第20話 祭りが始まる

 パレードの管楽器が華々しく鳴り響く。


 あちらこちらに垂れ幕が掛けられ、立ち並ぶビル群を彩っていた。

 通りには屋台や露店が所狭しと並び、書き入れ時とばかりに奮っている。


 街はかつて類を見ないほど賑わい、笑顔の人々が右へ左へと祭りの街並みを謳歌おうかする。

 この世の春、そんな言葉が過分なく当てはまるような光景が桜邑おうらの街を覆い尽くしていた。


「そんな中、職務に追われる可哀想な私」


 壁一面の窓ガラスの前で、メイド長──もとい副支部長・信藤イサナはため息をついた。

 その声音にはそこはかとない物悲しさが滲んでいる。


 ──【循守の白天秤プリム・リーブラ】第十支部35階、大会議室。


 日本の副都心、桜邑おうらを一望できるその部屋は、滅多に使われることがない。

 しかし現在、そこは後方支援を務める隊員達でひしめき合っていた。


「まあまあ、やってやりますよ。なにせ私は空気が読めるメイド。この祭事の中、一切の休みなく──」

「副支部長! 黄昏たそがれてないで働いてください!」

「空気読めよコラ」


 たった今、書類の山を処理し終わったばかりだというのに。

 大量の追加報告書を抱えた部下が、臨時の副支部長デスクにやってくる。


空気そんなもの読んでる暇があったら働きますね」

「ちっ、社畜どもが。いーもんねー。忌々しい祭りも今日で五日目、宴で言えばたけなわ・・・・って頃合いです。これさえ乗り越えれば──」

「副支部長!」

「やってやろうじゃねーかよ、このやろう!」


 けっ、と悪態をつきながら書類を処理していくイサナ。

 そのスピードは尋常でなく、彼女以外に副支部長という多忙極まるポストが務まらないことを如実に表していた。


「くっそー、支部長はこんな時にいないしよぉー。……まあ、いたらいたで仕事増えるに決まってるけど」


 グチグチ言う彼女の前に、人影が立った。

 またか、と疎ましさを隠すことなくため息をつく。


「ったく、次から次へとなんだよぅ。こちとら貴女がさっき持ってきた書類に忙殺されて──」


「副支部長」


「…………」


 予想とは異なる怖気おぞけを感じさせる声音に、イサナは動きを止めた。

 ぎこちなく顔を上げれば、未だかつて類を見ないほどに冷たいオーラを発する少女が独り。


 ──大丈夫、大丈夫。私は空気が読めるメイド。


「あ、あはは。非番の日だってのに独りでどうしたの──雨剣うつるぎちゃん」


 その瞬間、少女──雨剣ルイの背後に立っていた部下が「この人はなんて空気が読めないんだろう」という顔をした。

 が、それに気付くよりも早くイサナは失言を悟る。


「──『非番の日』? 『独りで』? そう。非番なのに、バディと二人一緒に非番のはずなのに……っ! ヒナがっ、ヒナがいないの。ふふ、ふふふふふふふふ」

「……私は空気が読めないメイド」

「副支部長」

「はい」


 急に正気を取り戻した声音で話しかけられて、イサナの背筋が伸びる。

 こわい。


「ヒナの行き先、知らない?」

「さ、さすがに休暇中の隊員のまでは……」

「そう……」


 恐る恐る否定すれば、彼女はしょげかえった。

 さっきまでの自分と重なるその様子に、ちょっと可哀想かも、と思ったイサナは当たり障りない助言を考える。


「まあ、でも祭りに行ってるんじゃないの? 百年祭だし」

「は? 祭りに? ヒナが? 独りで?」

「いやごめんなさい私の勘違いかも多分そう」


 眼前から向けられる圧に副支部長は一瞬で屈した。

 しかしルイの様子は尋常じゃないまま。


「──そういえば、ワタシの誘いを断る時のヒナ、いつもより視線が0.7度外側に向いていた。たまたまかもしれないと思っていたけど、今日に限って? もし仮に後ろめたいことがあったからだとすれば……。でもヒナは一人で祭りになんていくタイプじゃないし……いえ、そうよ、一人じゃないとすれば、二人? 二人──まさか、まさかまさかまさかまさかまさか」

「ひえっ……」


 イサナは結構怯えた。


「ありがとう──イサナさん」

「あ、うん……」


 初めて名前を呼ばれたナー、なんて現実逃避している間に、ひどく美しい微笑みを残して少女は去っていった。


 ……まあ、どこの誰だかは知らないが、


「終わったな、傍陽そえひちゃんの連れ」




 ♦︎♢♦︎♢♦︎




「──っくしゅん」

「? どうしたんですか、お兄さん」

「い、いや、なんか寒気が……」


 今は春なんだけどなあ、と周りを見渡す。


 以前にも語ったが、桜邑おうらという都市は駅を中心にしていくつかの目抜き通りが伸びている。

 この目抜き通りは合計で五本あり、その形は巨大な桜を意識して造られたという話だ。


 この一週間、その五本の通りには数え切れぬほど出店が並び、まさしく花弁が開くようだった。

 人通りも多いなんてものじゃなく、オリンピックもくやという賑わい具合を見せている。


 その人混みを掻き分けて、俺たちは進む。


「ろくに予定も決めずに来たから不安だったけど、賑わいすぎてて退屈しないね」

「そうですねぇ……」

「それと、さっきは人混みに流されて言い損ねちゃったんだけど」

「?」


 ヒナタちゃんが首を傾げる。かわいい。


「その服、よく似合ってる」

「………っ!」


 彼女の服は、この前ブティックのショーウィンドウで目を惹かれていたものだ。

 ピンクのカーディガンと淡い黄色のフレアスカートの、天真爛漫なコーディネート。


「それと、そのブローチも可愛いね」

「あっ、これですか?」


 彼女が手をやったのは、ブラウスの胸元。

 そこには深い桃色のブローチが付けられていた。


 ──それは、俺にも馴染みある小物アイテムだ。


「これ、可愛いですよねっ」


 ヒナタちゃんは、くすぐったそうに笑った。


「えへへ……──っと」


 その時、人垣からいきなり少女が飛び出してくる。

 お祭りともなれば小学生くらいの子にとっては舞い上がる気分だろう。

 溌剌はつらつとした彼女を責める気にはなれない。


 ぶつかりそうになったヒナタちゃんも文句一つ言わず、ソフトクリーム片手に軽やかに避ける。

 華麗な身のこなしに思わず拍手。


「おー、さすが天翼の守護者エクスシア

「えへん。この程度なら──って、きゃっ」


 褒められて胸を張るヒナタちゃんが油断した途端。

 またしても子供が飛び出してきた。


 友達だろうか、先程の子と同じ年頃の少女だ。

 ギリギリでそれを躱すも、彼女は手に持っていたソフトクリームを手放してしまう。


「あ……っ」


 ──視界に集中。


 俺は手を伸ばし、コーンが手に触れた瞬間に《分離》して慣性キャンセル。

 アイスの部分を落とさないようすくい上げる。


 なにこの天稟ルクスの無駄遣い、と我に返りつつ、ソフトクリームを持ち主に差し出す。


「はい、ヒナタちゃん。……ヒナタちゃん?」


 なかなか受け取らないヒナタちゃんに、ついと視線を向ければ、彼女はじっと俺の目を見つめていた。


「な、なに、どうかした?」

「いえ、お兄さんの天稟ルクスですよね、いまの」

「……うん。それが……?」

「──ふふっ、久しぶりに見せてもらいました」


 ありがとうございますと嬉しそうに笑って、ヒナタちゃんはソフトクリームを受け取った。

 よかった、バレたかと思った……。


 後ろめたいことが一つでもあると、なにかにつけて不安になってしまう。

 このままヒナタちゃんと関係が続くなら、こういうのにも耐え続けなきゃならないのだろうか。


 ──なんて事を考えていて、注意が散漫だった。


「うおっ、と。三人目」


 先の二人と間を開けて、今度は少年。

 しかも俺の方に来た。


 気弱そうな彼は泣きそうになりながら、前の二人を追いかけているようだ。

 なんとなく三人の関係性が見えるな……。


 バランスを崩しながらも避けると、少年はよたよたと人混みに消えていき──、


「あ」

「……っ」


 ──俺の手の甲とヒナタちゃんの手の甲が『触れて』しまった。


 俺は半ば無意識に手を滑らせ、ヒナタちゃんの左手を握る。



「っ!?!? っ!?! っ!!!」

「────」



 ──やばい。


 たかだかソフトクリームを《分離》しただけだし、代償アンブラ自体は対して重くない。

 しかし、問題はその支払い方法だ。


《分離》の度合いによって代償アンブラの度合いが変化するのと同じように、『接触』の支払い方でも代償アンブラの度合いは変化するのだ。


『抱きしめる』など接触の程度が高ければ時間は短くなる。

 逆に、程度が低ければ時間は長くなる。


 今回のように手を繋ぐのは、代償アンブラ的には最小単位だった。


 前回抱きしめた(事故)時にはあれだけ天稟ルクスを使用しても30秒ほどで済んだが、今回はたったあれだけの使用でも一分弱は要するだろう。


 つまり───やばい推しの手から手を離せないどうしようやばいやばいやばいっ!


 なにか言い訳!


「て、手ぇ繋がない!? ひ、人混み、そう、人混みがひどいし!?」


 ぬおおっ、なんて取ってつけたような言い訳っ!


「はぇ、あ、はひっ!? ぜひっ、繋ぐしかありませんね???」


 いや、ヒナタちゃんも訳わかんないこと言ってるっ!?

 そりゃそうか、いきなり手を繋がれたらそうなるよねっ!


「…………」

「…………」


 そうして、途端に落ちる沈黙。

 気まずさに耐えかね、何か言おうと目についた屋台の一つを指差す。


「あっ、あの風船、なんかこうっ、柔らかくてすべすべしてそう!」

「そ、そうですかっ? 意外とゴツゴツしててあったかいかもしれませんよっ!?」


 なんの話してるの俺たち!?


 ──と、ふいに背後から視線を感じて振り返る。

 そこには、さっき駆け抜けていったはずの三人組がいた。


「「「…………」」」

「「…………」」


 揃って変なものでも見るような目を向けてくる彼女らと、視線がかち合う。


「あのおねえちゃんたち、イミわかんないこと言ってるよ」

「しゅーちしんとかないのかな」

「頭弱そう……」


 お前らのせいじゃクソガキどもぉ!!

 あと最後の少年、気弱そうなのに口悪いな!?


「~~~〜っ」


 三人組の視線と台詞をもろに受けて、手を繋いだままのヒナタちゃんは羞恥心にプルプル震えて涙目になっていた。


 それからしばらくの間、三人組は好き勝手なことを言い、気が済むとまた人垣の中に消えていった。

 お前らの顔は忘れねえからな……!


「うぅ、恥ずかしいよぉ……」


 メンタルに相当なダメージを負った様子のヒナタちゃんが、思わずといった様子でしゃがみ込む。

 その際、繋いだ手がするりと離れた。


 どうやら代償アンブラの方は終わったらしい。

 タイミングが良いと言うべきかどうか……。


「ヒ、ヒナタちゃん、気持ちは分かるけど一旦、横に──」


 仮にも人混みの最中ではあるので道路脇に掃けようか、とそう思って周りを見渡した時。

 俺は信じられない、否、信じたくないものを見た。


 ビルの上。

 天翼の守護者エクスシアの制服に身を包んだ片翼の天使──雨剣ルイが鬼気迫る表情で辺りを睨み散らしているのを。


「〜〜〜〜っ!?!?」


 今バレていないのは奇跡だ。

 ヒナタちゃんがしゃがみこんで人混みに隠れているから、たまたま見つかっていないだけ。


 ヒナタちゃんの髪が一房でも見えた時点であの厄介オタクは推しの存在を認知するだろう。

 間違いない。

 だって俺ならできるもん。


 すばやく状況判断した俺は、


「──ちょっと失礼」

「ひゃっ、おおおおおお兄さんっ!?」


 うずくまるヒナタちゃんの脇に手を滑り込ませ、腰を支えながら素早く壁際に移動。

 位置取りが悪くビルの中にも入れそうになかったので、ビル同士の隙間にヒナタちゃんごと身を隠す。


「あああ、あのあのっ」

「しっ、少し静かに」

「~~~っ!?」


 何か言おうとする彼女の唇に人差し指を当てて黙らせ、ビル影から顔だけ出してルイの方を注視する。


 やはり片翼の天使は般若のようなオーラを全身から迸らせていた。

 どこをどう見てもキレている。

 なのに相変わらず目を奪われるほどに美しいのはどういう原理なのか。


 しばらく周囲を見回していたルイは、この大通りに見切りをつけ、すばやく飛び去っていった。


「はあ、危なかった……ヒナタちゃ──あ」


 声をかけようとして、自分たちの体勢に思い至る。

 ビル壁に押し付けるようにしてヒナタちゃんを抱きしめている体勢に。


 慌てて両手を上げて離れる。

 ヒナタちゃんは──、


「ふーっ、ふぅ~……っ」


 桃色の瞳に大粒の涙をたたえ、何かを堪えるように曲げた人差し指を甘噛みしていた。

 その熱っぽい表情から、すっと目を逸らす。


「えっと、あのぉ…………ごめん、ヒナタちゃん」

「…………っっっっ」


 何秒経ったか、少女はくるりと踵を返し、


「いきますよ、おにいさん……」


 ややふらつきながら大通りへと戻っていく。

 彼女が何を思っているのか、まるで掴めないまま、俺はヒナタちゃんの後を追うしかなかった。


 しかし、この後。

 本当の戦いはこれからだったと、俺は思い知ることになる。




 ──あとがき──

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