9 覚醒

 左手で魔力弾の札を発動させ、更に一瞬遅れて最後の一枚の空間転移も発動。

 魔術弾を軽々と納刀された刀で振り払った女の背後に転移し、勢いそのままに回し蹴りを放つ。


「……ッ!?」


 だが八尋の足首を掴むように、女は死角からの攻撃を受け止める。

 そしてそのまま勢いよく地面に向けて振り下ろされた。


「ガ…ッ!?」


 たったの一撃で意識が飛びそうになる程の衝撃。

 全身の骨や臓器がイカれたと確信する感覚が走った。だが、それでも。


(……まだだ)


 まだ意識は辛うじて残っている。

 体は殆ど動かないかもしれないが、思考はまだなんとか働いている。

 故に考える。まだ自分にできる事を。

 体が動かず片足を掴まれていて、いつでも追撃できる状況でもできる事を。

 だがそれはすぐには思いつかず……そしてそこから先の追撃も無かった。


(……は?)


 女はまだ八尋に意識が残っているにも関わらず、その手を放した。


(……なんだコイツ、俺を殺す気がねえのか?)


 確かに考えてみれば、殺す気はないのかもしれない。

 あくまで狙いはレイア。

 その前にある障害は排除さえできれば必ずしも殺す必要は無い。


 思い返してみれば、事務所に侵入された時も蹴り飛ばすのではなく、その手の刀で切り伏せてしまえばそれで終いだったのに、それでも八尋を蹴り飛ばし、結果八尋は生きている。


(間違いねえ……コイツ、余計な殺しはしねえタイプのクズだ)


 人を殺そうとする人間にまともも何も無いとは思うが、それでも目の前の女が比較的まともな人間であると判断した。

 それは八尋にとってとても好都合な事で、このまま死んだフリでもしていれば生き永らえる事が出来そうな程に甘い奴だからこそ、それを押し殺せさえすれば次の一手が打てる。


「……まて」


 動き出そうとした女の足にしがみ付き、数秒動きを止める事位は出来る。

 だってまだ生きているのだから。


「アイツは……絶対に殺させねえ……殺させねえぞ!」


 ここからはその数秒を一秒でも長くする為の勝負。

 殺さなければ突破できない障害として立ちふさがれるだけ立ち塞がる為の勝負。


(殺されるまで……絶対に放すな!)


 そんな決心と共に、最後の力を振り絞る。

 だが……想定していた追撃が届くことなく、時間は一秒二秒と経過していく。


「……ッ!」


 代わりに、女の動揺を押し殺すような声音が耳に届いた。

 少なくとも、二年前に自分を襲った連中からは全く聞こえてこなかった類いの音。

 それを聞いて、確信する。


(……ああ、コイツ、殺さないんじゃなくて殺せねえんだ)


 それどころか、一発一発の暴力も覚悟を込めないと振るえないような、およそ暴力沙汰に向かない人間。

 荒事担当の魔術師に全く向かない気質の人間だ。


 だからこそ、自分が戻るまでレイアは生きていた。

 追い詰めるだけ追い詰めて、その先へと進むだけの覚悟が中々決まらなかったのだ。

 此処に到達するまで妙に時間が掛かっていたのも、きっとその所為だろう。

 そしてそんな仮説を裏付けるように、女は口を開く。


「離してください。私はこれ以上キミを傷付けたくない」


 まるで泣き言を言うように、酷く弱弱しく……自ら隙を晒してきた。

 ……だとすれば話は変わってくる。


「……だったらもう止めねえか」


 今まで目の前の敵を力ずくで止める事しか考えていなかったが、予想外に露骨な弱点を見せてきたのだ。そこを突いていけばまだ戦える。


「アイツの事だって本当は殺したくねえんだろ!」


 それで最終的に止められなくてもより長い時間、女を此処に拘束できる筈だ。


「当たり前ですよ! 誰が好き好んで恨みも何も無い相手を殺そうと思うんですか!」


「だったらお前はなんでこんな事をやってんだよ! 一体何抱えてんだてめえは!」


 時間を稼ぐ。

 時間を稼ぐ。

 時間を稼ぐ。

 時間を稼ぐ。

 あわよくば事態をうまく収める。


 その為に浮かんできた言葉を脊髄反射でノータイムで吐き出していく。


「言ってみろよ! 一回落ち着いて話してくれたら、やりたくもねえ事をやる必要だって無くなるかもしれねえだろうが!」


「キミには関係な──」


「こんだけボコボコにしといて無関係はもう通らねえだろ! つーか俺んちに死にかけのアイツが倒れてた時点で、最初からお前のやってる事の関係者なんだよこっちはよぉ!」


「え、死にかけ……キミの家に……ちょっと待って何それ──」


 女が何かを言いかけたその時だった。突如、破砕音が鳴り響いたのは。


「……ッ」


 反射的に視線を女から結界の方へと移して、思わず息を呑んだ。

 全く想定していなかった光景が目の前に広がっていたから。


「手を放せ八尋ォッ!」


 そう叫びながら人間離れした速度でこちらに急接近してくるレイアがそこに居たから。


「……ッ」


 言われるがままに咄嗟に女の足から手を放した瞬間、急接近したレイアは勢いそのままに女目掛けてキレのある蹴りを放つが、それを女はバックステップで辛うじて回避。

 そう、辛うじてだ。

 今のレイアにはそれだけの出力が備わっていた。

 そしてレイアは八尋と女の間で構えを取って言う。


「すまない。八尋が私に逃げて欲しいと思っていたのは分かっている。それでも私にはそんな事は出来なかった……だから、八尋が稼いでくれた時間は違う事に使わせて貰ったよ」


「……マジかよ。お前この土壇場で……」


 違う事。

 即ち事務所の中で学んでいた魔術を形にする事。

 それをレイアはこの短期間でやってのけたのだ。

 元々かなり良い所まで行っていた訳だが、それにしてもこの土壇場でだ。

 そして驚くべきところはそれだけではない。


(……ていうかなんだよさっきのスピード。完全に初心者のそれじゃねえぞ)


 レイアが習得したのは初心者向けの強化魔術。

 八尋が使っていた物と同じく大きな出力を期待できない術式であるにも拘わらず、レイアの出力はプロの魔術師が一般的に運用する魔術と比較しても遜色が無かった。

 プロからすればゴミのような術式を使っているにも関わらずだ。

 そしてそんな力を纏ったレイアは言う。


「八尋は休んでいてくれ。ひとまず……一旦終わらせて来る」


 そう言ったレイアは再び超高速で女との距離を詰める。

 それに対し女は刀を抜かなかったが、それでも戦う意思そのものはあるのだろう。明らかに戸惑いながらも鞘に納めたままの刀を鈍器として振るう。


 八尋では十中八九回避不能な鋭い一撃。

 それをレイアは辛うじて……否、必要最低限の動きで回避し、全くロスの無い動きで左拳を女の顎に叩き込んだ。


 鮮やかに入った一撃。

 それにより大きな隙が生まれ……それをレイアは逃さなかった。

 攻撃後に一切の硬直は無く流れるように、僅かに空いた距離を詰めつつ拳を握り、そしてそのまま女の鳩尾に右ストレートを叩き込んで弾き飛ばした。


 殴り飛ばされた女はそのまま地面を何度もバウンドして路地を抜け、姿が見えなくなったが……かなり致命的なダメージは与えられた筈だと確信が持てる。

 それだけの一撃をレイアは放っている……放てている。


(間違いない……レイアの奴、素人じゃねえ)


 仮にその高い出力が才能だけで発揮されている物だとしても、そうして得た高い身体能力は高い身体能力で動く事を前提とした訓練を行わなければまともに使えない。

 特に今の流れるような連撃は偶然で打てるような攻撃ではない。


 つまり……レイアは元々魔術師だ。


 高い戦闘技能も、恐らく魔術の技能も。忘れていただけで何かきっかけがあれば思い出せるような状態で、それが今目覚めた。


(レイアは……本物かもしれねえ)


 殴り飛ばした女を追うレイアの背に視線を向けながら、静かに考える。

 あの性格で、これだけの強さも持って居るのだ。

 記憶が消える前のレイアは、烏丸のような正義のヒーローだったのかもしれない。

 そんな事を考えながら、レイアが戻ってくるのを待つ事にした。

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