The Legend Of Re:d Stone

おしく

Season1「The Long Night is Over」

episode1「The Long Night is Over」

 飛んでいる鳥を追っているようなつもりだった。


 夕暮れに飛ぶ鳥を追いかけて、どこにもたどり着かずに終わるような、そんな旅のつもりだった。

 どこまでも広がる赤い地平線の向こうへ溶けていく鳥に追い縋り、いつまでも走り続けようと、そう思った。


 それが全てで、本当は鳥なんてどうでも良かった。

 掴みたいわけじゃない。掴もうとする過程だけが欲しかった。


 鳥を掴めば血に汚れ。

 赤い地平線は堕ちていく。


 結末なんていらなかった。


 赤く美しい宝石のような過程を、深く昏い結末が染めていく。


 そのグラデーションの中から、まだ出られない。




***



 少女、ミラルは追われていた。

 暗く寂れた街道の中を明かりも持たずに、息も絶え絶えになりながら走り続けている。


 年の頃は十五か十六くらいだろうか。

 亜麻色のロングヘアを振り乱しながら、ミラルはもつれそうになる足をどうにか前へ前へと動かし続ける。


 この先には小さいが町がある。そこにたどり着けさえすれば、なんとか匿ってもらえるかも知れない。


 まとわりつくような闇を振り払って、少女は街道を駆け抜けた。

 程なくして、ミラルはペルディーンの町へたどり着く。


 夜はかなり更けている。明かりのついている家は見当たらなかったが、住民を起こすことになってでも匿ってもらう他ない。

 ミラルは目についた家の玄関に飛びつくと、必死でドアを叩いた。


「すみません! 開けて下さい! お願いします!」


 半ば悲鳴に近い声で叫ぶと、ドアはすぐに開かれる。

 中から現れたのは初老の夫婦だ。二人はミラルを見て顔を見合わせると、すぐに彼女を中に引き入れた。



 夫婦はミラルを中に入れると、すぐに居間へ通し、ランタンに火をつけると椅子に座らせる。


「……ありがとうございます。こんな時間に……」


 申し訳無さそうにミラルが頭を下げると、老夫婦は首を左右に振って微笑んで見せた。


「こんな時間に女の子の声がするものだから、驚いたよ。一体何が?」

「えっと……」


 ミラルは、うまく言い出せずに口ごもる。そんなミラルの様子を眺めて、老夫婦は訝しんだ。

 ミラルの姿は、どこからどう見てもただの”お嬢さん”なのだ。

 亜麻色のストレートロングヘアはハーフアップにまとめられ、フリルのついたオレンジ色のワンピースは明らかに質の良い生地が使われている。やや強気そうな顔立ちはしているが、まだあどけない。少女の顔だ。

 おまけに、荷物らしきものはほとんど持っていない。この格好で逃げてきた少女など、間違いなく厄介事の運び人だ。


 老夫婦の怪訝な顔が、ランタンの明かりでよく見える。ミラルはすぐに立ち上がった。


「ごめんなさい、やっぱり……」


 しかし夫の方は、立ち去ろうとするミラルの肩を掴む。


「事情があるなら話さなくていい。今夜は泊まっていきなさい」

「こんな夜中に女の子を追い出せないわ」

「ありがとうございます……」


 老夫婦の厚意に甘え、ミラルは今夜だけここに泊めてもらうことに決める。

 老夫婦には既に別の町へ嫁いでしまった娘がおり、ミラルは空き部屋になった娘の部屋を借してもらうことになった。


 部屋に入ると、一気に全身を疲労感が包み込む。

 耐えきれず、ミラルはそのままベッドへうつ伏せに倒れ込んだ。


「どうして……こんなことに……」


 ミラル・ペリドットは、ただの田舎町の商家の娘だ。

 本来、何者かにこうして追われる理由などない。

 町の中では裕福な部類だったが、それでも大陸の隅にあるような小さな町の商家だ。まさかこのアルモニア大陸の大半を国土とする大帝国、ゲルビア帝国の軍服を着た男達がわざわざ家に来るだなんてことは予想すらしなかったことである。


 父となにやら話していたようだが、ミラルにはほとんどわからなかった。ただ、話し終えたあと突然父にこう言われたのだ。


 ラウラ・クレインに会え、と。


 ペリドット家が襲撃を受けたのは、その直後だった。

 家族があの後どうなったのか、ミラルは知らない。

 父に逃され、必死で走り続けてようやくここにたどり着いたのだ。


 追手がいたということは、もう…………。


「……そうだ!」


 嫌な想像を振り払い、右手で涙を拭ってミラルは懐から取り出した革袋を開ける。父、アルド・ペリドットがミラルを送り出す時に押し付けるようにして渡してきたものだ。


 中に入っていたのは、一枚の折りたたまれた羊皮紙とピンクの宝石の嵌められたブローチだった。


「これは……」


 ブローチは相当上質なものだ。ミラルでも一目見ればわかる。こんなものがペリドット家にあったなんて思いもしなかった。

 これを売ってなんとかしのげ、という意味にも思えたが、このレベルのものだと換金するのにもそれなりの手間がかかる。

 わからないことは増えるばかりだ。


 一体何が起こっているのか、ラウラ・クレインとは誰なのか。このブローチは何なのか。


 せめてこの羊皮紙の中にヒントがあれば……。そう思い、ミラルはたたまれている羊皮紙を開こうとする。


 ……が、そこでドアが開いた。


「おじさん……おばさん……?」


 夫が斧を、妻が包丁を。


「大丈夫。殺しはしないよ。頼まれているんだ……大人しくしていてくれ」


 状況を理解した時には、ミラルはブローチと羊皮紙を握りしめ、強引に夫の方をタックルで押し倒していた。

 なけなしの精神力を振り絞った決断なのか、それとも限界時に表出した生存本能がなせる業なのか。明確な打算があったわけではない。ただ、退路がない以上は前進を選ぶしかなかったのだ。


 刃物を持ったことで油断していたのか、倒れる夫に巻き込まれるようにして妻もよろめく。ミラルは強引に妻の方を張り倒し、その場から逃げ出した。

 考えてみれば、不審な少女を平然と受け入れた時点で、何かがおかしいとミラルの方が気づくべきだったのだ。


 家の外に出ると、松明を持った町人達がキョロキョロと何かを探していた。


 この町は既に、ミラルの敵だった。


「いたぞ! 茶髪の娘だ!」


 家から出たところをすぐに発見され、一斉に視線がミラルへ集中する。

 後はもう、再び無我夢中で逃げ続けるしかなかった。



***



 町外れの森まで逃げ込めれば、ある程度町人達の目を欺けるようになる。

 この場合一番怖いのは森の獣達だが、それは町人達にとっても同じだ。


 松明を持った町人達が足音を立てながらミラルを探し回れば、獣達の注意はそちらへ向く。後は熊や猪に出くわさないことを祈りながら、どこか身を潜められる場所に逃げるだけだ。


 もっとも、夜更けの森にそんな場所は恐らくないのだが。


 革袋を置いてきてしまったため、ミラルは握りしめていたブローチと羊皮紙を懐に収めた。


 ミラルの身体は既に、ここへ来るまでの間に疲労し切っている。これ以上走り回るような体力はない。それでも今は、足を引きずってでも逃げるしかなかった。


 暗闇にいる時間が長かったおかげで、目は闇に慣れている。

 追手の足音と声に怯えながらも、ミラルはどうにか歩を進めていく。


 そのままどれくらい時間が経っただろうか。

 もうこれ以上は歩けない、と思ったタイミングで、闇夜よりも少し深い黒色がぽっかりと口を開けていることに気づいた。


 それは岩で出来た洞窟だった。


 中に逃げ込もうかと思ったが、すぐにそれは危険なことだと気づく。森の中のこういう場所は相当な確率で獣の巣穴だ。猟が趣味の父が何度も話していたせいでよく覚えている。

 入り口付近は草木が生い茂っており、踏み倒された形跡もない。まだ冬眠の季節ではないことを考えると、獣の巣穴ではない可能性もなくはない。だが軽率に中に入って獣の餌になるのは御免だった。


 それに、死ねば父に逃された意味がなくなる。それだけは嫌だった。

 必ず生き延びると決意して、この場を離れようとミラルは足を動かし始める。

 しかしその瞬間、突如心臓が脈打った。


(今の……何?)


 驚いて声を上げそうになったのを必死で抑え、ミラルは自然と洞窟へ目を向ける。

 はっきりとした理由はわからなかったが、洞窟の奥へ目を向けていると心臓の鼓動が早くなる。どくどくと脈打って、何かを感じ取っている。

 それが何なのか、ミラルには全くわからない。それなのに、身体は知っているかのようにミラルを急かす。


(中に……何があるの?)


 不思議と、その鼓動が警告だとは感じなかった。

 直感めいた恐怖ではない……共鳴のようなものだ。


「クソ! かなり奥まで逃げられたか!」


 そんなことを考えている内に、後方から男の声が聞こえてくる。追手だ。

 洞窟の中か、それともこの森の更に奥か。

 気がつけばミラルの足は、自然と洞窟の中へと歩を進めていた。



***



 洞窟の中は深い暗闇だった。

 かなり大きな岩の中なのか、上を見上げても天井が見えない。

 獣の気配は不思議となく、蝙蝠こうもりの羽ばたきさえ聞こえなかった。


 鼓動は高鳴り続けている。

 奥へ進めと脈打っている。


 歩き続けていると、奥の方で薄っすらと光が見えた。

 月光の差し込む場所があるなら、そこで一晩明かせるかも知れない。そう思いながら歩を進めて、ミラルはその先の光景に息を呑んだ。


「あっ……」


 思わず声が出る。

 鼓動は、いつの間にか止んでいた。


「人……?」


 そこにいたのは、岩の壁に打ち付けられた鎖に両手を繋がれた一人の少年だった。

 かなり乱れてはいるが、月明かりを反射させるプラチナブロンドは背中に達する程長い。右目は長い前髪で隠れている。

 引き締まった身体つきだが、背格好はミラルより少し大きい程度だ。年もそう違わないだろう。擦り切れた麻のズボン以外は何も身につけておらず、少年はただうなだれていた。


 しかしミラルの気配に気づいたのか、少年はわずかに顔を上げる。

 透き通るような赤い双眸がミラルへ向けられる。

 その一連の所作から、ミラルは目を離せない。


 月光の差し込むこの場所のせいなのか、それとも少年がどこか浮世離れした姿をしているせいなのか。


 とくんと。先程までとは別の鼓動が聞こえる気がした。


「……あの……」


 恐る恐る声をかけると、その赤い瞳は、一気に見開かれた。


「ッ……お前は……!?」

「え、何……!?」

「あれからどれくらい経った!? 何で生きてる!? 無事なのか!?」


 一気にまくし立ててくる少年に、ミラルは何も言葉を返せない。

 洞窟の中で響くような大声だ。ここから漏れれば隠れた意味がなくなってしまう。


「ん? お前……」


 ミラルが困惑している内に、少年は一人で何かに気づいて顔をしかめた。


「誰だ。何でこんなところにいる?」


 聞きたいのはミラルの方だった。


「……紛らわしい顔しやがって。さっさと帰れ」


 どこか吐き捨てるようにのたまう少年に、ミラルは一度思考が停止する。

 そのまま数秒のがあった後、ミラルの中で沸々と感情が湧き上がってきた。


 勝手にまくし立てたかと思えば紛らわしいだの帰れだの。ミラルの事情も知らないで言うだけ言ってこの態度である。こちらは生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。ただでさえ状況を飲み込めていないのに、情報だけ増やしてキレられればミラルにだって限界が来る。


 気がつけばミラルはその場にへたり込み、薄っすらと涙ぐんでしまっていた。


「さっきからなんなのよ……! わけわかんないわよっ……! 何で私が、アンタみたいなよくわかんないのにまで紛らわしいとか、帰れとか言いたい放題言われなきゃなんないのよっ!」

「なッ……!」


 そしてこれには、少年の方も驚いて硬直してしまう。


「きゅ、急に泣くんじゃねえよ……」

「半分アンタのせいでしょうが!」


 ミラルに対して何か言い返そうとする少年だったが、不意に何かに気づいて表情を変える。


「……おい、向こうで天井にぶら下がってるテメエ。誰だ?」

「え……?」


 驚いて振り向くミラルの前に、一人の男が降り立つ。

 その容姿に、ミラルは見覚えがあった。


「エトラ・グランヴィル……!」

「目上の人間には敬称をつけた方が良いね? そうだね? ペリドット家のお嬢さん?」


 エトラ・グランヴィル。

 ペリドット家に突然現れ、襲撃したゲルビア帝国の軍人である。


 エトラは小柄な男で、背丈だけならミラルとあまり変わらない。

 異質なのは、素顔を仮面で隠し続けていることだ。白い仮面が、暗闇の中でぼうっと浮き上がるようにミラルを見ていた。


「君は聞いているね? ”賢者の石”の在り処を、アルド・ペリドットから聞いているね? そうだね?」


 その言葉に真っ先に反応したのは、ミラルではなく少年の方だった。

 しかしすぐには口を挟まず、エトラを見据えて静観する。


「そんなの知らないわよ……!」

「あの男は君に敬語の使い方も教えていなかったようだね? 失礼なペリドットのお嬢さん?」

「……失礼なのはアンタの方よ! 急に家に来て、滅茶苦茶にして! 一体何なのよ!」

「それはそうかも知れないね? 最低限の礼儀として、素顔くらいは見せた方がいいね? そうだね?」


 くどい話し方だったが、うんざりしているような余裕はミラルにはない。肌を切りつけるような殺気が、エトラから漏れている。

 これ以上は強がることにも限界が来るだろう。

 そしてエトラが仮面を外すと、その限界は即座に訪れる。


「っ……!?」


 その顔は、夥しいまでの火傷痕に覆われていた。

 何かの事故で火傷したにしては、顔中のそこかしこが火傷痕に覆われている。これは事故によるものというよりは、誰かから意図的につけられた火傷痕のように見えた。

 これは――――拷問の痕だ。


「君もこんな顔になりたくなかったら、はやく賢者の石の在り処を吐いた方が良いね? そうだね? ペリドットのお嬢さん?」


 口角を釣り上げながらじわじわと歩み寄るエトラから、ミラルは後じさっていく。しかしその背中はすぐに、後ろにいた少年にぶつかってしまった。


「臭ェな。”エリクシアン”の臭いがプンプンするぜ」


 少年の言葉に、エトラはピクリと反応を見せる。


「よくわかったね? 一体何者なのか知らないけど、死にたくなかったら大人しくしていた方が良いね? そうだね? 少年?」


 先程よりも強く、エトラの殺気をミラルは感じ取る。しかし少年は、ただ鼻で笑うだけだった。


「賢者の石は”まだ”あるのか」

「君に説明してあげる義理はないね?」


 これ以上の問答に意味はないと悟ったのか、少年は眼前のミラルに目を向ける。


「お前、名前は」

「……ミラル。ミラル・ペリドット」

「ミラル、ちょっと下がってろ」

「これ以上下がれないわよ!」


 そんな当たり前のことに、少年は指摘されて初めて気づく。誰かを守る時は後ろに下げる、それが少年の中の当たり前だった。

 小さく笑って、少年は両腕に力を込める。


「だな、じゃあ俺が……前に進むか」


 少年が力強く両手を前に突き出すと、古びた鎖は粉々に砕け散った。

 いとも容易く砕かれた鎖に、ミラルもエトラも驚きを隠せない。


 そして解き放たれた少年の身体が、赤いオーラに包まれた。

 それを見た瞬間、エトラが息を呑む。


「この魔力……尋常ではないね?」


 言葉の代わりに、具現化した魔力が応と答えた。

 血のように赤く、純度の高い魔力が形を成し、少年の身体を包み込む。それはさながら、鎧のようだった。

 赤き兜が頭部を包み、差し色のようなプラチナブロンドが揺れる。


「その姿……君がかつて禁忌に触れた赤き破壊神――――ルベル・Cチリー・ガーネットだね……!? そうだね?」


「呼ばれ慣れねえな、フルネームはよ。気安く愛称のチリーで構わねえぜ……この後テメエが無事だったらなァ!」


  エリクシアン。

 神秘の霊薬、エリクサーを取り込むことでその身に魔力を宿し、人間を越え、自然の摂理を無視した超常なる力を操りし者。


 ルベル・Cチリー・ガーネットは、そのエリクシアンの中でも”赤き破壊神”と呼ばれる存在だったのだ。だがその名が示す意味を、ミラルは知らない。破壊神という仰々しい響きと今のチリーの姿だけが、妙な説得力を伴ってミラルを驚愕させていた。


(じゃあ、あの鎖は……!)


 ミラルは思い至る。あの鎖は、赤き破壊神であるチリーを封じるためにあったのではないかと。


 しかしそう結論づけるには不可解な点がある。

 エリクシアンの身体能力は、人間のソレを遥かに凌駕する。そんなチリーを封じ込めるのに、あの程度の鎖を打ち付けるだけで事足りるのだろうか?

 現にチリーは今、老朽化していたとは言え鎖を難なく破壊して見せたのだ。


(もしかして、こいつ……)


 封じられていたのではなく、自らの意志でここにいたのだとしたら……?


「俺の傍を離れるな」


 そう、一言だけ告げると、チリーは拳を握りしめ、エトラ目掛けて放つ。

 空気の爆ぜる音がした頃にはもう、真っ赤な衝撃波が洞窟ごとエトラを巻き込んでいた。


「え、うそ……!?」


 爆音と共に洞窟が崩壊する。

 闇が崩れ去り、薄っすらと白み始めた空が視界に広がった。


 チリーは即座にミラルを抱きかかえると、崩壊する洞窟の中から跳躍する。

 まるで飛ぶように跳ねたチリーは、崩壊する洞窟から少し離れた位置に着地すると、すぐにミラルをその場に下ろした。


 信じられない光景だった。

 たった一撃で、巨大な洞窟が瓦礫の山へと変貌したのだ。

 チリーが”赤き破壊神”と呼ばれる所以の一端を、ミラルは思い知った。


「無事か?」

「い、一応……」


 そう答えた後、ミラルにはなんとなくチリーがマスクの向こうで笑った気がした。

 一体どんな顔で笑ったのかと少し考えてみるミラルだったが、不意にチリーがその場に膝をつく。


「ちょ、ちょっと大丈夫!?

 そして彼の全身を覆っていた鎧は瞬く間に消滅していき、元の姿へと戻ってしまう。


「大丈夫に決まってんだろ。ちょっと気ィ抜けただけだ!」


 肩を上下させながら荒い呼吸を吐き出すチリーは、どう見ても大丈夫ではない。


 そんなチリーの身体を、突如正体不明のロープ状の何かが縛り付ける。


「ッ……!?」


 このロープは魔力のロープだろうか。薄っすらと淡い光を放つ、ソレが実体を持っているのか視覚的には判断出来ない。小さな穴から伸びた月明かりのような光線状のロープだ。ロープと呼べる理由は、実際にチリーを縛っているからに過ぎない。


 簡単には抜け出せないのか、チリーは小さく舌打ちする。


 そして伸びたロープの先には、瓦礫に埋もれたハズのエトラの姿があった。

 魔力のロープは、エトラの右手から伸びている。


 エリクシアンは、高い身体能力の他に超常的な能力を持つとされている。恐らくこれが、エトラの持つエリクシアンとしての能力なのだろう。


 エトラは、洞窟の中でチリーの放った赤い衝撃波の直撃だけは避けていた。洞窟の天井が高かったのが幸いし、エリクシアンの跳躍力ならギリギリ回避出来る範囲だったのだ。

 しかし決してエトラも無傷ではない。洞窟の崩壊に巻き込まれ、所々に傷を負い、軍服も擦り切れている。

 それでも生きて、瓦礫の山から自力で脱出出来るのが人を越えたエリクシアンの生命力と身体能力なのだ。


「派手なだけで大したことなかったね? そうだね? チリー君?」

「運のいい野郎だな。次はその顔面にぶち込んでやらァ」

「構わないよ? この後君が無事だったらね? チリー君?」


 チリーを縛るロープが、薄っすらと光を放つ。すると、縛られているチリーの身体に無数の刺すような痛みが走った。


「ぐッ……!」


 その衝撃とダメージに耐えられず、チリーはうめき声を上げる。


 それを横目で見て勝ち誇ると、エトラは右腕を力強く振るう。

 魔力のロープがしなり、チリーの身体を洞窟の瓦礫へと勢いよく叩きつけた。

 背中から派手に激突し、その衝撃でチリーは血を吐きながらぐったりとうなだれる。それを確認してから、エトラはほとんど一瞬でミラルとの距離を詰めた。


「っ……!」


 逃げる暇もない。ここまで肉薄されれば、もうミラルは蛇に睨まれた蛙と同じだ。


「そ、そんな芸当が出来るなら……どうしてさっさと私を捕まえなかったのよ!」

「獲物は完全に弱らせてから捕まえた方が良いね? 完全に絶望させておかないと、尋問や拷問に手間がかかるからね?」

「……ずっと泳がされてたのね……!」


 一歩、エトラがミラルへ詰め寄る。ミラルは逃げ出そうと後じさったが、体力の限界なのか、その場で足をもつれさせて倒れ込んだ。


「でも、これに懲りて次からは速度重視にした方が良いね? 時間を与えると何が起こるかわからない、そうだね?」


 しかしその足が、それ以上進むことはなかった。


「何勝ったつもりになってンだ」

「何ッ……!?」


 驚いてエトラが振り返った先にいたのは……チリーであった。


 血を流しながらもしっかりと両足で立っているチリーが、エトラを見据えて不敵な笑みを浮かべている。

 すぐにエトラはチリーを叩きつけようと右腕をしならせたが、どういうわけか全く動かない。これではまるで、巨大な岩山を引っ張っているかのようだった。


「きちっと追い詰めろよ……俺はまだピンピンしてるぜ」


 そしてチリーは、そのまま強引に腰をひねり、”縛られたまま逆にエトラの身体を”近くの大木に叩きつけたのだ。


「かッ……!?」


 その出鱈目でたらめなパワーと行動に、エトラは困惑する。エリクシアンは人間の腕力を超越しているが、これ程出鱈目な力はエトラも知らない。

 血を吐きながらも、それでも魔力のロープを維持するエトラだったが、それが限界だった。


「約束通り、顔面にぶち込んでやるよッ!」


 その時にはもう既に、チリーはエトラの眼前まで接近していたのだ。そして即座に、ふらつくエトラの顔面に渾身の頭突きを叩き込む。

 その威力たるや、落下する瓦礫の比ではない。

 頭蓋骨をかち割られたかのような衝撃で、エトラの視界は一瞬で真っ白になった。


 そして視界を取り戻した時にはもう、握りしめられたチリーの拳が眼前にあった。


「しまっ――――」


 あの、意識を失いかけたわずかな一瞬。

 エトラが維持していた魔力のロープは消えてしまっていたのだ。


 チリーの拳が、エトラの顔面にめり込む。その威力でふっ飛ばされたエトラは、周囲の木々をへし折りながら遥か数メートル先まで飛ばされていく。


 それを一瞥してから、チリーはすぐにミラルの方へ歩き始めた。


 ゆっくりと歩み寄ってくるチリーの背を、夜明けのグラデーションが照らす。その光景を、ミラルはチリーが近くに来るまでのほんの少しの間だけ呆然と見つめていた。


「怪我はねェか?」

「ない……けど……」


 差し伸べられたチリーの手を、ミラルは恐る恐る取る。チリーに引き寄せられるまま立ち上がると、チリーはまっすぐにミラルを見つめた。


「賢者の石の在り処を教えろ」

「……! アンタまでそんなこと言うのね! 一体賢者の石って何なのよ!? アンタ達は何をするつもりなのよ!」


 睨みつけるミラルに、チリーは一瞬だけ悲しげに目を伏せる。

 そしてやがて、はっきりとこう言った。


「賢者の石は……俺が破壊する」


 長い長い夜が明ける。

 止まっていた何かが、動き始めるような予感がした。

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