発散-5.標的細胞/ターゲットとして狙われる=首を差し出すのと同義な世界 ⅰ

 あわよくば「不審人物」に繋がる映像でも残ってればと思ったんだけど、この感じじゃあ望み薄かな?

 朝方、自転車の籠に放っぽられてた不気味な人型もしかり、この2日モヤモヤと蟠る嫌な予感を晴らしてくれるかもしれない突破口。

 何かしら手掛かりになるかも、と期待していただけに俺は肩をガックリと落とした。


(にしてもな、まさかこんな取ってつけたような対策しかされてないとは……まあ仮に、映っていたとしても同一犯かは分からないんだけどさ)


 門柱から軒先にぶら下がる張りぼてカメラを凝視していた俺は、前のめりになっていた身体を引き戻すとそんな他愛のない思考を打ち切る。

 そうして、たぶん昨夜彩花が辿ったであろう石垣沿いを逆向きに、駅方面へとゆっくり歩き出した。

 したのも束の間、温い夜気が不快に張り付く塀の傍を行く俺の耳に、突然パンパパパンと空をかける破裂音が届く。


「やべ、もうそんな時間だっけ?」


 咄嗟にスマホの画面をつけてみると、時刻はすでに19時を2分ばかり過ぎたところ。

 俺の記憶にある限り、定刻通りに始まったためしなんかなかったと思うのでこのくらいの遅延はむしろ毎年のこと。逆に2分程度の遅れで打ち上げが開始されたことに驚いたくらいだ。


「こりゃ美月にどやされそうだな」


 花火の打ち上げが続くのはこれから45分。

 しかもうちの地元のは「打ちあがった!」と思ったら、次は忘れた頃にまた上がるというかなりののんびりペース。

 ローカルな大会だからと言ってしまえばそれまでなんだけどさ、そのくせラストの10分だけは怒涛の勢いで打ち上げまくる謎仕様っていうね。

 まあだから、まだまだ余裕もって彩花達と観れるとは思うんだけど……


(ちょっとおじさんのとこに長居しすぎたかな?)


 もうすっかり藍色に染まった東の空から時折聞こえてくる打ち上げ音を聞き流しつつ、俺は気持ち歩を早める。

 このまま駅前に出ちゃって……ってルートを考えてたけど、この祭りごとの時だけは人の数も多いんだろうなと直前になって思い直し、

 俺は会場がある海岸まで何本か伸びる河川の一つ、×川の土手へと進路を変えた。

 河川敷に降りれる土手上まで来たところで、ちょうど視界がパーッと花火の残光でぼんやり明るくなる。


(だんだん自発までのタイムラグ短くなってる? もしかしなくても打ち上げラッシュ早まるかもしれないな……)


 気持ち急ぎ目だったのを駆け足に切り替えて、河川敷までやってきた俺はその足を一度止めた。

 そこでようやく、今年お初となる大輪が散りゆく様を俺は一人拝む。



 ――そんじゃぁよ? これは返してもらうぜ。



 そうやって、夜空をぽけーっと仰いでいた俺の身体が不意に背後で生まれた気配に硬直する。


「………?」


 遊歩道など整備されているはずもない、こうして舞い散る花火の残滓がなけりゃあ足元もおぼつかないような土手の上。

 それ以外の光源といえば、路地入り口にぽつんと立つ錆っ錆の街路灯が唯一あるくらい。

 そして、この遊歩道に負けないくらい下の河川敷まで続く木製の会談は朽ちかけ、土手の斜面に生える草木は四方に伸び放題となっていた。

 さすがに川べりの様子まではここから確認できないけど、この状態を見るに人の手が入っているようには思えない。

 そんな、鉄錆の浮いた街路灯の弱弱しい明りが届くかどうかといった境界に立つ俺の背に何かが、誰かが忍び寄っていた。


(いつの、間に?)


 いくら花火に気を取られたっていっても、声が掛かるまで全く分からないなんて……。

 その何者かは、俺のポケットから何かをすり取ると瞬時に重なった影を後ろへ引いた。


 俺は、振り向くことすらできぬまま身体を強張らせる。

 ピクリとも体を動かせずにいると、そんな俺のことなど歯牙にもかけた素振りもないそいつから舌打ちが聞こえてきた。


「ん、ああやっぱ血清分離しちまってるよ。そりゃぁそうだよな、試験管内のみてえに阻止剤入れてねえしな……」


 かろうじて、俺が横目にそいつの手元を確認するとどうやら抜き取られたのは早朝「例の半紙」を包んだハンカチのようだった。


「つうかこっちはいらねえな、ほら返してやるよ!」


 言うや、その指先からパッと無造作にハンカチだけが抛られる。

 それをきっかけにして硬直が解けた俺は、咄嗟に投げ捨てられた自分のハンカチをつかみ取っていた。

 そんな俺を尻目に、そいつは包まれていた半紙の人型をしげしげと観察しているようで、

 しかも発見した時は気づかなかったけどその「人型」は袋とじのようになっていたらしく、ペリペリとそいつが紙を剥がしている音が聞こえてくる。


「何、を……」


 チカリチカリと今にも消えそうなか細い街路灯の下、

 ぎこちない動きでそいつを見やると伏し目がちに半紙の内側を覗く何者かの顔がようやく視界に入る。

 すると、そこにいたのは少ない光量の中でも分かるほど青白く……っていうかいや、あれは紫斑か? に思えるくらい血色の悪い顔。

 そして線が細いというよりぱっと見筋肉の月も薄く、中肉中背にすら程遠いような体躯の少年だった。


(誰だ?)


 間違いなく今言えるのは俺が知っている顔ではないということと、

 そんな中でも確かなのは「この場から離れろ!」と本能が警鐘を鳴らしてきているということ。


「ああいや何、こっちの血液には凝固剤入れてなかったってだけの話なんだけどさぁ? そうなりゃ二次止血まで完了しちまってるのも当然だよな? まあこんなこと、あんたに講釈垂れる必要もねえだろうけどよ」


(……は。血液? 凝固阻止? こいつは急に何を言い出してるんだ?。


 さも、俺が「それ」を知っていることが当然であるかのように、ぺらぺらとしゃべり続けるそいつに困惑だけが深まっていく。

 それは確かに「人体生理学」で履修する内容ではあるんだけども。っていうことはつまり、


「……俺の大学のことをどうして……?」


「何も驚くこたぁねえだろうよ? 検証前に被験者の身元洗うくらいはさ。つってもな、俺はパーソナルデータになんざ興味なかったんだけどよ。共有されちまったから仕方なく、な」


 さっきから、ずっとこいつは何を言ってる?

 鳴りやまない俺の中の危険信号が、一刻でも一秒でも早くここから立ち去れと訴えかけてきている。

 けど、一見人の好さそうに見える瞳孔の奥。その表面的には柔らかく映る瞳の向こうから、時折り垣間見せる冷めた眼光が俺の足を縫いとどめていた。

 そして、俺にも見えるように振られる人型の内面には、そいつが言うように凝固が終わったことを示す縮小した血餅(けっぺい)と滲出し淡黄色の血清(けっせい)が付着しているようだった。


 ケガや何らかの障害で組織や血管壁が破れると、血液中の血小板が損傷した箇所に付着して血栓(けっせん)を……仮止めをおこなうのが一時止血。

 その後、血小板血栓が生体内の凝固因子を活性化させ完全に血を止めるのが二次止血となり、

 体外に出てしまった場合の血液は、こっちに向かって開かれた半紙の中身みたいに分離して固まる訳なんだけど。


「……う」


 まさかもう、とっくに固まりきってしまっているとはいえどこぞの誰とも分からない「不審者」の血がこびり付いた紙を持ち歩いていたのかと思うと吐き気がこみ上げてくる。


「そんな顔すんなよな? 俺だって好き好んでてめえの血をバラ撒いてんじゃぁねえんだっつうの!」


 俺の顔が嫌悪に歪んだのを見てか、心外だとでもいうようにそいつはパタパタと半紙を左右に大きく振る。


「なんせ俺としちゃぁな、対象の現在位置はある程度知れるようにしといた方がラクだからよ?」


 対象? ラクになるって何が……俺は終始そいつから発せられる一言日ことに頭の中が疑問符でいっぱいになる。

 そのせいで、この状況から逃げ出す機をずっと逸してしまっていた。


「まぁよ、これを見るに結果としちゃ同じになっちまってたろうけどな。んにしても困ったぜ、だってさぁ? まだどの程度の血液と神経伝達物質なら感応してくれるのか探り探りな段階なんだぜ? なのによ、あっさり仕込んどいた半紙をホームセンターのダストボックスに捨てられちまうとか……」


 相変わらず俺に理解してもらう気のない、っていうより鼻からご丁寧に説明するつもりなんてさらさらないんだろう。

 それでも、後半のそれにだけは覚えがあった俺の頬がピクッと反応する。


「ったくよ、ただでさえ無駄打ちしてる余裕ねえっつうのに……まさかCase ⅲで躓いちまうなんてなぁ」


 言葉の割、愉快そうにしゃべるこいつの事情なんて知ったこっちゃないんだけどさ。

 少なすぎる情報ながらも、「こいつがもしかして?」とにわかに浮かんでいた疑念が確信へと変わりつつあった。

 何より、俺が「狙われている?」っていう状況こそが彩花を付け狙った奴と関連……いや、目の前の男こそが犯人だということを補強しているように思えた。

 だけど、今はそれを確かめている場合ではないと、即座に逃げた方がいいと相変わらず俺の理性が囁いてくる。


「……!」


 幸い、目の前のこいつはまだ饒舌に口を滑らせてくれている。

 だったら今しかないと、滑らかに動き続ける口の途中で俺は空中に身を躍らせた。

 そいつに向かってではなく、後ろに伸びる河川敷へと……


 踏み抜くんじゃないかとひやひやしたが、案の定腐食が進みまくっていた木製の段が衝撃に耐えきれずベキッと嫌な音を立てる。

 それでも、メキバキと軋みを上げる階段を俺は気にせず一息に駆け降りていく。

 が、二段飛ばしに踏み乗った最後の段が重いっきし派手な音を立て真ん中から崩れ落ちた。


「……く」


 コンマ秒、置き場を失いさ迷った右足が気づいた時には数十センチ下の河原へと振り下ろされていた。

 その際、内向きに捻りかけた足首がぐぎっといきそうになるのをすんでのところで回避する。

 ゆうて挫いたであろう右足首を気にしている暇もなく、反対足を突き出すことでどうにか取ったバランスを殺さぬよう俺は河川敷を走り出した。


「おいおい、何も逃げるこたぁねえだろうよ? 取って食おうって話じゃぁねえんだしさ、ちーっとばっか協力してくれてもいいんじゃねえの?」


 完全に意表を突いたと思ったんだけど、微塵の動揺も見せぬままそいつは何故だか自分の腰元・ベルトの辺りへ手を伸ばす。

 飛び降りざまちらっと見やった感じ、逆光の中でそいつの手元にきらりと鈍く光る物があったように思ったけど……


(まさかナイフとかっていうんじゃないよな!?)


 微妙に緩みそうになった足を叱咤して、俺は今度こそ真っ暗となった夜闇の中をひた走る。


 確か、このまま行けばもう少し先にまた土手上に上がれる階段があったはず……

 そうこうしていると、インターバルを置いて次の花火が打ちあがった音がやたら大きく響いてくる。

 その残滓が消えるか消えないかというタイミングで、30メーターほど走った俺の後ろから「そいつ」の声が聞こえてきた。


「お前と追いかけっこする気はねえんだけどなぁ。……まあだからよ、とっとと俺のために使いつぶされてくれねえか?」


 だんだんと小さくなる打ち上げ音の中、声を張っている訳でもましてや距離が近いなんてこともないはずなのに、その呟きだけは必死に走る俺の耳に明瞭に届いた。


 その直後だった。


「あ、ぐ……っ痛」


 背を向け逃げる俺の背中を突然の痛打が襲う。


(なん、だ……?)


 一か所だけではない。まとまりなく肩や肩甲骨、背骨から腰回りに至るまでその鈍痛は満遍なく俺の背面を乱打してくる。

 ……打ち身程度にはなってるかもな。と俺が反射的に振り返った途端、背中に当たってきたそれがバラバラと河原に落ちていくのが見えた。


(丸石? なんでそんな物が??)


 何気、ズシンと鈍い痛みを訴え続けてくるそれを無視するように、それでも原因は明らかなので俺は闇の奥を思わず睨みつける。

 その視線を受けてなのかこの暗がりでは断言できないけど、いつの間にか引っ張り出していたらしいスマホの明りの下で、蝋のように白い顔の口元がニーっと歪んだのが分かった。


「ああ、ったくよ。ついつい始めちまったじゃぁねえか。……まあいいや」


 ――Case ⅳ「現在時刻19:15」特異化したレセプターを保有する被験者への伝達による外的な干渉と、疑似的に空間を間隙と見立てたことによる収束の作用を観測する実験をこれより開始する、

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