピエタス様に笑ってもらいたいし、もっとこの国を好きになってほしいと思ってる。義務とか、責任でこの城に来て……私とお見合いしろって言われて、迷惑だと思うけど」
「め、め、迷惑なんて! ……ぼ、僕は、他の候補者、よりも弱っちいし、頭も……そんな良くないし、顔もイマイチだから……」
「そんなことない」
ピエタス様はきっと否定され続けたのだろうと思う。
カトリーナ様がずっと喋っている時も顔色を窺っていたし、言葉の端々にピエタス様が実家でもいろいろ言われていた様子は窺えていたから。
「ピエタス様は努力家です。宗教学についてだってとてもわかりやすく教えていただけてすごく嬉しかったです」
「……アリアノット様……」
私はピエタス様の手を取った。
絵の具があっちこっちに付着した、少しだけかさついている手だ。
いっつも絵を描いて、手を洗ってを繰り返しているからだろう。
それがすごく素敵だと思った。
「私! ピエタス様のことを応援してます!」
「は、はい」
「私はできることは少ないけど、応援はできるし、他の人を頼ることもできます。ピエタス様が、最初に頼れる人間になれるよう頑張ります!」
「そ、そ、そんな……アリアノット様、どうして」
「ピエタス様に笑ってほしいから」
諦めないで。周りにはたくさんの人がいて、否定する人ばかりじゃない。
きっと祖国にも、家族にもそういう人はいてくれたんだろうけど……髪を長く伸ばして目を隠すのは、きっとピエタス様の心の壁だ。
だから、すぐにじゃなくていいから。
いつかでいいから、笑ってほしい。
ただ流されるんじゃなくて、自分で〝最良〟を掴み取る日がいつか来るだろうから。
(サルトス様もいつの間にか掴み取ってたし、ピエタス様だってそのうち)
義務と責任は、どうやったってついてくる。
だけど、私がそれなりに良い関係を築いていきたいと思うように、彼らもまたそう思ってもらえたら嬉しいのだ。
義務と責任を果たすために自分の心を殺すのではなく、一緒に担う相手になってほしい。
私がそうなれるかどうかは別問題として。
「ア、ア、アリアノット様……」
ピエタス様は顔を真っ赤にしていたけれど、でも頷いてくれた。
控えめに、本当に控えめにだったけど笑ってくれた。
それは普段彼が私のまで見せる表情よりは幾分か柔らかくて、そのことが嬉しくて私もまた笑ったのだった。
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