第12話 一時間


「じゃあ一旦、ホテルにチェックインしようか。荷物置きたいし、諸々話し合わないと」

「そうね。そう言うと思ってホテルは抑えておいたわ」

「だと思ったよ」


 宍道湖から離れて、やや松江市内へと戻りつつ宿の場所へと向かう。


 徐々に人が増えていく中で、ふと目についた。


「随分と外国からの観光客が増えたね」

「そうね。十年前はまだ殆ど見なかったのに」


 天稟ルクス代償アンブラが人々に与えられて、それからしばらくの間、この世界は混沌の様相を呈していた。


 それはそうだ。

 前世の地球にいきなり異能力なんてものが生まれようものなら、それによって混乱が巻き起こるのは自明。


 その混乱を収めるのには相当の時間がかかるだろう。

 数年やそこらでは利かないはずだ。


 現にこの世界では、世界が安定をみせるまでに数十年の時間を要した。

循守の白天秤プリム・リーブラ】という警察権力すらも、明確に政府機関の一つとして定義されたのは、五十年前かそこらのはずだ。


 それはこの国だけではない。

 この世界のすべての国において、長い再建の期間が設けられていた。


 他国への観光なんて呑気なことが当たり前のように可能になったのも、ここ数年のことだ。

 特に西欧は。


天稟ルクス発現の前にも第一次世界大戦の後処理とかで大変だっただろうからな」


 周りへ目を配りながら言うと、クシナがきょとんとした顔でこちらを見上げた。


「なによ、『第一次』なんて」


 そして、


「まるで世界大戦が何度もあったみたいな言葉ね」


 心底不思議そうな響きがそこには込められていた。


「……ああ、なんかと勘違いしてた」

「ふぅん? 変なの」


 あっぶな……。

 前世の癖でつい頭に『第一次』ってつけちゃいがちなんだよなぁ。


「…………」


 隣のクシナは大して気に留めた様子もない。

 ほっと溜め息を吐きそうになって、口元を隠す。


 この世界では世界大戦は一度しかない。

 だから、一次も二次もないのだ。

 前世における第一次世界大戦を指して『世界大戦』と呼ぶ。


 これも天稟ルクス代償アンブラの発現が原因、だろう。

 "だろう"というのは、この世界では第二次世界大戦が起こってないので確かめようがないから。


 実際そのあたりの西欧の情勢は、火薬庫もかくやというほどの荒れっぷりだったらしい。

 あいにく二度も世界史を覚える根性はなかったので、今生のそれには詳しくないのだが。


 ただ周りの観光客の多さから見るに、この国の観光産業は変わらず武器になるものらしい。




 ♢♢♢♢♢




 無事チェックインしたホテルにて。

 俺とクシナは綺麗なベッドに腰掛け、間に小さなテーブルを挟んで向かい合っていた。


「さて、互いに因縁を断つということで同意したわけだけれど、具体的にどうしましょうか」

「なんにも考えてません」

「もう。でも、あたしもです」

「おいこら」


 二人して笑って、しばし考える。

 やがて、


「じゃあまず俺の方から整理しようか」


 比較的分かりやすい俺の方から話し始める。


「俺が殴り込みに行くのは、宍道湖北岸の研究所。昔、被検体にされた恨みと、危うくクシナが連れてかれそうになった恨みを晴らしてくる」


 クシナが照れ臭そうにはにかんだ。


「あたしの分までありがとう」


 ただ、と続けることには。


「そもそも、貴方ひとりで大丈夫なの? あたしは中のことを知らないけど、普段研究機関を襲撃する時はそれなりに面倒に思うことも多いわよ」


 当然の懸念だ。

 クシナが「面倒」ということは、それなりに強い天翼の守護者エクスシアが護衛についているということだろう。


「そっか、クシナがいつも襲撃するような研究所って普通の・・・研究所だもんね」


 しかし、その「普通」に今回は当てはまらない。


「あの研究所は"男の"天稟ルクス研究なんてやってるところだからね。向こうとしても重要度は最低限なんだよ」

「……そういえば昔も男の守衛しか見なかったわね」

「そうそう、詰めている天翼の守護者エクスシアだって練度はお察しの窓際部署みたいなもんだと思うよ。まともに詰めてるどうかすら怪しいし」


 十年前、俺たちが無事に逃げ切れたのもそこらへんが関係しているのかもしれない。


「なるほどね……あながち無謀でもないのかしら」

「無謀かもと思ってたのに、さっき湖のそばでは同意したの?」

「だって、その、ちょっと楽しくなっちゃったのよ」


 恥ずかしそうに口を尖らせて視線を逸らすクシナ。

 さっきの昔話じゃないが、あの頃のクシナからは想像できなかった姿だ。


「んんっ、それより次はあたしの方ね」

「逃げた」

「逃げてない」


 しっしっと俺の茶化しを追いやって続ける。


「まず、あたしが何するつもりなのかも教えてなかったわよね」

「というか、実はそんなに考えてないんじゃない?」


 言えば、クシナは狐につままれたような顔で俺の方を見た。


「……あたし、そんなに分かりやすかった?」

「言動はいつもと変わらなかったよ。けど、いつものクシナと違ってなんだかはっちゃけてた感はあった」


 もにょっと唇を波うたせるクシナ。

 今日何度目とも知れぬ羞恥に襲われているらしい。


 一度顔を隠してから顔を上げ、しばらく逡巡した後に口を開く。


自棄ヤケってわけじゃないけど、今回の旅行では思うがまま振る舞おうって決めてたの」

「それはまあ、感情豊かだなぁとは思ってたけど、どういう心境の変化で?」

「……それも話さなきゃダメ?」


 クシナは肘をついて眉根を寄せる。

 それが「嫌そうに」なのか「恥ずかしそうに」なのかは分からないが、どうにも子供っぽさが拭えない。


「別に話さなきゃいけないことはないよ。まだ例の約束は生きてるからね」


 話したくなければ話さなくてもいい、というやつ。

 お互いの過去については未来へと進むために話したが、それ以外のことまで無理に話す必要はない。


「……じゃあ黙ってる」

「そう」


 軽く流しつつも、これまで──旅行よりももっと前から振り返ってみるとなんとなく予想はつく。


 つい二ヶ月ほど前。

 そのあたりから、それまでどこか余所余所しく俺を突き放す感じのクシナの態度が変わってきた気がしていたんだ。


 その「突き放す感じツンデレ」が始まったのは、ちょうど六、七年前からのこと。


 その頃何があったかと言えば、クシナが【救世の契りネガ・メサイア】に所属しはじめた時期だ。

 しかもいきなりの幹部就任。


 きっと彼女なりに俺を巻き込まないようにしていたんじゃないかな、なんて思っている。


 ……まあそれだけが理由の全てというわけじゃないだろうし、実際にそうなのかも分からないのだが。


 人の心理って色んなことが影響しているものだからね。

 推しヒナタとか推しルイとか推しミラとか。


 そういった多種多様な要因があるわけだが、そんなクシナが柔らかくなってきたのは、二ヶ月前。

 その頃と言えば皆さんは何を思い浮かべるだろうか。


 そう、俺の【救世の契りネガ・メサイア】入団である!


 最近のクシナの態度の軟化は、俺が巻き込まれるのは避けようがなくなったので開き直ってきたからじゃないかな、なんて思っている。


 その最盛期こそが、この旅行。

 今まで我慢させてきた分も、全力でこの子に付き合ってあげたくなってしまうというものだ。


「それで、クシナはどうするつもりなの? さっき帰り際に大祓おおはらえのことは聞いたけど、具体的に何するつもりなのかは全く知らないんだけど」


 なんとなく勘で彼女がここにきたかったのは分かったのだが、その詳細まではさっぱり不明だ。

 彼女は「ん〜」とおとがいに指を当て、


「はっきり言ってしまえば、華族の連中を襲撃しようと思ってるわ」

「まあそうだろうね」


 今までの過去の振り返りを聞いていれば、その対象が華族なのは予想がついていたことだが、その手段と目的が俺には分かっていなかった。


「華族の大祓おおはらえが出雲大社で行われるっていうのは言ったわよね?」


 頷き、相槌を打つ。


 細かいことを言うなら、どうして神社本庁の本宗たる伊勢神宮ではないのか疑問に思わないでもなかったが、そこらへんはお偉いさんの方でも色々あるんだろうと除けておく。


「普段あいつらは京都に篭っているんだけどね。この時期だけは、出雲大社の方に移動してくるのよ」

「華族全員が?」

「違うわ。持ち回り制になっていて毎年担当が決まっているの」

「なるほど」


 さすがに一斉に京都を空けるような真似はしないか。

 数が多くなればなるだけ護衛の数も相当数求められるわけだし、負担もおおきくなるだろうからな。


「それで、今年はクシナと因縁のある家の持ち回りなわけだね?」

「その通り。実はあたしが桜邑おうらに逃げてからも追っ手をかけてきてるのよ、あの家」

「え……? 聞いてないけど!?」

「言ってないもの」


 こちらの驚きもどこ吹く風、しれっと言い放つ幼馴染。


「あたしが直接相手しているわけじゃないわよ。だからこそ安心して桜邑おうらで暮らしているわけだし」

「……【救世の契りネガ・メサイア】が?」

「まあ、そういうことね」

「そっか」


 クシナが【救世の契りネガ・メサイア】のために命を削っているだけじゃなく、向こうからもクシナへのサポートがあったのだと聞けて少し安心する。


「だから襲撃の目的としては『もう追っ手をかけてくるな』って最終警告を出すこと」

「優しいね」

「それが優しさだと気づけるほど頭の良い人間が、あそこに存在するかは疑わしいけれどね」


 いっそ家ごと潰してしまえる力がクシナにはあるのに。

 そんな意味を込めて言うと、彼女は肩をすくめた。


「それで、具体的にはどうするつもりなんだ?」

「新幹線」


 それだけ告げて、クシナは腕を組む。


「基本的には皇族と一緒よ。あいつらも移動の際には御料車を出す。今回は距離が遠いから新幹線で移動するわ」

「お召し列車ってやつ?」

「よく知ってるわね、その通りよ。毎年、出雲まではそうやって移動してるし、今年も同じはず」

「……まさか」


 あらかじめ去年までの移動方法を知っていたということは。


「わざわざ京都で一度降りてから、松江まできたのは……」


 腕を組んでいたクシナがたじろいで目を泳がせた。

 それから観念したように、


「……ええ、そうよ。向こうのと同じ足取りを確認トレースしておこうと思って」

「ねえ」

「なにかしら」


 それを俺に内緒でしていた、というのが非常に怪しい。


「ひょっとしなくても君、もともと俺抜きで襲撃しようと思ってたね?」

「…………」

「クシナ」

「……そうよ」


 俺は思わずジト目で幼馴染を見る。


「よくも『旅行にいかない?』なんて誘えたもんだね」

「旅行に行きたかったのは本当よ?」

「それは疑ってない」

「ついでの用事まで言う必要ないと思ったんだもの」


 怒られて拗ねる子供のような口調で言うクシナにため息をつく。


「まあ結局、別々で襲撃するわけだしいいけどさ」

「ありがと」

「もうしないこと」

「ん」

「で、その新幹線を襲撃するわけだ」


 こちらが切り替えると、クシナも切り替えてこころなし背筋を伸ばす。


「そうよ。細かい襲撃方法までは省くけど。──使う・・わ」

「…………っ」


 使う。

 彼女が言うそれは重い意味を持つ。


天稟ルクスのことで合ってる?」

「ええ。今回は〈刹那セツナ〉として──櫛引くしびきハキリとしてやらなきゃ意味がないの」

「……そっか」


 彼女は《転移》の天稟ルクスを持っているように偽装できるからこそ〈刹那セツナ〉を継いだ。


 けれど、それは彼女の天稟ルクスあってのことだ。

 使わねば意味がない。

 たとえそれが、自身の寿命と引き換えであっても。


「わかったよ。でも、あらかじめデッドラインを決めてほしい」

「そういうと思ったわ」


 ふっと不敵に笑って、


「一時間」


 最強の幼馴染は天を突くように指を立てる。


「それで今日の雑事もこれからの些事も、一切を断ち切りましょう」



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