空の心臓

四季秋葉

プロローグ

 ピンポーン


 乾いた電子音の後に「すみませーん」と、若い男の声がドアの向こうからする。


 高山悟たかやまさとしは、一瞬ぎょっとした。一体誰なんだろう。宅配なんて頼んでいない。いや、もしかしたらが勘づいたのかもしれない……そんな心配をしていると、もう一度ピンポーンという音が鳴り響いた。


「すみませーん、隣に引っ越してくるものですが」


 予想もしていなかった答えに、高山は拍子抜けした。


(何だよ、引っ越しの挨拶か……)


 確かに、このアパートに住み続けてはや数年。高山が引っ越してきたときから、隣部屋はずっと空室だった。


(まあ、近所付き合いでもしてれば多少は……)


「はい」


 そう思いながら、玄関のドアを開げた。


 ジリジリと暑さが肌をつたる。流石に、涼しい場所から急に暑いところに来ると、軽く目眩がする。


 ドアの向こうには、暑さを感じさせないような微笑みを浮かべている男が立っていた。見るからに若い。きっとまだ20代になったばっかりぐらいだろうか。


「お忙しいところ申し訳ありません。隣に引っ越してきます。田中と申します」


 笑顔を絶やさず、深々と頭を下げるこの青年の第一印象は、礼儀正しい好青年。というものだった。


「どうも、高山と言います。わざわざ挨拶に来てくれてありがとうございます。これから引っ越してくるんですか」


 出来るだけ好印象を与えるために、高山も笑顔で手応える。


「そうなんです。急に挨拶するのも悪いかと思いまして、引っ越す前に挨拶だけでもしておこうと思いまして。あっ、これもし良かったら」


「ああ、申し訳ない、ありがとうございます」


 ご丁寧に、手土産まで持ってきていたらしい。高山も笑顔のまま受け取る。


「じゃあ、僕はこれで失礼します。これから宜しくお願いします」


 高山は笑顔で頷いて家の中に入った。田中もずっと笑顔で見送っている。ただ、何故だろう。最後の笑顔に妙な違和感があった。


 リビングに戻って、早速さっきの手土産を見てみる。綺麗に包装された箱を開けると、メモ用紙のようなものだけが一枚入っていた。


(チッ、何だよ、手土産が紙切れ一枚なんて)


 高山は、乱暴にそのメモを取り、何が書いてあるのか見ようとした。


 だが、それは叶わなかった。心臓に強い衝撃が走り、そのまま後ろに倒れていく。


「おいおい、後ろ側に倒れてくるんじゃねぇよ、大罪人。血がもっと服に付いちまうだろ?」


 顔を歪めながら、悪態をついた青年が立っている。


 高山はその青年に対し、何で俺の家の中に居るんだ。とでも言うかのように、目を見開いて青年のことを見ている。だが、もうその目は動くこともなければ、閉じることもない。


 高山の周りからは、赤いものが徐々に広がってきている。


「なぁ、お前。実の親と兄弟殺したんだって?」


 青年は汚物でも見るような目で高山を見ながら問いかける。


「そんなこと良くできるよな、お前が産まれたのも、親のお陰だっていうのに。それに、殺した理由はお節介焼かれるのか面倒になったから? お前は親をなんだと思って生きてきたんだよ。それに、兄弟を殺したのも、親を殺したのを見られたから口封じの為に殺しただぁ? 巫山戯んのも大概にしろや」


 青年は、怒りを押し留めながら続ける。


「お前の母方のご両親から言われたよ。大切な娘と家族の復讐がしたいって。一つ、せめてもの情けで苦しまずに逝かせてくれ。本当に恨んでるけど、大切な孫だったから。だとよ。優しいじいさんばあさんが居て、良かったな」


 ま、俺はもっと苦しめてから死なせたかったけど。と青年は着ていたシャツを着替えながら呟いた。


「地獄巡りでも楽しめよ、じゃあな」


 青年は、横目で高山を見て玄関へ向かう。


 玄関を出てすぐ、ポケットに入れていた電話が鳴り出した。


『はい―お疲れ様です、終わりましたよ―はい……はい? いや、今日は真面目にやりましたよ、失礼な―……はい、了解です。じゃあ、また』


 青年は溜息をついて、歩き始める。


「あっ、やべ、家醤油買い忘れてたんだった」


 帰りに買わねぇとな。そう思いながら青年は少し早足でその場を去った。

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