高級娼婦の家はワインと香水の香りがする
シャーロットは昼前に帰っていった。
夕刻からは雨になった。死体は昼過ぎには運び出されていた。石畳に残った血の跡もこの雨で洗い流されるだろう。
「ジャック、コートを取ってくれ」
「お出かけですか」
「ちょっとね」
ジャックが用意したコートに袖を通すと、帽子をかぶり、手袋をはめる。
「シャーロットのおしゃべりはともかく、あのいけ好かない警部に犯人扱いされたままでは気分が悪い」
街の中心から少し離れた小さな家の前で貸馬車は止まった。こぢんまりとした佇まいだが、白を基調としたファサードには凝った装飾が施され、かわいらしい仔馬のドアノッカーがついている。
ドアを開けたのはこの家の女主人だ。ブルネットの髪は美しく結い上げられ、夜会用の胸元の開いたドレスを着ている。
「まあ、突然ね。いつもだけど」
「出かけるのか?」
「ええ、パーティーに呼ばれていて」
「じゃあ出直そうか」
「少しなら構わないわ。ワインを飲む?」
「いただくよ。パーティーはどこで?馬車で来ているから送っていこう」
「あら、ありがとう。じゃあちょっと準備してくるわね。ソフィ!」
ジョシュアはホールに置かれた椅子にかける。女主人はソフィと呼ばれた女中に台所からワインを持ってこさせた。赤ワインを注いだグラスをジョシュアに渡し、自分のグラスにも注ぐ。
「それで一体どうしたの?」
「今朝うちの前で死体が見つかってね」
「聞いたわ。酷い有様だったって?」
「ああ、バラバラで血みどろでぐちゃぐちゃで……」
「やだわ」
そう言いながら女主人は、血のような色のワインを口に含んだ。女中が銀の盆にアクセサリーを乗せてくると、その中からイヤリングや指輪を選び取って、ひとつひとつ身につけていく。
「犯人は捕まったの?」
「いいや、警察が聞き込みに来たよ」
「まさかあなたが?」
「冗談はよしたまえポーリーン。僕は昨夜ここにいたでしょう」
「ええ、でも泊まらずに帰ったじゃない」
「そう、帰ったのは何時だったかな」
「十二時前ころかと」
ソフィが答えた。
警部には話さなかったが、前夜ジョシュアは銀行からパブに寄って、その帰りにポーリーンの家に来ていた。そして二人でワインを飲み、ポーリーンが眠くなったというのでお開きにしたのだ。
「ゆうべあなたがここにいたこと、警察に話したの?」
「いいや」
ジョシュアはポーリーンの背後に回り、ネックレスの金具を留めた。そして彼女の髪をひと束、手に取って口づけた。
ポーリーンは
しかし、ポーリーンとジョシュアは娼婦と客という関係ではない。
ポーリーンの母親は幼いジョシュアの家庭教師だった。ジョシュアはすぐに寄宿学校に入ったため、その期間はかなり短かったように思う。彼女は若い未亡人で、幼い娘を抱え、独身の頃に働いていたエヴァンズ家を頼って来たのだった。
ポーリーンとはそれ以来会っていなかったのが、成長して再会することになる。ジョシュアは大学を出て貿易と金融の商売を始めていた。一方、ポーリーンの母親は病死し、父親のわずかな遺産は借金に消え、ポーリーンには若さと美しさと教養の他は何も残っていなかった。彼女はそれを最大限に活かして、パトロンを探し、高級娼婦(クルティザンヌ)として生きる道を選んだのだ。
ジョシュアにしてみれば、金銭を支払って客の一人になることは、幼い頃からの関係が壊れてしまいそうでどうにも踏み切れなかったし、かといって金を払わずに間夫のように振る舞うのも、上流家庭で育った彼には受け容れられない立場であった。そして彼にとって更に残念なことに、社会的に最も正当な手順を踏んで――つまり結婚を申し込むには、彼女は売れっ子になりすぎた。顧客に名門の貴族が名を連ねる彼女は、既に余りある富と華やかな生活を手に入れていた。それは家名や財産といった後ろ盾のないジョシュアが、妻となる女性に唯一約束できるささやかで慎ましい暮らしとは、かけ離れていた。結局、恋心には無理矢理蓋をして、二人は友人でいるしかなかった。
「最近、奇妙な屋敷があるという噂を聞いたかい?時間が……巻き戻るとか」
ジョシュアはポーリーンの髪を弄びながら訊ねた。
「ああ、時間迷宮の館ね」
「何て?」
「
「へえ」
「誰も主の姿を見たことがないんですって。庭は荒れたままだし、使用人が出入りしている様子も見かけないし、でも夜になると明かりがついているから誰かはいるみたいだ、って。わたしも友達から聞いた話だから詳しくはわからないけれど、降霊会でもやっているんじゃないかっていう噂よ」
ポーリーンは髪をいじるジョシュアの手に自分の手を重ね、ジョシュアと向き合うと、もう一方の手でジョシュアの黒い巻き毛を指に絡ませて言った。
「さ、そろそろ行かないと」
ジョシュアはソフィが用意した外套をポーリーンに着せかけた。そして二人は連れ立って玄関を出た。
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