episode9「A New Dawn Begins」

 ミラルとチリーが居間に戻ると、そこには新たな来訪者の姿があった。


 ローブを着込んでいるその男は、どうも見覚えのある顔立ちをしている。チリーはキョトンとしているだけだったが、ミラルは段々その人物が誰なのか理解し始めて震え出した。


「ど、どうしてここに……いらっしゃるんです……!?」


 震えるミラルに男は、甘いマスクで優しく微笑んで見せる。


「あ、どうも。今回の騒動について話しておかなければならないと思ったのでね」


 男の名はクリフ・レヴィン。

 この国の王子であり、あのランドルフの弟である。

 そんな大物が来客していると言うのに、ラウラは平然と座っており、ラズリルに至っては鼻歌混じりにお茶とお菓子を持ってくる始末だ。


「二人の分も用意してあるからね。座って食べたまえ」


 ニコニコとそう言って、ラズリルはテーブルの上にお茶とお菓子を並べ始める。


「いやあ、実は殿下とラウラくん、そしてラズは知り合いでね~」

「は?」


 軽い調子のラズリルに、チリーは眉をひそめた。


「ラウラくんとふらふら彷徨ってこの国に来た時、偶然ラズ達を救ってくれたのがこのクリフ殿下だったんだよね」

「そーゆーことは先に言えッ!」

「聞かれてなかったからね……わりと素で言い忘れていた」


 なるほどそういうことか、と黙ってミラルは納得する。


 何かおかしいとは思ったのだ。王宮の潜入調査で、いとも容易くミラルとラズリルがメイドとして雇ってもらえたのは。

 一部のクリフの側近とコネがあるのなら、王宮にメイドとして潜入する手配がスムーズだったのも理解出来る。そして完全に外部の人間である青蘭の行動は、ラズリルには全く読めなかったのだろう。


「まあ、この辺りのことはクリフ殿下の側近くらいしか知らないからね」

「この度は本当にすまなかった。私の側近が兄上の拷問に耐えられず、ラウラさんの居場所を話してしまったことが原因のようだ」


 地下牢にあった血の痕も、一部は恐らくその拷問の痕なのだろう。

 あれだけの血が流れるような拷問は、想像するだけでも身の毛がよだつようなものだ。

 まざまざと脳裏に蘇った地下室の光景をなんとか押しやって、ミラルはクリフの話に耳を傾ける。


「兄上を警戒してラウラさんを城内で匿わなかったのが、今回裏目に出て対応が遅れてしまった。本当に申し訳ない」


 そう言って、クリフは立ち上がるとまっすぐに全員へ頭を下げる。


 城内で匿えば、いずれランドルフに気づかれる。それを避けるためにスラムに隠れていたラウラ達だったが、情報が漏れ、クリフのいない間に計画を実行されたことで今回の事態に陥った。


 しかし全てはランドルフの凶行によって招かれた事態だ。この場にいる誰も、クリフに責任があるなどとは思っていない。


「顔を上げてください殿下。ラズがいながらラウラくんを守りきれなかったことが原因です」

「全く持ってその通りだと思うぞ俺は」

「チリーくんってラズにちょっと冷たいよね?」


 腕を組んでうなずくチリーに、ラズリルは冗談めかしてそんなことを言い返す。


「兄上は現在取調べ中だ。彼には父上も私も困り果てていたところでね……恐らくただではすまないだろう。少なくとも今の地位ではいられない」


 クリフの話によれば、ランドルフが今回実行しようとした計画に関する証拠は既にいくつか出ているらしい。罪を逃れるためにランドルフ側から離反した者も多数おり、最早ランドルフの失脚は免れない状況だと言う。


「……それよりアンタ、青蘭について聞かせてくれ」


 クリフがランドルフについて話終わると、チリーは不遜な態度でそんなことを言う。ギョッとした顔で見るミラル達だったが、クリフの方は大して気にしている風もなかった。


「彼の来訪は突然だった。外交から帰る馬車の前にいきなり現れて、私の元に来ると兄上に関することを全て話して消えた」


 目にも留まらぬスピードで去っていく青蘭を見て、クリフも部下達もすぐに彼がエリクシアンだと察したという。


「正直、彼の目的は私にはよくわからなかった。結果的に私は救われる形になったが、薄気味悪いよ」

「あいつはそもそもラウラにしか興味がなかったみたいだぜ」

「では何故、兄上をわざわざ陥れるような真似を? まさか本当にこの国を案じていたわけではあるまい」

「……さあな」


 青蘭の真意は、チリーにもはっきりとはわからなかった。


 全てのエリクシアンを殺す。そのための手段は選ばない。だからラウラも殺す。だが、それ以外の手段については別なのかも知れない。青蘭なりに、ランドルフのやり方には思うところがあったのだろうか。


「……チリー、青蘭さんってどんな人だったの?」

「昨晩の様子を見ての通りだ。陰気で話がしつこい」

「昔からあんな感じだったの……?」


 あの様子の人間と旅をするのは気が滅入るだろう。そう思ってミラルが微妙な顔をしていると、チリーが首を左右に振った。


「……いや、少なくとも何かを解決するために誰かを殺そうとか、囮にしようなんて考え方の奴ではなかったな」


 そう言ったチリーの瞳が、微かに寂しげな色を見せた。


「城の崩れた場所は撤去と修復を行っているが、彼の遺体は見つかっていない」

「俺がこうしてピンピンしてるくれーだからな。死んじゃいねえだろ」


 昨夜の出来事で、青蘭はミラルの聖杯に勘付いている可能性もある。生きているのであれば、賢者の石を探す過程でもう一度会うことになるだろう。道はわずかにズレているが、歩いている方向はほとんど変わらないのだから。


「そういえばお二人さん、これからどうするつもりだい?」


 話の切れ目をうかがって、ラズリルがお茶を飲みながら問う。


「俺の目的は変わんねえよ。結局振り出しに戻っちまったからな……。一度テイテス王国へ向かうつもりだ」

「テイテス王国に?」


 問い返したのはクリフだ。


「賢者の石の手がかりと……あとこいつをある程度すっきりさせてやらねえとな」


 そう言ってチリーが視線を向けたのはミラルだ。


 ミラルがテイテス王家の血筋で、聖杯の継承者であるなら、避けては通れない場所だ。一度状況をきちんと洗い直す必要がある。


「あそこは今どうなってる?」

「少しずつだけど復興が進んでいるよ。当時の生き残りも、わずかだが残っている。王族の関係者もね」


 クリフは立場上、父に付き添って国外へ外交へ向かうこともある。テイテス王国へは何度か訪れたことがあり、現在は外交が出来るくらいには復興しつつあるようだ。

 テイテス王国は現在、隣国であり友好国であるアギエナ国がゲルビア帝国との間を取り持っている状態だ。もしランドルフがゲルビア帝国に反旗を翻していたら、テイテス王国も復興どころではなくなっていただろう。


「なら、ヘルテュラシティに寄るといい。北の国境の町だ。あそこにはヴァレンタイン公爵がいる。私から手紙を送っておこう」

「え、いいんですか?」


 驚くミラルに、クリフはああ、と笑顔で答える。


「君達の話はラウラさんから聞いている。立場上堂々とは出来ないが、微力ながらこっそりと支援しよう」

「ありがとうございます……!」

「もしまだ賢者の石が現存しているのなら、ゲルビア帝国の手にだけは渡ってはいけない。だから君達が破壊してくれるのなら……それが世界にとって最も良いハズだ」


 ゲルビア帝国と友好的な関係を築いている以上、アギエナ国としては大々的にゲルビア帝国と反発するわけにはいかない。しかしやはり、これ以上ゲルビア帝国が大きな力を持つことは危険だという考えはクリフも同じなのだ。


「ヴァレンタイン公爵はきっと君達の旅を手助けしてくれるだろう」


 言いつつ、クリフはミラルにそっと革袋を渡す。そのずっしりとした重みの理由に気づいて、ミラルは慌てて突き返した。


「そ、そんな! いただけません!」

「私のポケットマネーだよ。国の金とは関係ない」

「そ、そういうことじゃなくてですね……!」

「もらっとけよ。ありがとな」


 あたふたするミラルとは対象的に、チリーの方は平然とミラルの持っている革袋を取り上げる。


「ありがとな、じゃないわよ! アンタはちゃんと殿下を敬いなさいよ!」

「……結果的に兄上の計画を止めた上に、ラウラさんの命を救ってくれたことを感謝する」


 真剣な眼差しでそう告げるクリフだったが、チリーは静かにかぶりを振った。


「別にそういうつもりでやったわけじゃねえよ……まあ、礼はありがたく受け取るけどな」

「よっ、アギエナの英雄!」

「うっせーぞ詐欺師」

「せめて手品師と呼びたまえ」


 チリーにとっては最初こそ不愉快だったラズリルの軽口も、今はそれ程悪くもない。目を合わせて互いに微笑み合う姿からは、以前の剣呑な雰囲気は全く感じられなかった。



***



「あの、ラズリルさん!」


 お忍びで来ていたクリフが少し慌てて城に戻った後、ミラルは自室で武器の手入れをしているラズリルの元を訪れる。


「はいはーい? あ、話するのはいいけどラズの手元はあんま見ないでね。これ手品のタネだから」


 おどけた口調のラズリルだったが、ミラルの方は真剣に頷いてラズリルの手元から目をそらした。


「私に……戦い方を教えてください」

「おお……?」

「私、今回みたいに助けられるだけになりたくないんです。これから先もチリーと旅をするために、チリーにばかり負担をかけたくないんです」


 お願いします! とミラルはきっちりとしたお辞儀をして見せる。その角度の美しさたるや、思わずラズリルが今後の参考にしようとまじまじと眺めてしまう程だ。


「ふっふっふ、このラズに教えを請うとは……面白いじゃないか。面白いね、え? ほんとに? なんでラズに?」

「……チリーがそういうのはラズリルさんに聞けって……」

「あ~……」


 なんとなく、ラズリルにはチリーとミラルのやり取りが想像出来てしまう。


「あの鈍感バカ野郎め。全然わからん奴だね」

「……?」

「いや、今のは忘れたまえ。よし、いいだろう。ラズリル先生がなるべく丁寧に教えてやるぜ~!」


 ラズリルが快諾すると、ミラルは一気に表情を明るくさせる。その様子が妙に愛らしくて、ラズリルは目を細めた。


「ただし、一つデメリットがあるよ」

「デメリット……ですか?」

「うむ……ラズから技を習うとな……ちょっとやることがズルくなる」

「うっ……」


 それは確かに、ミラルの性格的には少し抵抗があった。しかし、そんなことは言っていられない。やや躊躇いそうになる思いを振り切って、ミラルは改めてラズリルに頭を下げる。


「私はエリクシアンじゃないし、今まで鍛えていたわけでもない、ただの”お嬢さん”なんです」

「うん、そうだね」

「だから、今すぐ使えるものはズルくても欲しいんです。力がすぐには手に入れられない以上、私は知恵が欲しいんです」


 ラズリルのように隠密行動が出来れば、相手の不意をついて撃退することが出来れば、きっとそれだけでも今とは状況が大きく変わるだろう。


「OKわかった。我が弟子よ。まず一番最初に教えてやるぜ!」

「はい! なんでしょうか!」

「敬語やめて~~なんかかゆい~~」

「が、頑張ります……」


 いきなり敬語で返してしまう、生真面目過ぎるミラルであった。



***



 旅の準備が整ったチリーとミラルは、すぐにフェキタスを出発することに決めた。


 ラウラは王宮で保護されることになり、ひとまずラズリルはミラルの師匠をやりながらヘルテュラシティまでは同行することになった。


 ラウラを王宮まで送ってから出発することにした四人は、王宮の前で互いに別れの言葉を告げる。


「さてと、色々世話ンなったな。クリフにも改めて礼言っといてくれ」

「ええ、伝えておくわ」


 平気で殿下を呼び捨てにするチリーに深くはつっこまず、ラウラはミラルの方へ向き直る。


「ミラルちゃん……あなたにはもしかしたら、過酷な運命が待っているかも知れない。どうか……負けないで」


 ミラルの体内にある聖杯は、下手をすれば世界を震撼させる程の事態を起こしかねない。長らく制御不能とされてきた賢者の石を制御する器。力を求めるゲルビア帝国なら、死物狂いで手に入れようとするかも知れない。


「……はい! 負けません!」


 それでもミラルは、その運命と戦うと決めた。


 賢者の石は絶対に悪用させたくない。テイテス王国のような悲劇を、絶対に繰り返させたくない。


「それじゃあラウラくん、また会おう。寂しくなるから毎日手紙送っていい?」

「ダメよ。送り返せないから」

「ふふ、それなら書き溜めてラズが帰ってから見せてくれるといい」

「考えておくわ」


 ラズリルとラウラの会話を聞きながら、ミラルは心の内で再び決意を固める。


(どんな運命が待っていたとしても、私は負けない。戦ってみせる……チリーと一緒に)


 これはきっとまだ、始まりに過ぎない。

 この先に続く旅路に思いを馳せながら、ミラルは強く拳を握りしめた。

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