第29話 地上250mの死闘・下


 流石にマズい、という焦燥が駆け巡った。


 天も地も、白亜の巨城も、夕陽がオレンジ色に染め上げる世界。

 この地上250メートルの高さから真っ逆様というのは、着地以前に意識を失う気がする。


 ──そんな状況でも、俺の視界と思考は不思議とクリアなままだった。


 おかげで、落下の危機から脱するすべに辿り着く。


 ぶち破ったステンドグラス。

 その虹色の破片が俺の周りに舞っている。

 その一つが、俺の横にあった。


 それを、殴りつける・・・・・


 長剣を押して自分を飛ばしたのと同じだ。

 慣性のすべてが無効化されているというなら、ガラス片ひとつよりも今の俺は軽いことになる。


 絵面的にありえないから想像したこともなかったが、理論上は可能。

 果たして、それは俺の想像通りに成された。


 俺は真横に吹き飛び、その先には──【天空回廊】がある。

 蜘蛛の巣のように立体交差するその道の上に転がり落ちた。


 回廊の天井部に膝をついた途端、


「げは……っ」


 一気に腹部の痛みが襲ってきて、思わず片手で押さえる。


 思い出すのは、あの凄絶なまでに冷たく美しい眼差し。

 無駄口を叩くことなく、ただ冷徹に戦場を操る指揮者。


 ──あれは完全に、殺しにきてた・・・・・・な。


 どう考えてもそんな場合じゃないが、口角が上がる。


「何を笑っているのかしら。気でも触れた?」


 割れたステンドグラスから俺を追ってきた指揮者が言った。

 俺は地にあって、彼女は天にある。


 先ほどまでとは真逆。

 そして、本来の在り方だ。


 ──おかえり。


 第一の勝利条件:雨剣ルイの再起、達成。


 そして──第二の勝利条件。



 覚醒した雨剣ルイに、圧倒的に・・・・こと。



 待っていてくれるクシナのためにも。

 慕ってくれるヒナタちゃんのためにも。

 殺しにくるルイのためにも。

 そして、俺自身のためにも。


 俺がここで死ぬわけにはいかない。


 ルイが全力で殺しにくるようになったことで、俺は今までのように中途半端に逃げ延びることができなくなった。

 要は、俺がここから生きて帰るには彼女に勝利することが必要不可欠。


 ──推しの敵でありながら推しを最前列で見るためには、自分が彼女たちより強くなければならないのだ。


「────」


 こちらの雰囲気が変わったのを見てとったルイが目を細めた。

 警戒しているのだろう。


 その隙に、自分の切れる手札を確認する。


 まず考えるべきは代償アンブラだ。

 感覚的には、『接触』衝動は臨界点まで半分くらい。


 意外と余裕があるな、と自然に考えてしまってから、内心で苦笑いする。


 元々、自分の体重を《分離》した程度なら大した代償アンブラにはならないのだ。

 たかが一、二発ではっきり知覚できるほどメーターが溜まっていくヒナタちゃんや〈剛鬼ゴウキ〉が異常なのである。


 俺の代償アンブラで厄介なのは容量ではなく支払い方法。


 人に触れた時点で発動する、というのが最大の使いづらい点である。

 あとは臨界点間近の催促されている感じと、支払い中の思考力低下くらいか。


 ……結構あるじゃねーか、この天稟ルクスマジで使い勝手悪いな(n回目)。


 使い勝手はともかく。


 天稟ルクスには、相性がある。

 この世界では、水が上から下に流れるのと同じくらい自明の理だ。


 何も特別な話ではない。

 火を操る天稟ルクスには水を操る天稟ルクスの方が有利、というようなものである。

 ……まあ、あくまでも属性で例えてみただけで、実際にはそうとは限らないのだが。


 ともあれ、それを加味してみると、意外にも俺はルイと相性が良い。


 彼女は物理攻撃しかしてこないからだ。

 根性次第で物理攻撃の大半を無効化できる俺にとっては相性が良いのである。


 彼女が《火炎操作》などの天稟ルクスだった場合、俺はとっくに死んでいる。


 〈剛鬼ゴウキ〉のようにエネルギーの大きすぎる攻撃もできないあたり、代償アンブラの面から見てもルイとの相性は良いと言えるだろう。


 だが、ここまでの好相性を差し引いても。

 ルイは単純に天稟ルクスの性能で俺の上をいっている。


 というか、そもそも俺には攻撃手段がない。


 俺が彼女に勝つのはほぼ不可能────そのはずだった、先ほどまでは。


「まったく……本当に頭が上がらないな、妹様・・には」


 俺は口の端を上げて、立ち上がった。

 そして──両腕に嵌めた腕輪・・を起動する。




 ♢♢♢♢♢




『兄様、変身するんだろう!? 変身っ!』


 俺に緊急安全……なんだっけ……まあいいや、〈デコイくん・柒式ななしき〉を渡した後のこと。

 ツクモは妙に鼻息荒くこちらを見上げた。


『ならば、その腕輪ブレスレットを使うがよい! 身を隠しつつ〈乖離カイリ〉になれるぞ!』


 彼女が熱心に見つめるのは俺の両腕に嵌められた銀の腕輪ブレスレット

 なお、両腕なのはツクモが追加で押し付けてきたからだ。


『身を隠せるって……そんなに沢山の紙吹雪いれたの?』

『うむ』

『どのくらい?』

『知らん。いっぱい入れた。どこまで入るかなって』

『結果は?』

『途中で飽きた』

『ばかなの?』

『あと途中で小さく切るのめんどくさくなって雑に切って詰めた』

『スマホくらいあるよ???』


 一枚だけ出してみて手の上に乗っけてみる。

 これはもはや紙吹雪ではなくおふだである。


『さあ、やるのだ、兄様……!』

『ええー、いいけど……』


 しぶしぶ頷いて起動した瞬間、腕輪ブレスレットから緋色の吹雪が身を包んだ。




 ♢♢♢♢♢




 ───外套ローブの袖から零れ落ちた緋色の吹雪が、ビル風によって巻き上がる。


 橙色に染まる白亜の城よりも尚、あかく、あかく、あかく、渦は周囲に広がっていく。


 ──それはまるで、彼岸に咲く華のように。


 その中心で、俺はルイを見上げた。

 彼女は緋色の正体が紙だと見極め、怪訝そうな表情をしている。


 派手な演出にしか見えないだろう?

 殺意と冷酷さを兼ね備えた狩人には、その無駄の意味が分かるまい。


 ふっと笑みが溢れた。


 自分で『殺意』をプレゼントしておいて悪いが──、


「君に『俺を殺さない言い訳』をあげよう」


 君はもう、俺には勝てない。


「俺の方が、君より強い」


 彼女は応えなかった。

 その代わりに、四の銀剣が射ち出される。


 俺に迫るそれが、緋色の紙吹雪────その一枚に触れた。



《分離》対象:長剣、及び朱紙あけがみ



 四振りの長剣は、推力を失った。


「な……っ!?」


 目を瞠るルイ。

《念動力》の支配から外れ落下するそれを、彼女は慌てて再支配する。


 けれど、もう遅い。


 ひとたび渦に取り込まれれば、朱紙に触れずに脱出することはほぼ不可能。


《念動力》で落下を食い止めたルイだったが、動きを止めた長剣に再び紙が触れ──《分離》。


 再びの落下が始まった。


《念動力》と《分離》が交互に行使され、ゆっくりと銀剣は高度を落としていく。


 ──そう。


 物理主導権の奪い合い。

 それが、俺とルイの戦闘の本質である。


「〜〜〜っ! くぅ……っ!!」


 ずるずる、と。

 まるで蜘蛛の巣に囚われた蝶のごとく、引きずり落とされていく。


 ここまで来て、ルイは察したはずだ。


 ──自分が蜘蛛の狩場にいることに。


 狩人と獲物は、既に逆転している。




 ♢♢♢♢♢




 ──まんまと嵌められた……ッ!


 雨剣ルイはギリッと音が鳴るほどに歯を噛み締めた。


 ここは【天空回廊】。

【月】と【星】、二本の尖塔の狭間。

 すなわち、ビル風は逆巻くように吹き上がる。


 蜘蛛の巣の中心にいる〈乖離カイリ〉を核として、今もなお緋色の紙吹雪は拡大していた。


 ──このままでは自分まで取り込まれる。


 その結論に辿り着いてからの、ルイの決断は早かった。


 ──四本の剣の救出を諦める。


 それができるほどに、ルイは〈乖離カイリ〉の天稟ルクスの全容をほとんど掴んでいた。


 元々、二度の攻防から『触れたものの推力を奪う』天稟ルクスであることには気づいていたのだ。


 今回はそれに加えて、フードの認識阻害がなくなり、彼の顔がルイにも視えている。

 つまり、『長剣を目で追っている』のが視えていた。


 それが意味する所は、天稟ルクスの発動条件に『視認』があるということ。

 ゆえに聖堂内では彼の意識を分散させ、渾身の踵落としを見舞ってやったのである。


 その調子で叩き潰そうとして──逆に狩場に誘いこまれた。


 なまじ〈乖離カイリ〉の能力が分かっているからこそ、この時点でルイは無傷での勝利を諦めざるを得なかった。


 朱紙は風によって不規則に渦巻く。

 ひとひらの紙片にも触れずに、渦から剣を手繰り寄せるのは不可能に近い。


 四本もの長剣をそれほど精密に動かせるだけの練度が今のルイにはなかった。


 ──四本なら・・・・、の話であるが。


「舐めるな……っ!」


 ルイは自身の武器のうち、半数を手放すことを選ぶ。

 すなわち、残りの二本の制御にのみ注力するということ。


 二本だけであれば、あの緋色の渦から引き戻せる。

 それを可能とするだけの修練は血反吐を吐きながらこなしてきた。


 針の穴を縫うような精密操作で緋色の吹雪を超え、物理主導権を取り戻す。

 そして──、


「────」


 の中央に座していた蜘蛛・・の姿が消えていることに気づく。



「いつも下ばかり見ているだろう」


「───ぁ」


「たまには上も見てみるといいよ」



 頭上。

 10メートルと離れていない場所に〈乖離カイリ〉がいた。


 ──どうやって。


 その答えは目の前で実演された。


乖離カイリ〉がくるりと一回転。

 その袖口から、紙吹雪が撒かれた。


 紙切れの一枚が足場になどなろうはずがない。

 しかし〈乖離カイリ〉はそれを蹴った・・・


 ──まずい……っ。


 結果を見るより前にルイは直感する。

 ゆえに全力で降下した。


「さすが。勘が良い」


 一瞬前までルイがいた場所で、〈乖離カイリ〉の手が空を切る。

 回避した、と安堵する間もなく、


「でも残念」


 袖口から撒かれた朱紙のひとひらが──ルイの髪に触れた。


 ふっ、と自分の身体が沈み込む。


 否──墜ちている・・・・・


「くっ……!?」


 ──《念動力》の推力を消された!?


 即座に制御を取り戻す。

 しかし、一度味わった浮遊感はルイに危機感を覚えさせるには充分だった。


 ──天空は、もはや自分の領域ではない。


「………ッ!」


 転瞬、ルイは全力で〈乖離カイリ〉との距離を開きにかかった。


 しかし、相手もほぼ等速で距離を詰めてくる。

 一向に引き離すことができないことにルイは歯噛みした。


 ──けれど……!


 目的の場所には、先に辿り着くことができた。


 そこは【星の塔】の上にあるヘリポート。

 ルイが逃げるように向かう先には、一機のヘリコプターがある。


 この戦いは物理主導権の奪い合いだった。

 同時に、自分に有利な戦場の選び合いでもある。


 ルイは滑り込むようにして、機体の裏に回り込んだ。

 転身して〈乖離カイリ〉を待ち伏せる。


 ──さあ、来なさい……!


 鉄の壁の向こうから姿を現した瞬間に串刺しにする。


乖離カイリ〉の天稟ルクスに『視認』という条件がある以上、完璧に同じタイミングで見舞われる二本の剣は捌けない。

 コンマ一秒のズレもなくそれを行うのは至難の技だが、剣を二本のみに絞ったルイならばそれができる。


 左か、右か、それとも上か。


 ──その予想は、裏切られた。


 機体そのものが、こちらに吹き飛ばされる・・・・・・・・・・・ことによって。


「───ッ!?」


 咄嗟に飛び上がり、かろうじて鉄塊を回避する。

 刹那、視界に影が落ちた。


 ──上。


 けれど。


 ──その手は、さっき見た……ッ!


 同じ手は食わない。

 目を向けるよりも疾く、完璧に同じタイミングで腕を振るう。


 二本の銀閃が、影を貫いた。

 確信と共に視線を上げて、


「────」


 交差した腕の向こう。

救世の契りネガ・メサイア】の外套───その抜け殻を、長剣が穿っていた。


「ぁ………」


 それを認めた瞬間。

 ルイの胸に生まれたのは、謝意。


 ──ごめんなさい、ヒナ。


 自分を守る・・・・・武器は、一つ残らず奪われてしまった。


 ──ワタシ、敗けちゃった……。


 下から跳躍してきた影を、諦めと共に見下ろし──、



「………………は?」



 ふわりと抱き締められる。

 その意味も分からずに───美しき天使は地に堕ちた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る