episode26「Mad Bad Circus Time」
チリーの強さは、まさに一騎当千、と言ったところだった。
普通の人間に過ぎないゲルビア兵が、束になってかかっていっても相手にならない。数で勝っていても囲むことすらままならないのだ。動きの速すぎるエリクシアンは、訓練された兵でも捕らえることは難しい。
戦えるゲルビア兵達の数は、凄まじい勢いで減少していく。数分程度で半分程度まで減少し、ゲルビア兵達は撤退を視野に入れ始めた。
このまま全員叩きのめし、ミラル達の元へ合流しよう。そう考えたチリーだったが、ゲルビア兵達の向こうから異様な気配を察して目つきを変える。
(エリクシアン……!)
ミラル達とは早めに合流したかったが、エリクシアンが現れたとなれば無視して突破することは難しいだろう。
「これはこれは……ルベルさんじゃあありませんか」
こちらへ歩いてきた男はかなり体格の良い男だった。
チリーより頭二つ分は大きいだろう。見上げるような大きさだ。
全身が分厚く、骨格レベルの太さが見て取れる。顔は長方形に近い角ばった顔立ちで、柔和そうなタレ目がにこやかにチリーを見据えていた。
かなり威圧感のある男だったが、それとは別の不気味な気配を漂わせていることにチリーは気づく。
どこか薄気味悪さを感じ、チリーは本能的に警戒を強めた。
「僕はこの部隊の隊長を務めるマーカス・シンプソンと言います。あなたも、少し自己紹介してもら――――」
言いかけたマーカスの身体に、魔力の熱線が直撃する。
マーカスと会話をするつもりは、チリーには一切なかった。油断している姿を見せた隙に、魔力を叩き込んでひとまず黙らせる算段だ。
当然不意打ちだったようで、マーカスは驚愕で顔を歪めつつ熱線をそのまま受け、ふっ飛ばされて倒れ込んだ。
マーカスは間違いなくエリクシアンだ。それもあの体格である。今の一撃で完全に沈むハズがない。すぐにチリーは倒れたマーカスへ追撃をしかけようとしたが、ふと異変に気づく。
「なんだこれは……ッ!?」
チリーの周辺一帯が、濃いピンク色の霧に包まれているのだ。咄嗟に口元を抑えたが、僅かではあるものの既に吸い込んでしまっている。
チリーの内側に、不快で重たい魔力が流れ込んでいく。
「そ、そんな……隊長! まだここには我々がッ……!」
霧の中から、ゲルビア兵達の悲鳴が聞こえてくる。濃い霧のせいで周囲の状態はよく見えず、チリーは目を凝らした。
「酷いですよ。僕がまだ喋っていたのに……名乗りもしないで攻撃だなんて」
霧の中から、ゆっくりと歩いてくる影がある。マーカス・シンプソンだ。大柄な身体で悠然と、マーカスはチリーの元へ歩み寄ってくる。
(霧の原因は……こいつか!)
歩いてくるマーカスの身体は、周囲の霧と同じものを纏っていた。そしてチリーの周囲の霧が薄れると同時に、理解し難い光景を目にした。
(なに……!?)
そこにあったのは、脱ぎ捨てられた衣類と鎧だった。それも一つではない、いくつも転がっている。
鎧の中から、小さなネズミが這い出してくる。どこか困惑した様子のそのネズミは、怯えるようにして鎧の中へと逃げ込んでいった。
他には、頭に兜を乗せた鹿や、だぶだぶの衣服と鎧を身体に引っ掛けた猿、似たような状態の犬や猫、羊、牛や豚等、様々な動物がその場をうろついていた。
(何が起こってやがる……!?)
「霧を吸わないように口元を抑えている……とても良い判断です。賢い方です。不意打ちをする胆力もあります。……素敵な方だぁ」
品定めするようにチリーを見つめたあと、マーカスは恍惚とした表情を浮かべる。それと同時に、チリーは自分の身体に異変を感じた。
「なッ……!」
メキメキと厭な音を立てながら、チリーの足が変形していくのが見えた。手足が縮んでいき、全身をびっしりと真っ白な毛が覆い尽くす。
不快な感覚が顔中に張り付き、押し込まれるような、内側から引っ張られるような感覚を伴って、頭部が形ごと変形していく。
(クソッ……わずかに吸った時点でッ……!)
二本の足で立っていられなくなり、チリーは縮んだ身体で地面に”前足”をついた。服の中に身体が埋もれ、チリーの視界は遮られた。
「賢い子は……大好きなんです。かわいがってさしあげますよォ」
二本の白く長い耳が、チリーの服の中からピンと立ち上がった。
「”
チリーの身体は、一匹の小さなうさぎへと完全に変化してしまっていた。
***
エトラがシアについて調べた時、彼女の所有物として記載されていた
「アッ……アッ……アソビ……マショ……」
カタカタと音を立てて、エリザの口から声が発せられる。人間の少女と変わらない見た目の人形が、規則的に顎を上下させて人形然とした動きを見せるのはひどく不気味な姿だった。声もシアのものではない。エリザから直接発せられたものだ。
エリザの身体から伸びる糸は、わずかな光を帯びながらシアの指に繋がっている。
「ウヌム族の血には、わずかに魔力が残っている……だから動かせるんだね? そうだね?」
シアは答えない。ただ黙ったまま、両手を交差させた状態で後ろからエリザをジッと見つめている。
「……頼んだわよ、エリザ」
シアが呟いた瞬間、エリザが高速でエトラとの距離を詰める。それと同時に、エリザの右腕が関節とは逆方向に折りたたまれた。
「ッ……!」
折りたたまれた肘の中から飛び出したのは、無数の鋭い刃を持つノコギリだ。ソレが、自動で前後している。
エリザが振り回すノコギリを、エトラは素早く回避する。しかしエリザは、どういうわけかエリクシアンの動きに対応していた。
「アソボッ……アソボッ……アッ……アッ……」
美しく見えていたエリザの顔が、おどろおどろしい何かに見えてくる。見開かれた眼球がギョロギョロと動き、上下する顎が無機質な音を立て続ける。
エリザの動きは速い。ミラルを抱えたままでは、回避し続けるのは難しいだろう。
即座に、エトラはミラルを盾にする。仮面の裏でほくそ笑むエトラだったが、シアは動じる様子がなく、エリザも全く動きを止めなかった。
「人質はどうでもいいんだね? シア・ホリミオン?」
しかしシアは、動揺するどころかミラルの首筋目掛けてエリザのノコギリを振り上げたのだ。これには流石に驚愕し、エトラはミラルを突き飛ばしながらノコギリを回避する。
ミラルがエトラから離れた瞬間、今までエリザに任せていたシアが駆け出す。そして素早くミラルの元へ辿り着くと、彼女を庇うようにして立ち、ニヤリと笑みを浮かべた。
「はい、賭けはアンタの負け」
「チッ……」
「手配書には生け捕りにするように書いてあったし、アンタも殺さずに連れて帰ろうとしてたじゃない? だったら、一番まずいのはこの子が死ぬこと」
エトラは、シアの豪胆さに驚嘆する。
シアは、エトラがミラルを絶対に殺さないと高をくくったのだ。だからこそ、エリザで強引に攻めて、ミラルに危険が及べば、エトラは彼女の命を優先する。生きたまま連れて変えるのが彼の任務だからだ。
だからと言って、普通はそこまで度胸のある賭けには出られない。この状況で当たり前のように助けるべき相手の命をベットするこの女は、まともではない。
「ここまでは褒めてあげるね? でも、まさかこの後逃げ切れるだなんて思ってないよね? シア・ホリミオン?」
「はぁ? アンタ、あたしが逃げると思ってんの? ざけんじゃないわよ。こっちゃ腸煮えくり返るくらいムカついてんのよ!」
そのまま、エリザはエトラ目掛けて駆けていく。
「……少し厄介だね?」
ノコギリを避けながら、エトラは右手から魔力のロープを伸ばす。そして近くの大木に巻きつけると、そのままロープを一気に縮めた。
縮むロープの勢いで大木の枝の上に上り、エトラはエリザの様子を伺う。どうやら、簡単に勝てる相手ではないらしかった。
「イカナイデ……イカナイデ……サミシイ、ヨ」
エリザは顎を鳴らしながら高速で大木へ接近すると、そのノコギリを大木目掛けて薙いだ。
鋭い刃が幹にめり込み、ノコギリはそのまま高速で前後する。木片を散らしながら大木を切り倒そうとするエリザを見て、エトラは思わず息を呑んだ。
「だが所詮は操り人形だね? そうだね? シア・ホリミオン?」
エトラの左手から、魔力のロープが伸びる。その瞬間、エリザはノコギリを大木から引き抜き、ロープ目掛けて跳躍する。そしてそのノコギリで、エトラのロープを切り落とした。
「ただのノコギリじゃあないねッ!? そうだねッ!?」
驚愕しつつも、エトラは次の手を打っていた。
今度は左手のロープが、シア……正確には、シアとエリザを繋いでいる糸へと向かっていた。
何本もの糸が、ロープによってまとめ上げられる。それを力強く引き寄せ、エトラはシアによるエリザのコントロールを妨害しようと試みる。
エリザは強力だが、所詮は糸で操られた人形に過ぎない。操り手がいなければ、ただの人形なのだ。
「あ、ちょっとバカ! 何すんのよ!」
シアの指に張り付いていたエリザの糸が、離れていく。その結果、エトラの目論見通り、エリザの動きがピタリと止まった。
「楽しい人形遊びだったね? シア・ホリミオンッ!?」
「あーあ……知らないわよ」
エリザが止まればこちらのものだ。そう判断して、エトラは大木から、シア目掛けて跳び上がる。
しかし次の瞬間、エトラは信じられないものを見た。
「ムシシナイデッ……アソンデ、アソン……デ……」
「え――――?」
エトラの眼前に、エリザがいたのだ。
一瞬頭が真っ白になりかけ、エトラはシアの指を確認する。その指に糸はない。エリザは今、誰にも操られていないハズだ。
しかしエリザは、空中でそのままエトラに組み付いた。
「うおおおおおおおおッ!?」
組み付いてきたエリザのノコギリが、エトラの背中を高速で切り刻む。いくらエリクシアンの身体が丈夫でも、痛みがないわけではない。何度も何度も切り刻まれれば、絶叫する程の苦痛になる。
「あたしはエリザを動かしてるんじゃないわよ。”制御してる”だけ」
この人形は、使用者の魔力に反応して”動き始める”のだ。糸はあくまでエリザの制御装置に過ぎず、エリザ自体は”自律行動する殺人人形”であり、からくり人形ではない。
「ぐッ……ッ!!」
激痛に抗い、エトラはエリザの拘束から逃れようともがく。しかしエリザはエトラの身体にピッタリとはりつき、決して離れはしなかった。既にノコギリの刃は骨まで達している。骨に刃がめり込む厭な音が響いていた。
地面に落ちて、エトラはエリザに上から覆いかぶさられるような態勢になる。返り血にまみれた美しい人形が、顎を上下させながらエトラを見下ろしていた。
今までせわしなく動いていた目が、今はピタリと動きを止めてエトラだけを見ている。
「ダイスキッテイッテヨ……ズット、イッショニ……」
「ひ、あ……うわーーーーーッ!?」
パカリと開いたエリザの口から、太い針が伸びてくる。ソレがエトラの首筋に突き刺さり、そのまま凄まじい勢いで血液を吸い始めた。
エリザの動力源は魔力だ。しかしそれは、必ずしもシアのものである必要はない。
魔力の流れる血液。即ち、エリクシアンの血液を吸い取れば、それはエリザの動力源として十分以上の働きをする。
「……はい、やめ! やめろ!」
ある程度血を吸ったところで、シアは強引に後ろからエリザを掴む。すると、エリザはぐるりと頭だけを回転させてシアを見た。
「アソンデ……」
「嫌よ。もう十分でしょ。遊びは終わり」
シアが近づくと、エリザの糸は吸い込まれるようにしてシアの指に張り付いていた。再び制御されたエリザは、シアの指の動きに従ってエトラから離れていく。
普通の人間ならとっくの昔に死んでいるだろう。エトラは無惨な姿に成り果て、意識を失ってピクピクと痙攣を繰り返していた。
エリザは、シアの動きに抗おうとしている。これが始まると、もうまともに制御出来ない。
小指を五回、次に人差し指を一回、最後に親指を一回曲げる。この手順を左右の手で行う。これがエリザを沈めるための手順だ。エリザはノコギリを収め、目と口を閉じると眠るようにその場に倒れた。
「はぁ……疲れた。毎回思うけど二度とこいつ使いたくないわね」
エリザは再び折りたたまれ、木箱の中にそっと片付けられた。
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