第27話 過去の傷、自分から、そして改めてよろしく



『……なんで? どうして私だけ、【魅了チャーム】の力がこんなことになってしまったの?』



 幼いアトリが体験した、辛い過去の記憶。

 それを、星絆スターズ・リンクスを介して目にしていた。



 子供のアトリは、どこかの町の広場にいる。

 何気ない一場面。

 しかし、それが急に悪夢へと変化する。



『あっ、えっ!?――』



 幼い体から、ピンク色をした怪しい霧状の何かが溢れ出す。

 それが周囲の人達を覆うと、様子が一変。

 


『はぁっ、はぁっ……えへ、えへへ』


『えっ――きゃっ! やっ、やめて、こっ、こっちに来ないで!』



 さっきまで普通にしていた人たちが、突如として別人のようになってしまった。

 顔はだらしなくとろけ、異性を見ると獣のように興奮する。

 ほどなく、我を失った人たちの集団が出来上がってしまった。


 無我夢中で逃げたアトリは何とか事なきを得るも、幼い子供心に大きな影を落とすことになってしまう。

 

 アトリ自身の心の内が呟くには、【魅了チャーム】というサキュバス固有の能力が全ての元凶らしい。




『――お、お姉さん、どうしたんですか!? 何がっ、えっ、どうして……』



 場面は切り替わり、別の日の光景が映し出される。

 少し成長したアトリは同じサキュバスの仲間を目の前にして、大きく動揺していた。



『っ! アトリ、あなた、私たちに【魅了チャーム】を仕掛けたの!?』



 女性のサキュバスは息苦しそうにしながら膝をついている。


 自我を奪おうとする何かから必死に抵抗していた。

 しかし、既に一部が敗北してしまっているように、その顔は少し赤らんでいる。



『ちっ、違う! わた、私、違くて――』


 

 アトリは本当に、自分から意図したわけではなかったようだ。

 だがアトリの体からは、ピンク色の霧が出続ている。



『裏切り者っ! 同族を、同性をも魅了して、あなたは何をするつもりよっ!』



 血のつながりはなくても、アトリが実の姉の様に慕っていた相手。

 そのサキュバスにこれほど強く責められ。

 また自分をしかったことがないほど優しい彼女が、全く人が変わったようになってしまった。


 そのことにアトリはとても大きなショックを受ける。


 そして同時に、自分と。

 自分の能力に対する絶望感が芽生えてしまった。




『強く……ならなきゃ。一人ででも、生きていられるように。誰も傍にいなくても、大丈夫なように』



 また時は進む。


 自分の能力、【魅了】が制御できず。

 不意に、無差別に魅了してしまうことが災いした。


 アトリは家族、そしてサキュバスの世界から追われ、一人、孤独の身となる。



『はぁっ、やぁっ!!』

 

 

 自分の身は自分で守れるようにと、アトリは剣をとった。

 初めての戦闘は思いのほか上手くいき、自分に剣の才能があることを自覚する。



『やった! 私、もしかしたら、これからは上手くやっていけるかも……』



 ――だが、そんな小さな希望の光も、直ぐに【魅了】の絶望が飲み込んでしまう。



『やっぱり……ダメだった。また、友達もいなくなった』



 冒険者になり、心を許せるかもと思った同性の仲間ができた。

 それも、彼女が姉と慕ったサキュバスと同様、不意に噴出した【魅了】の霧によって、別人のようになってしまう。



 一緒にはいられないと、別れ、アトリはまた一人に逆戻りとなった。

 


『奴隷か……そうだ、奴隷になれば、私の力、制御してもらえるのかもしれない』 

       


 一人になり、冒険者として生計を立てることも難しくなり。

 我が身を売ることも選択肢に入るようになっていた。


 その時はとてもいい閃き・妙案みょうあんに思えた。

 

 どうせ資金は途切れようとしている。

 奴隷になってこの体質を何とか出来るなら一石二鳥だ、と。



『――クソッ、クソッ! お前、止めろ! その体から出る霧っ! 早くっ!』



 ――しかし、奴隷という案すらもダメだった。



 奴隷商館で購入者が直後、アトリを制御しようと試みる。

 しかし運悪く、アトリの体からは絶え間なく【魅了チャーム】の淫気が出続けた。


 そしてあろうことか、自分を制御してくれるはずの所有者さえも、魅了状態にしてしまった。

 できてしまったのである。


 商館内での出来事だったため、直ぐにアトリは売り物へと戻されることになる。

      


『……不良品、か。奴隷としての価値すらなかったのね、私って』



 魔法による奴隷契約で逆らえないはずの主人に、噛みつく恐れがある。

 自我を奪われ、下剋上を起こされる可能性が存在するのだ。


 そんな物は売る方も下手に売れないし、買う方も躊躇ちゅうちょせざるを得ない。

 こうしてアトリは欠陥品のレッテルを張られ、以降も売れ残り続け、そして今に至った。



□◆□◆ ◇■◇■  ■◇■◇ ◆□◆□



「……!! 大丈夫ですか、ご主人様っ!」



 気が付くと、視界が見慣れた景色へと戻っていた。

 ソルアが心配そうに俺の肩に手を当て、声をかけ続けてくれている。



「……ああ。大丈夫。何ともない」 



 それは体は無事だということのみを意味し、心の方は別だった。



「……アトリ、いいか?」



 ソルアと位置を代わり、浴室内にいるアトリに話しかける。


 アトリの過去、心の傷、トラウマを追体験した形になった。

 彼女がとても優しい心を持ち、人恋しく、だからこそ他者を避けていることを知った。


 もう二度と自分のせいで、親しい人が別人のようになった姿を見たくないから。

 それで傷つくのは、もう嫌だから。  



「…………」



 返答はない。

 だが中で身じろぎするのがわかった。


 反応はしてくれている。


 ……そういえば、俺たちについても気遣ってくれていたんだっけ。



『こんな奴隷としての価値すらない私を、買ってくれた人……。隣の女の子も、凄く綺麗で、とても優しそうだった。――でも、だからこそ、同じ過ちで、この人たちに迷惑をかけたくない』  



 映像が途切れる最後の瞬間、星絆が見せてくれたアトリの心の内だった。

 


「…………」



 一方で中のアトリは籠城を続けて、無言を貫いている。

 

 星絆が教えてくれたアトリの問題。

 それをきっかけにしてすりガラスの扉越しに言葉を尽くし、出て来てくれと説得するのも手だろう。


 だがそれは問題をアトリ次第に、つまり他人任せにしてしまうように感じた。

 勝手にガチャで当てたアトリを召喚して、問題解決の最終的な判断もまたアトリに委ねて――


 ……それは違うだろう。 



「――アトリ。入るぞ」



 他人任せ――つまり運頼り。

 それはもう、ガチャだけで十分だ。



□◆□◆ ◇■◇■  ■◇■◇ ◆□◆□



「……えっ? あっ、ちょっと!」



 一人暮らしが多いアパートの部屋。

 浴室とを隔てるすりガラスの折り戸は鍵がついておらず、簡単に開いてくれた。


 それもまた、俺が自ら進んで、望んで、扉を押し開けるのを待っていてくれたかのように。 



「なっ、何で!? ちょっと、何で開けるのよ!?」



 あれだけ強い拒絶の意思を示した後で、開けられるとは思ってなかったらしい。

 姿を見せたアトリは目に見えて取り乱していた。



「あっ、ダメっ、本当に、ダメだから――」



 辛そうに涙を目に浮かべる。


 その感情に反応してしまったかのように。

 アトリの体からは、ピンク色をした蒸気のようなものが出てきた。



 ――【魅了チャーム】だろう。



 見る間に浴室内は薄い桃色の霧に覆われ、とても甘い匂いが立ち込める。



「うっ、あっ……あぅぅ」


 

 後ろで、淫気にあてられたソルアが、壁によりかかったのが見えた。

 微熱があるように、顔が少し赤くなっている。



 俺の頭の中もモヤモヤで一杯に満たされ、直ぐに思考が制限されるのがわかった。


 女性の、異性の、メスのことしか考えられなくなる。

 

 そして目の前にいる極上の女を、滅茶苦茶にしたい――



「あっ――っ!!」



 アトリがキュッと目をつぶる。

 涙が零れ落ちていた。

 

 俺はそれを――



「――おいおい、大丈夫かよ? 泣くことないでしょう。俺、ボッチで童貞だからって、流石に切羽詰まって襲うようなことはしないって」


 

 ……もちろん、ちゃんと指先で拭いましたけど何か?

 


「……えっ? ほぇっ?」



 うわっ、凄い可愛い声だすのね、君。

 ポカンとしたアトリは、何が起こっているのか全く理解が追い付いていないようだった。


 いや、何も起こっていないことが不思議で仕方ないといった感じか。



「……何で? あなた、どうして無事なの?」



 ようやく出た言葉には、未だにこの状況が信じられないといった響きがとても強く感じられた。


 まるで亡くなってしまったはずの親しい人が、いきなり目の前に姿を現したかのような。



「まぁ……あれだな」


 

 勿体付けるわけじゃないが、俺も今、思考がちゃんと正常に戻ったところだった。

 頭の中にあるモヤモヤが全て、毒素として排除されていく感覚がようやく消えてくれたのだ。



 そう――



 ――【魅了チャーム】という状態異常を起こす原因を、【状態異常耐性】によって耐え、そして排除したのだ。           

  


「俺“魅了”だけじゃなくて。多分、状態異常に対して全般的に、滅茶苦茶強いから。全然大丈夫だったぞ」



 いや~流石は【状態異常耐性】先生!

 スキルレベル上限到達は伊達だてじゃねぇッスわ。


 星絆でかえって【魅了】強化しちゃったっぽいけど、全然大丈夫。


 傷んだ食料を無害化してくれるだけじゃないなんて、有能過ぎッスよ先生。

 耐えられる確信はなかったけど、先生を信じて一歩踏み出して、自分、良かったッス!

   


「……バカッ」


「えっ?」

 


 思考が元に戻ったことを確かめるべく脳内で一人バカな会話をしていると、アトリがポツリと何かをつぶやいた。



「――バカッ! マスターのバカッ!」


 

 今度はハッキリと聞き取れた。

 えっ、ぐすんっ、酷い!


 

「本当に、本当にダメかと思った……マスターが、ソルアが、ダメになっちゃうかと、思った……」 



 緊張が途切れ一気に安心感が押し寄せたかのように、アトリは涙を流していた。

 俺たちの目を気にせず、零れる涙を手の甲でぐいぐいと拭う。


 それは【魅了】の暴走を気にする必要が無くなったのだと、アトリが理解した証でもあった。



「そっか。でも、所有者である俺がおかしくならないんだから。もう今後は大丈夫。ちゃんと俺がその力、制御するから」



 映像で見た、所有者になろうとした男とは違うのだということを示す。

 奴隷契約により購入・召喚した奴隷に、主人は言うことを聞かせる力が与えられている。


 そして俺はその力を行使して制御する前に、【魅了】によって狂わされることもなかったのだ。



「――アトリ。私も、これから、よろしくお願いしますね。一緒にご主人様にお仕えして、お守りしましょう」



 なので、アトリは今後、暴走に怯えて俺以外の他者と距離を置く必要もない。

 それはつまり、ソルアと友好・親交を深めることができるという意味でもある。



「あっ――ぐすっ……。う、うん。その、よろしくね?」



 アトリの目からは涙が消え、代わりに笑顔を見せた。

 はにかみながらソルアと握手する様子は、アトリ本来の魅力を映し出すかのように輝いていたのだった。


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