假疵(きず)
それは、起こった。
戯曲の公演の後、国家保安本部のお偉いさんは、壇上に立ち、クラカウアーの肩に手を置きながら、その作品の出来を褒め称えた。
あたしには、その物語は、ただ、総統や帝国にバンザイと言っている三文芝居にしか見えなかったが。
そして、劇場から出たところで、数名の武装した人たちに襲われたのだ。
あたしは、剣を抜き、クラカウアーを守るように彼の前に立った。レジスタンスが向かってくる。
同胞の誰かが、「斬れ!」と言った。あたしは、ここにきて、できなかった。剣を交えて防御することはできた。隙はいくらでも見つかる。でも、斬れない。
そのうち、別働隊らしい他のレジスタンスも集まり、あたしたちは、多勢に無勢、劣勢に追い込まれる。
シャルンホストは、クラカウアーなど斬られていいと言ったが、あたしたちの命が危ない! レジスタンスにとって、あたしたちは体制側なんだから。
あたしは、とにかく、向かってくる剣を捌いた。でも、場を把握しきれず、後ろから斬りつけてくる人に気づかなかった。クラカウアーを斬らず、あたしを狙ったのは、相手も焦っており、とにかくクラカウアーを守る者をまず屠ろうとしたのか。
「‼︎」
トラウテが、あたしを庇った。彼女の剣とレジスタンスの剣が鍔迫り合う。ガンっと鈍い音がして、トラウテの頭を別のレジスタンスが、剣の柄で殴った。彼女は、重さのない枯葉が木から離れるように、立ったままゆらゆらと揺れて、それから倒れ込む。意識を失ったらしい。
「トラウテさん!」
あたしは、それでも、人を斬る、ということに逡巡する。
おおおおお……っと地鳴りかと思うような雄叫びが聞こえた。シャルンホストが、罪人騎士団の人たちを連れて突撃してきたのだ。
一気に形勢は逆転する。圧し返されたレジスタンスたちは、斬られ、血を吹き、死んでいく。または、戦闘不能にされていく。
剣を構えたあたしは、クラカウアーを守るようにした。本当はただ、動かなくて、動けば殺さなくてはいけなくて、突っ立っていただけだ。
悪夢のような、初任務は、そうして過ぎていった。
次の日の朝。
あたしは、シャルンホストに呼ばれた。
あたしは背筋を伸ばして、彼の言葉を待った。無言で立ち上がり、あたしの前にツカツカと歩いてくる。机の横に立っていたミンダーナが、腕を伸ばし、何かを制止するような所作をした。
あたしは、はたかれた。ほおを思いっきり。体が飛びそうになる。踏ん張る。おそるおそる、あたしはその顔の痛みに手を置いて、目の前の男を見た。
怒りに染まっているのかと思ったが、シャルンホストは、冷静な顔つきをしていた。感情に任せたのではない、しなければいけないことをした、というふうにあたしは理解する。
「わかるな?」
そう言って、右の眉だけを高く上げた。
「はい……。わかるつもりです」
トラウテが死んでいたかも知れないのだ。いや、あの場にいた罪人騎士団の誰かも、みんなが?
あたしは昨日の夜、ヴィリーに必死に謝った。トラウテは気絶から回復したが、一応、病院に入っていた。ヴィリーは、「落ち着いて、大丈夫だから」と、優しいことを言ってくれた。
布団の中で、ずっと反省していた。人を斬ろうと、決心する。すると、無理だ、という言葉が脳裏に出てくる。あたしは、決断の勇気がない。
わかるつもり……、わからなくてはいけないのだが。
「とりあえず、トラウテに会ってこい。そこでお前がどうしなければならないのか、考えろ」
「はい……」
あたしは騎士団駐屯所を出て、トラウテに会いに向かった。地図は必要だった。
病院の受付で、彼女の部屋を聞く。3階にあるそこへと向かう。
「トラウテさん……」
ベッドで横になっている。身を起こしたトラウテはまずあたしを見て、表情も変えなかった。その次に、近くにある台から、丸い鍔の帽子を引き寄せて、無言で被った。
「ごめんなさい。あたし……」
「人を斬れないのね」
鍔の両端をそれぞれ左右の手で握って、あたしをまじまじと見るトラウテ。
「人を刺したことはあるんです……」
ゾンネ・ユーゲントのヨアヒムに弄ばれていたあの人を殺したことを、咄嗟の言い訳のように語ってしまう。
「ちょっと、外に出るわ。シスナも来て」
トラウテは、ベッドから降りた。
「どこへ?」
「退廃芸術展」
「なぜ?」
あたしは、彼女の心情を気にする。たいそう怒っていても不思議はない。だから、それが読み取れるものがないかと、反応を見るために、すごく早い質問を返した。
「まあ、とりあえず、行きたい」
トラウテは、何の後遺症もないのだろう。優雅に歩き始めた。
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