第25話 嫉妬


 ヒナタちゃんが、激怒している。

 こんなに怒った彼女は『わたゆめ』でも見たことない。


 もはや呆然として見ていると、ヒナタちゃんはハッとしたように振り返った。


「お兄さんっ、怪我は!?」

「──大丈夫、ありがとう」


 心配してくれることに嬉しさを感じながら、頷く。


「それより、前!」

「………っ」


 ヒナタちゃんが前を向いた時には、


「き、ひひひ……」


誘宵いざよい〉は地面の影へと沈みゆくところだった。


 ……さすがにアレで終わりとはいかないか。


 すばやく周りを確認すると、周囲の天使もシスター服から隊服へと姿を変えている。

 子供達は一撃で敵を吹っ飛ばしたヒナタちゃんを驚いて見ていた。


 ──さすが主人公。


 天翼の守護者エクスシアと子供達、両方の動揺を一瞬で鎮めてみせた。

 天使たちが素早く子供達を中心にして臨戦体制を取る。


 沈黙。

 誰もこの場から動けずに、襲いくる敵に集中している。


「…………」


 天使全員が影ある場所を注視している中、俺が目を向けたのは外。

 立体交差の向こう側、別の【天空回廊】に──いた。


 イサナさんや、パトロンのご一行だ。

 彼女らは開かずの扉にどう対処するのか……って。


「わお……ぶっ壊しちゃった……」


 天使の一人が大槌ハンマーで大扉をぶち抜いて【星の塔】へと入っていくのが見えてしまった。

 彼女の後について、イサナさんたちが塔の中へと続く。

 ……壊していいんだ。


「────」


 と、おそらく皆が地面を見ていた中。

 顔を上げていた俺だけがそれ・・に気づいた。


 回廊の天井。

 そこは、一面の


「う──」


 上、と警告するより早く。


「──ばあ」


 真ん中に固まる子供達の真上。

 天井から、殺人鬼が落ちてきた。


 天使たちの注視していた方とは真逆。

 完全に裏をかかれた彼女らは反応できていない。


「きひ」


誘宵いざよい〉は両手に握りしめた短剣を振り下ろそうとし、──弾かれるように顔を上げた。

 その三白眼に映るは、眼前まで迫った長剣。


 雨剣ルイ。

 彼女が指揮する銀閃だけが子供達の頭上を抜け、奇襲への対応を可能とした。


 ──取った……!


 空中に身を投げ出しているのだから抵抗のしようがない。


 ──その俺の予想を嘲笑うように、〈誘宵いざよい〉は驚異的な反応を見せた。


 両刃を交差させて、迫りくる剣身に滑らせる。

 軟体動物のように身体をしならせスレスレで剣を避けると、そのまま地面へ落ち──潜水するように影へと溶けた。


「チィ……ッ」


 曲芸技で一撃をいなされたルイが舌打ちする。

 誰も対応できなかったあの状況で子供を守ることに成功したのだから──いや。


『雨剣ルイ』であれば、あの攻撃を外すとは考えにくい。


 ──やっぱりまだ本調子じゃないのか……!


 けれど、庇護対象を守り抜いたのには違いない。

 圧倒的不利な奇襲を受ける側でありながら、序盤を受け切ったのは大きいはずだった。


 初撃は俺。

 次撃はヒナタちゃん。

 最後はルイ。


 俺はともかく、二人はやはりずば抜けて対応力が高い。


 ……けれど、このまま守り続けていてもこちらの不利は変わらない。

 変幻自在の襲撃から子供達を守りきるのにも限界が訪れるだろう。


 俺は【月】の扉を見る。

 ……15メートルってところか。

 見極めて、──走り出す。


「お兄さん……!?」


 ヒナタちゃんの悲鳴が響き、その場の全員が一斉にこちらを見た。


 ──つまりは、隙が生まれた。


 俺に集まる視線とは反対側。

 天使の意識の外側で影が揺れた。

 唯一俺だけはそれを見逃さない。


「────」


 這い出てきた上半身と、目が合う。

 枯れた灰色の三白眼。

 ぞっとするほど狂気が宿る眼を見つめ返し、指を差す。


「そこ!!」


 すぐ近くにいたルイが反応し、二方向から長剣が飛ぶ。

 が、やはり狭い通路では自由な軌道を描けず。

 剣撃が及ぶよりも早く〈誘宵いざよい〉は再び影へ潜んだ。


 その間に俺は【月】の扉まで辿り着く。

 こちらが錯乱していると思ったのか、ポワポワ天使はあわあわと俺を止めようとするが、


「──失礼」


 横をすり抜けると、俺は足を上げ──、


《分離》対象:【月】の扉、及び壁面・・


 ドアからドアノブは《分離》できない。

 どちらも合わせてドアだからだ。

 だが、ドアと壁は完全に別物・・・・・だろう。


 木製の扉についた蝶番から、ギリギリと異音が響いた。

 瞬間、俺の足蹴が扉に触れ──天稟ルクスの連続発動。


《分離》対象:自身、及び【月】の扉。


 破砕音とともに、身の丈の倍以上あるような大扉の片方が吹き飛んだ。


「……へ?」


 隣のお姉さんが間の抜けた声を出した。


 見た目は派手だが、実質的には緩んだ蝶番を全力で蹴とばしただけだ。

 男の脚力なら普通に壊せるだろう。

 ……見た目は派手だが、うん。


 問題は言い訳で、


「──全力で蹴ったら壊しちゃいました……!」


 あまりにも疑わしい台詞に、普段からここを使っているであろう天使たちがポカーンとした。ちなみに子供達はキラキラした目で見てくれた。


 無理はあるかもしれないが──そんなことに構っていられる状況でもない。

 すぐに正気を取り戻した天翼の守護者エクスシアが子供達を誘導する。


「あ、ありがとうございますぅ……」


 ポワポワお姉さんがおずおずと礼を言う。

 夕陽のせいか、ちょっと頬に赤みが差して見えた。


「あ、いえいえ。こちらこそ勝手な真似を……」


 彼女に笑顔を向けた、その時。

 残った扉の向こう側、伸びる影から〈誘宵いざよい〉が飛び出してきた。

 狙いは──俺。


「お前、目立つなァ……?」


 二本の腕を振りかぶり、



「──あなたは目障りですけどね……?」



 高速で割り込んできた天使が鉄籠手ガントレットで殴打し、小柄な身体を扉の向こうへと吹き飛ばした。

 …………やっぱりキレてるぅ。


「お兄さん」

「はいっ!」

「勝手なことしないでください。……危ないですから、ね?」


 ヒナタちゃんが確認を取るようにポワポワお姉さんを見ると、彼女もぶんぶんと頭を上下に振った。

 瞬きもせずにそれを見ていたヒナタちゃんが、ふいと前へ向き直った。


 そこは例の懺悔室がある広間。

 イサナさんたちの回廊は別の場所に繋がっているようで、そこには誰もいなかった。


 ──吹き飛ばされた〈誘宵いざよい〉を除いて。


 広間の真ん中に立っている彼女は、両刃を身体の前で交差させていた。

 ああして鉄の打撃を防いだのを俺の瞳も捉えていたから驚きはしない。


「ううぅーん……うまくいかないなァ……」


 女は首を傾げる。


「前の襲撃で負傷者が出た分、戦力は弱まっているって聞いてた・・・・んだけどなァ……でもそうかァ……あの〈剛鬼ゴウキ〉は私より目立ちたがりなカスだったけど強くはあったし、アレを倒した目立つガキがいるなら一括りに雑魚とも言えないのかァ……うざいなァ……」


 がっがっと落ち着きなく床を蹴りながら、呟きを重ねる殺人鬼。

 その異様な様子に、後ろにいる子供たちが怯えるような声が聞こえてきた。


 この隙に天使たちが攻撃をしないのは、姿が見えている現状の方が影の中に潜られるよりマシだからだろう。

 先ほどの睨み合いの間に小声で通信する天使がいたのを知っている。

 監視カメラなどが機能しておらずとも、支部側も事態は把握しているはずだ。


 そんなこちらの意図などお構いなしに、〈誘宵いざよい〉はゆっくりと俺を指さした。

 ヒナタちゃんが素早く俺の前に立ち塞がる。


「お前、良いなぁ。顔が良くて、行動力があって、目立つもんなァ……? それと、お前も」


 やや指が下がる。

 差しているのはヒナタちゃんだろう。


「でも」


 警戒を深める俺たちから、女は不意に視線を切った。

 それが向く先は、俺たちの背後。


「一番目立つのはお前だよなァ……」


 そこにいるのは──雨剣ルイ。


「狡いよなァ……お前、人の目を惹くもんなァ……空も飛べて目立つし、影に潜るしかできない私と違っていいなァ……さっきも見てたぞ、指揮者とかさァ……目立ちすぎだろぉ?」


 その勝手な物言いに、美貌に浮かぶ険が深まる。


「どうでもいいわ」

「────」


 美しき指揮者の一蹴に、〈誘宵いざよい〉が目を見開いた。


「……あァ、うん。お前は絶対に惨たらしく、磔にする。いまァ、決めた。目立つだろうなァ……!」


 狂った笑みと共に、殺人鬼は影に沈み込んだ。

 それを見た天使たちが口々に子供たちに呼びかける。


「みんなっ、真ん中に走って!」


 英断だろう。

 エレベーターも使えず、ここから逃れられぬ以上、なるべく中央で一塊になってやりすごすのが最善手だ。


 子供たちも必死でそれに従い一箇所に集まる。

 俺もその端にいたのだが、くいくいと服の裾を引かれた。


「………?」


 ツクモかと思って下を見るが、違った。


「レオンのところの……」


 あの三人組のガキんちょの内、おとなしそうな女の子の方が俺を見上げていた。

 ──蒼白になった顔で。


「いないの……。アリカがいないの……」

「アリカ……って、もう一人の女の子?」


 問うと、彼女は恐る恐る頷く。

 その後ろでは先生ことユウ少年も同じように縋るような表情でこちらを見ていた。

 残る一人は──あの活発な感じの女の子か。


「レオンはどこに?」

お仕事・・・があるからって、大聖堂で別れた……」

「お仕事? 先に帰ったのか……!」


 そっちは無事に帰れたのだろうか……?

 いや、今はそれどころじゃない。


「どこにいったか、心当たりは?」


 おとなしそうな少女は泣きそうな表情で言った。


「さっき大聖堂で喧嘩しちゃって……それで……っ」


 あれか……っ。

 俺の脳裏に、なぜか他人事とは思えない地獄絵図が浮かび上がる。

 と、


「──ワタシが大聖堂に行ってくるわ」

「っ!?」


 後ろから突然、声をかけられ驚く。

 声をかけてきた、相手にも。

 振り向くと、立っていたのは険しい表情のルイだった。



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